不屈の冒険者
1
頭上から迫る攻撃を避けるためレザリオは身を屈める。それと同時に人の腕程の太さのあるサソリの尾が兜を撫でるように過ぎ去った。彼は毒への恐怖を闘志で塗り替えると、渾身の力を込めて長剣を突き出す。敵の眉間を狙った一撃だったが、直前に体勢を崩していたために僅かに逸れて頬を斬り裂いた。
「ぐぎゃ!」
致命傷には遠いが、それでも敵は暗褐色の液体を流しながら耳触りの悪い悲鳴を上げる。追撃の機会だが、レザリオはサソリの尾がしなる動きを感じると間合いを広げた。悲鳴に唆されて勝機を焦れば、毒針からの攻撃に連続して晒されることになるだろう。彼はこれまでの経験で戦いには奸智が必要であることを学んでいる。特に今、相対している敵、マンティコアは高い知性を持つとされるモンスターだ。迂闊な判断は一瞬で死を齎すに違いなかった。
レザリオが退いたことでマンティコアの皺だらけの顔がより忌々しい表情となる。性別の判別が困難なほど年老いた人間の顔を持つ敵は、身体がライオンで背中に蝙蝠の翼、尾にサソリのそれを持っている。並の人間以上の知恵と獅子の膂力、それに加えて飛行能力と致死性の毒を持つ恐るべきモンスターだった。レザリオはこのマンティコアの討伐依頼を受けると相手の生態と能力を事前に調べ上げ、最も注意すべきはサソリの尾であると見抜いていた。
「小癪なる人間よ!我に与えた傷は、汝だけでなく同族の血を持って償わせてやろう!そなたを亡き者にした後は、近隣の人間達を女子供に至るまで皆殺しにしてくれる!」
咆哮のように発せられたマンティコアの声をレザリオは努めて無視した。敵は脅すことで動揺を誘おうとしているだけだ。そう素早く判断すると彼は再び間合いを詰める。迎え撃とうと鉤状の毒針が襲ってくるが、彼はそれを切っ先で弾くと返す刃で尾を中腹から切断した。自慢の尾を断ち切られたマンティコアは再び痛みによって絶叫を上げるが、ライオンの前足でレザリオを攻撃することは忘れなかった。
鋭い爪がレザリアの左腕を打つ。長剣を得物とする彼は盾を装備していない、鋼で出来た籠手を越えて激しい痛みが彼を襲った。それでもレザリオは残った右手で剣を振るい牽制とすると、マンティコアの追撃を食い止める。敵にとってもレザリオの剣技は侮れないのだ。
一進一退の攻防ではあったが、レザリオを素早く傷を癒すための回復魔法を唱える。彼は一人での活動を好むため接近戦の〝剣技能〟だけでなく、〝回復魔法技能〟も取得していた。直ぐにそれまでの鈍痛が引き、失っていた左腕の感覚が戻って来る。魔法は使用者の技量と精神力に左右されるため、決して無制限に使える能力ではなかったが、今のレザリオは怪我を完全に癒す回復魔法を一日に三回ほど扱える。それを既に一回使ってしまったわけだが、マンティコアの毒針を無力化した対価としては上出来だろう。
傷を回復させたレザリオは長剣を両手で構え、マンティコアに圧力を掛ける。自分の不利を悟った敵はその凶悪な顔に初めて焦りの表情を浮かべた。人間の多くは無力な生き物に過ぎないが、まれに特別な力を持った個体が存在する。マンティコアは自分の目の前の男がその一人であることを遅かれながら自覚したのだ。
「た、助けてくれたら、宝の在りかを教えてやろう!それにもう人間を襲わないし、この場からも立ち去ろう!」
身体中に裂傷を作りながらマンティコアはレザリオに対して命乞いを懇願する。背中の翼の大半が引き裂かれており、右の後ろ脚も力なく垂れ下がっているだけで、辛うじて身を起こしている状態だ。
「命乞いは聞けないな。お前が人間・・・特に子供狙って襲っていたことは知っている。報いを受けろ!」
それに対してレザリオは剣の構えを維持したまま冷静に言い放つ。目立った負傷はないが彼もマンティコアとの死闘によって既に回復魔法は使い切っている。トドメを刺すまで気を抜く気はなかった。
