第2話




 さて、無事に異世界へと転生し第二の人生を歩み始めた『彼』。過去に地球で生活した記憶こそ消去されたものの、その魂に刻み込まれたガチャ欲までは消えない。というか消せない。


 彼にとっては幸運なことに、彼が生まれたのはそれなりに大きな街。貧しくも裕福でもない家庭環境。幼少期からあまり制限のない放任主義な両親。様々な要素が重なり合い、結果生まれたのはガチャの欲を満たし続けるためだけに動く人の皮を被ったモンスターであった。


 彼がかろうじて喋れるようになったころ、周囲の人々は『何かおかしいな』と思い始めた。

 

 彼がはっきりと喋れるようになったころ、周囲の人々は『こいつやばいな』と思い始めた。


 彼が一人であちこちを歩き始めるようになったころ、周囲の人々は『関わったらヤバイ』と思い始めた。


 結果、『基本的に害は無いが、関わると著しく精神が摩耗される少年』として、ギンガ・シャルソーという名前はご近所中に知れ渡ることとなったのである。



「おはようギンガくん。今日もいい天気だね!」



とはいえ、類は友を呼ぶという言葉の通りかは分からないが、そんな変わった人間と関わるこれまた変わった人間が存在するのも事実。世間の評判にも関わらず、シャルソー一家とその隣人は互いの子供を通してそれなりに交流を深めていた。


齢九歳にして課金に魂を囚われたギンガは、そんな隣人関係につけ込み、隣人の営む食事処に勤めーー表向きは社会勉強としてーー小金を稼ぐ日々を送っていた。それ故に、彼が望もうと望むまいと、その家の子供達と関係が深まるのは必然である。



「ああ、今朝の十連も爆死するほど澄み渡った青空だよ。何が寝起き教だバカバカしい」


「め、目がすっごい事になってるよ……」



具体的にいえばタールと泥、おまけに呪詛をグツグツと煮詰めてぶちまけた様な目になっている。腐った魚のような目、でもいいかもしれない。


しかし、彼の機嫌が