レザリオは油断なくマンティコアへの間合いを詰めると、その首を断ち斬ろうと長剣を振り上げる。
「・・・!」
だが、その長剣が振り下ろされることはなかった。レザリオの身体がまるで凍りついたように固まってしまったからだ。彼は自身を襲う不可解な現象に抵抗しよう胸の中で絶叫するが、完全な硬直によって指先さえも動かすことは出来なかった。その様子をマンティコアが見逃すはずはなく、緩慢な動きで狙いを定めるとレザリオ目掛けて飛び掛かる。激しく地面に叩きつけられた彼は、最後に自分の喉を目掛けて大きく口を開ける敵の邪悪な笑顔を見るのだった。
2
「・・・!」
気付いた時にはレザリオはどこかの屋内に立っていた。自由を取り戻そうと強張っていた身体がバランスを失って床に倒れそうなるが、それを彼は反射的に足を踏み出すことで耐える。転倒を回避したことで周囲を確認する余裕を得るとレザリオは改めて自分の居る場所を知った。
「・・・ギルドの酒場じゃないか・・・」
麦酒と人間の汗、それに鉄の匂いが混ざり合った独特の空気を懐かしいと感じながらレザリオは呟いた。古びた木製の内装に変色した漆喰の壁、あちこちに置かれたテーブル席に管を巻く冒険者達の姿は彼が何度も見た光景だ。ここは自らも身を置くベーレンの冒険者ギルドの酒場を兼ねたロビーだった。
「ちょっと、お兄さん通しておくれよ!」
後ろから声を掛けられたレザリオは振り向きながらも脇に身体を寄せる。自分の記憶が正しければこの声は、ギルドで働いている給仕娘の声だ。器量良しとは言えない容姿だが、その仕事ぶりは精力的で冒険者達からも好かれていた人物だ。
「悪いね!」
レザリオに軽く礼を伝えながら、複数の盃を両手に抱えた若い女性が彼の脇を通り過ぎる。癖のある茶色の髪と低い鼻が特徴の若い女は、やはり彼の知る給仕に違いなかった。
「兄さん。どこかの席に腰を降ろしたらどうだい?」
「・・・ここはベーレンの冒険者ギルドで間違いないんだよな?」
「ええ、もちろんさ!・・・兄さん、あんた、他の街からやってきた冒険者様かね?だったら先にギルドに登録しておくといいよ。登録しとけばここの飲み代なんかが、ある程度の割引になるしツケも利くからね!」
給仕を終えた娘が戻って来ると、茫然と立ち尽くすレザリオに声を掛ける。特に親しい間柄ではなかったが、これまで何度も顔を合わしたことのある給仕娘はまるで、彼を初めての客のように扱った。
「俺は・・・いや、ありがとう・・・大丈夫だ。登録は済ませている。・・・久しぶりにこのギルドに帰って来たんで落ち着かなかっただけだ」
「・・・じゃ、ゆっくりしてっておくれ!」
娘の対応に違和感を覚えながらもレザリオは、とりあえず無難な返事を告げる。最初は彼女がふざけているのかとも思えたが、娘から醸し出される気配に虚構は感じられない。ここは一旦退いて様子を見ることにした。
「ああ・・・とりあえず麦酒と何か食い物を」
「あいよ!」
それで会話を終えるとレザリオは空いているテーブルに座る。厨房に戻る娘の後ろ姿を見送った彼は鎧の下から木製の札を取り出す。それは彼がベーレンの冒険者ギルドに所属していることを証明する割符だった。
冒険者ギルドとは冒険者と呼ばれる多種の能力を持った人材の管理組織だ。一言で表すなら非正規軍である傭兵の溜まり場とも言えたが、この世界では隊商の護衛やモンスターの討伐等、軍隊を動かすほどではない、もしくは軍よりも小回りの利く戦力が必要とされる任務や仕事が多数あり、冒険者達が正規軍を補助する形でその役目を与えられていた。元々は自然発生的に生まれた冒険者だが、ベーレンほどの大都市で彼らを野放しにしてしまうと治安悪化の原因にもなるため、登録制にしてギルドの施設で囲い込むという政策を取っていた。この政策によって冒険者達はギルドから斡旋される仕事を受けると報酬の一割を斡旋料として徴収されるが、その代わりにギルドに登録している冒険者には、街の相場からすると二割程値引いた価格でギルド直営の宿泊施設や酒場を利用出来る特権を与えられることになっている。よほどの変わり者でもないかぎりギルドに登録して活動するのが常識だ。
そのようなことを思い出しながら、レザリオは自分の登録札に書かれた三つの星印を改めて確認する。冒険者ギルドは登録されている冒険者にこれまでの実績や貢献から独自の階級を設定していた。最高級が星三つなので彼は最上位に位置しているといわけだが、現在星三つの認定を受けた冒険者は数えるほどしかいない。つまり彼はベーレンの冒険者の中でも精鋭の一人だった。
ギルドから斡旋される依頼の難易度はこの星の数によって大まかに管理されており、先のマンティコア退治は星二つ以上の複数の冒険者達、単独ならば星三つ以上の冒険者に与えられる依頼に設定されていた。当然のことながら依頼の失敗は評価を下がることがあるが、それは生き延びていられた場合の話だ。死ねばそれまでだった。
『俺はマンティコアに敗れたはず・・・だが、こうして再びギルドに居る・・・そして俺を覚えている者もいない・・・』
運ばれた麦酒と食事を摂りながらレザリオは先程のやり取りを脳裏に思い浮かべる。既に確認のため顔見知りの冒険者達に話し仕掛けていたが、給仕の娘と同じようにいずれも彼を知る者はおらず、初対面として扱われていた。全員が口裏を合わせて自分をからかっている可能性もあるが、それでもマンティコアに敗れた後にギルドに移動していた謎が残る。レザリオは自分が理解しがたい状況に追い込まれていることを、改めて自覚するしかなかった。
最後に残っていた鶏肉の串焼きを麦酒で押し流すとレザリオは席を立つ。串焼きは彼の好物の一つでもあったが、今はその味を堪能出来る気分ではない。義務としての空腹を紛らわせると彼は代金を払い、ギルドの宿泊施設に向かう。そこには冒険の拠点として個室を確保していたはずだった。
「変わらない・・・俺の部屋だ」
自分の部屋は確かに存在していた。金目の物は全て身に付けるか、ギルドの銀行に預けているので、ここにあるのは僅かな着替えの服くらいだが、寝台と小さな机、それに鎧を収納するための人型を模した台座はレザリオの呟きのとおり、記憶にある姿を保っている。給仕や同業者達は彼のことを忘れてしまったようだが、自分が存在した確かな証拠は残されていた。
「この世界が死の間際に見る夢なら・・・寝たらどうなるのか」
剣帯を外し鎧も脱いで身軽になったレザリオは寝台に寝転ぶと、不安を忘れて睡魔に身を任せることにした。既に彼は一度、死の覚悟をしている。今更迷いはなかった。レザリオは冒険者として成したこれまでの功績を思い浮かべながら眠りにつくのだった。
3
「これはどういうことだ?!」
倒したゴブリンの持ち物を調べていたレザリオは驚きの声を上げた。彼の両の手には全く同じ、刃こぼれした箇所や浮いた赤錆の模様までもが一致する短剣をそれぞれ握りしめている。片方はたった今倒したゴブリンから、もう片方は前日に倒したゴブリンから回収した代物だ。ゴブリンが短剣で武装することは珍しいことではないが、常識的に考えて見分けつかないほど同じような短剣が存在するはずはなかった。
「くそ!こいつにも見覚えがあるぞ!」
次いでゴブリンの死体を改めて検分したレザリオは悲鳴のような声を上げた。これまでゴブリンの顔付きなど特に意識したことはなかったが、醜い顔を苦痛で歪ませて絶命するそのゴブリンの鼻には大きなイボがある。これは昨日倒したゴブリンと全く同じ特徴だった。
「どういうことだ、昨日倒したこいつが生き返ったのか?・・・いやそれでも、この短剣が二つあるのはおかしい・・・全く同じゴブリンと短剣が存在しているのか?!」
レザリオは自問を繰り返しながらもこれまでの経緯を回想した。
突然の身体の硬直とそれに伴う敗北、更には冒険者ギルドへの移動と、奇妙の一言では片付けられない体験をしたレザリオだったが、しばらくの休息を得ると冒険者として生業を再開させた。彼にもある程度の貯えはあるが、何もしなければやがて金は尽きるだけだ。この世界で生きるには金が必要だった。
もちろんレザリオも復帰後の仕事に難易度の高い依頼を選ぶつもりはなかった。まずは軽めの依頼から身体を慣らすつもりでいた。そんな考えから彼が選んだのは、村はずれに現れたゴブリン退治という定番とも言える仕事だ。
ゴブリンは人型のモンスターで、人間の子供並の体格と知恵それに醜い姿と邪悪な性根を持っている。単体では特に脅威とならないが繁殖力が強く、手をこまねいていると大きな群れとなってより厄介な存在に成り得た。冒険者の依頼の何割かは人里近くに出現したゴブリンの駆除と言ってもよいほどだ。
ギルドの代理人から仕事を受けたレザリオはベーレンから徒歩で二日ほどの距離にある依頼主の村へと向かう。そこで詳しい状況を確認した彼は村近くの森に棲みついたゴブリンの探索と駆除を開始する。
そして昨日の探索初日に斥候役と思われるゴブリンと遭遇し、逃げられる前に倒していた。その後、足跡等からゴブリンの拠点らしき場所を大まかに探り出したレザリオだったが、日暮れが近づいたこともあり、一度村に戻り探索と駆除の続きを翌日に持ち越したのだ。何しろゴブリンは夜目が効く、彼は格下のゴブリン相手とはいえ安全策を取った。
翌日、改めて依頼を再開させた彼は、ゴブリンの棲家が近いと思われる地点で再び斥候役と思われるゴブリンを仕留め、ありえない事実に気付いたというわけだった。
得体の知れない恐怖を感じながらも、レザリオは一先ずは探索を再開させる。この近くにはゴブリンの棲家がある。まずは直接的な脅威に対応するべきとの判断だ。
森内の段差に沿いながら進むレザリオは、やがて予想どおりゴブリンの棲家を発見する。何しろ、崖に開いた洞穴の前にゴブリン二匹が歩哨として見張りに立っているのだから間違いない。彼は可能な限り、音を立てないよう慎重にゴブリンに向かって移動を開始する。もっとも、直接的な戦闘力を重視しているレザリオは金属鎧で武装していることもあって盗賊系技能の値は低い。日中故にゴブリン達の探知能力が落ちているので今回は先に発見できたが、看破されるのは時間の問題だと思われた。
「おお!」
手前側のゴブリンがこちらの存在に気付いた素振りを見ると、レザリオはそれまでの半端な〝忍び足〟を捨てて全力で駆け出した。バレてしまっては仲間を呼び出す前に仕留めるだけだ。
一気に距離を詰めたレザリオは、洞窟内に向かって気味の悪い声で吠えるゴブリンの頭部に真上から長剣を振り下ろした。狙いは誤ることはなくゴブリンの頭蓋を斬り裂くが、彼はそれで満足せずに素早く死骸から剣を引き抜くと、今度は水平に剣を薙ぎ払った。奥側にいたゴブリンは仲間の死に臆せずレザリオの身体に汚れた爪を立てようとするが、それよりも先に長剣がゴブリンの首を捉えた。
一瞬でゴブリン二匹を屠ったレザリオは死骸を無視して、素早く洞窟内部から死角になる位置に移動する。ゴブリンの言葉は理解出来ないが、助けを呼んだに違いない。彼はゴブリン達が慌てて飛び出してきたところを後ろから襲うこととした。
「これで全部か・・・」
最後のゴブリンの首を刎ねたレザリオは僅かに警戒を解く。合計すると彼はこの洞窟で九匹のゴブリンを退治していた。一度にこれだけの数を相手にしたのならば、さすがの彼も多少は苦戦したかもしれないが、的確な判断により数匹毎の小集団に分けて危なげなく撃破していた。もっとも、レザリオとしては任務達成を単純に喜べる気ではなかった。直接的な脅威は退けたが、先程の倒したゴブリンの謎が残っている。本来なら、これから任務達成として依頼主である村の村長に報告するのだが、彼はある考えを実行する決意を固めた。
翌日、レザリオは村人にはゴブリン退治を終えたことを隠して再び森の探索に出向いていた。常識的に考えれば腐りかけたゴブリンの死体を発見するはずだが、自分の推測が正しければ再びあの錆びついた短剣を持つゴブリンと遭遇するはずだった。
「やはりか・・・」
三度、斥候役のゴブリンを倒したレザリオは呻くように呟いた。鼻先にイボのあるゴブリンの顔はもう既に馴染みになりつつある。個体差など存在しないと思っていたゴブリンの顔だが、こうして見ると、醜いながらも垂れた目元には僅かに愛嬌があるように感じられる。例の錆びた短剣もこれで三本目となった。
「間違いない・・・俺は・・・俺だけが同じ日を繰り返しているんだ!」
レザリオは自分の置かれた真実の片鱗に気付くと、一人森の中で吠えたのだった。
4
ドルグ族は闇の神の主神が光の神々が創造したエルフと人間に対抗するために作り出した種族とされている。その姿は人間に似ているが鼻は低く、目はやや大型で瞳は猫のような紡錘形である。肌の色は個体によって異なるが青味掛かった白色であることが多い。そして臀部からは蛇を思わせる細く長い尾を生やしている。一言で表すならば、爬虫類染みた人間それがドルグ族だった。
レザリオはそのドルグ族の戦士と相対していた。そいつは金で象眼された見事な鎧と片手剣と盾で武装している。人間と同程度の知能と能力を持つドルグ族は、生まれによって様々な階級や役割に分かれて社会を営んでおり、眼前の敵は人間で言うところの騎士階級かそれ以上の貴種だろうと思われた。
自らの高貴さを証明するようにドラグ族の戦士はレザリオに向かって迷いのない太刀筋で斬り掛かる。それを長剣で防ぐレザリオだが、柄に近い部分で受けたにも関わらず激しい衝撃が彼の両腕を通して全身に伝わる。恐ろしいことに敵の片手剣での攻撃は、両手で長剣を扱うレザリオがようやく防げるほどの威力を持っていた。それでもレザリオは歯を食いしばって圧力に耐えると、ドルグ族の右側に回り込むように間合いを詰める。その一瞬後に彼が今までいた位置に盾が押し出された。僅かでも遅れていたら強打されていたに違いない。奇跡的な幸運と言えるだろう。
いや、正確にはレザリオは幸運に救われたわけではない。彼はドルグ族の戦士が盾を使って攻撃してくることを予め知っていた。更にこの敵がドルグ族の王子の一人であることも、そして敵を倒して手に入る戦利品のことも既に知っている。何しろ彼がこのドラグ族の戦士と戦うのはこれで三十数回目のことなのだから。
精鋭の冒険者のレザリオにとってもドラグ族の王子は強敵だ。実際、今回の依頼であるドラグ族支配地域への偵察は複数の三つ星以上の冒険者に向けられた任務である。本来ならば彼一人だけでは成功の見込みは低かった。もっとも、それは常識的なやり方で任務を遂行した場合だろう。レザリオは自分の身に起る特別な現象を利用して、難易度の高いこの任務に何度も挑戦していた。
レザリオは以前のゴブリン退治の依頼で自らに起きた現象について正しい答えを見つけていた。彼が依頼中に倒した敵は日を跨ぐと再び何事もなかったように復活するのだ。しかも、その事実と時の流れの不自然さを認識出来るのは彼自身だけである。当初は無限に続く繰り返しに恐怖するレザリオだったが、正式に依頼を終了させるとその果てしない繰り返しも解消されることに気付くと、やがてそれを利用するようになっていた。
レザリオが今回の依頼、つまりドラグ族の王子を執拗に狙う理由は敵が持つ戦利品にある。この敵はドラグ族に伝わるとされる宝玉を所持していた。この宝玉の中にはドラグ族代々の勇者の記録の断片が封印されているとされ、宝石を砕いた者に勇者が持っていた技能を授ける魔道具だった。本来は二つとない稀代の宝だが、彼は依頼達成を報告せずに繰り返すことで既に何度も手に入れていた。もっとも、初対戦では逃げることも出来ずに返り討ちにあっていたのだが、逆にこの無謀な挑戦によってマンティコアの同じように敵に敗れたとしても次の瞬間には冒険者ギルド内に出現することも把握していた。
格上の敵でも、何度も挑戦すればその動きと弱点を見抜くことが出来る。レザリオは今回の戦いも紙一重でドルグ族の王子の攻撃を回避しながら、的確に自分の攻撃を成功させていく。徐々に体力を削られた敵はその実力を発揮することなく彼によって倒された。
勝利の感慨もなくレザリオは倒した敵から戦利品の宝玉を奪い取る。それはもはや戦いの末の成果ではなく、ただの作業に近い。だが、宝玉を使おうとしたところで彼は唐突な浮遊感に襲われた。
5
次に目を開いたレザリオは自身が上下左右、果てが見えない場所に存在していることを知る。空間そのものが光を発しているようで視界は明瞭であったが、どの程度の規模なのか予想も出来ない広さだ。以前の彼であったなら激しく戸惑う状況に違いないが、マンティコアとの一戦以来この手のことには耐性が付いている。レザリオは慌てることなく次の展開を静かに待った。
「ここにお連れした理由はおわかりですね?」
イザリオの予想通り、突然目の前に人型の存在が現れると問い詰めるように彼へ語り掛ける。その人物自身が淡い光を放っているので、詳しく判断出来なかったが、先程のドルグ族の王子の鎧さえ安物にみえる見事な甲冑を身に纏っているようだ。
「・・・あなたは?」
「私は当ゲームの上級ゲームマスターを担当しているナガタと申します。先程の質問の意味はご理解出来ましたでしょうか?」
「ナガタ・・・あなたはこの世界の創造主・・・真の意味での神なのか?」
「・・・我々、運営スタッフをそのような名称で呼ぶお客様もいらっしゃるようですが・・・今回こちらにお連れしたのは、あなた様の違法行為の是正にあります。何か申し開きがありましたら先に伺いましょう!」
「・・・なぜ俺の身に特別なことが起きるんだ?・・・まあ、俺もそれを利用して稼がせてもらったが、一体この世界はどうなっているんだ?!」
「ええ・・・今の言動はロールプレイの一環でしょうか?こちらの調査では、あなた様がお使いのプレイヤーキャラクーは既にはアカウント期限が消失しており、違法プレイであると断定させて頂いております。それにより、本来のアカウントの持ち主であるお客様に確認のご連絡を致したわけですが、その方は不慮の病で既に亡くなられておりました。ご遺族によって当社との契約も解除されており、そのレザリオというキャラクターを使用出来るはずはないのですが、どうやって当ゲームをプレイされているのでしょうか?・・・こちらとしては法的に訴えることも可能ですが、セキュリティーシステムを潜り抜けて、数々の違法行為、チート行為を可能にしたあなたの手腕には興味があります。それをお聞かせ頂ければ、寛大な処置を用意することも出来ます!」
「・・・神であるあなたの言葉は・・・俺には理解出来ない。・・・俺としてはこれからもこの世界で冒険者として生き続けたいそれだけだ!」
神らしき存在とレザリオの話し合いは平行線を辿る。彼も相手が譲歩を示唆していることには気付いていたが、要求に応える手段そのものに心当たりがないのだからどうしようもなかった。
「・・・当社の〝Battle of the Breve〟はゲームを進めることでプレイヤーキャラクターに個性や技能を学習させる独自のAIシステムを採用しておりますが、ゲームマスターである私との会話にまでロールプレイをする必要はありません。改めて問いましょう。どのようにしてアカウント期限が失効したキャラクターで当ゲームをプレイしているのか、お教え下さい!現時点で詳しく話したくなければ、概要でも構いません。それに、あなたが望むなら当社のアドバイザーとして雇用することも考慮します。如何でしょうか?」
「・・・悪いが・・・俺は何のことだがさっぱりだ」
再度、自分の考えを伝えながらレザリオは身構える。もっとも戦いは想定していない。彼も神に戦いを挑むほど愚かではない。どうやってこの場を切り抜けるかそれだけを考えていた。
「わかりました。・・・残念ですが、交渉の余地はないとのことですね。プログラムの仕様からあなた様が使っているキャラクターデータを抹消出来ないことを知っているのかもしれませんが、特定のエリアに隔離することは出来ます。あなたにはこの場でサービス終了の日まで留まってもらいましょう!」
「俺は神が相手であろうと大人しくする気はない!」
レザリオはそう吠えると、光輝く甲冑姿の存在に〝技盗み〟を発動させた。この技能は一定時間、目標とした個体の技能を奪い自身での使用を可能とさせる革新的な技能である。本来は盗賊系最上位技能だが、彼はこれまで延々と狩り続けたドルグ族から宝玉を通して取得していた。レザリオは本能的な閃きによってその中の一つ〝技盗み〟を使用したのだ。
そしてレザリオが放った〝技盗み〟はゲームマスター、彼からすれば上方世界の神から〝空間転移〟の技を盗み出した。逃げる手段を得たレザリオはゲームマスターが思いがけない展開に戸惑っている間に盗み出した〝空間転移〟を使用する。初めて使う技能ではあるが、彼は無事に安全地帯、ゲーム的にはリスポン地点である冒険者ギルドの酒場に自らを転移させたのだった。
「ねえ、知ってる?このゲームってプレイヤーがいないのに勝手に動くキャラクターがいるらしいよ」
「ええ、そんなわけないじゃん!運営のステマだよ。それ!ゲームマスターかスタッフが動かしているだけで、話題作りじゃないの!www」
「でもさ、サービス開始から二週間くらい不眠不休でプレイして死んだ人がいるのは本当らしくて、噂だとその人の魂が乗り移っているんじゃないかって言われてるんだよね・・・・」
「ああ、その話なら俺も知っている!ニュースにもなっていたし。なんでもマンティコア討伐をソロでクリアしようとしていたとか?」
「うん、二週間でランクを三ツ星にしたとか、そりゃ死ぬよねって思ったwww」
「www」
「あと、ドルゲンプリンスの宝玉もこの人のせいで戦利品ドロップからクエストのクリア報酬に変えられたらしいね」
「まじか!まあ、俺らのレベルじゃ、まだまだドルグ族のエリアにも近づけないから先の話だけど・・・」
「あ!クエストのマッチングが終わったみたい!」
「おお!じゃ、やるか!今回も俺が囮役をやるから、トドメは任せるよ!」
「うん。昨日新しい魔法を覚えたばかりだし、任せて!」
となりのテーブルに座っていた中堅と思われる冒険者達が席を立つと、かつてレザリオを名乗っていた男は緊張を解いた。正体が見破られる可能性はないが、直ぐ近くで自分と思われる噂話をされてはさすがに落ち着けない。
神、あるいはゲームマスターの元から逃げ出した彼は名前を捨てると、その追及を逃れて市井に潜んでいた。今ではこの世界が神々の作り出したゲームと呼ばれる虚構の世界であることも概念として理解していた。もっとも、彼にとってはそれほど重要なことではない。例え神々にとっては虚構であろうとも、自分はこの世界に存在する確かな個性に違いないのだ。
「神に疎まれようとも俺はこの世界で生き続けてやる!」
男はそう呟くと、生き続けるため新たな冒険に繰り出すのだった。
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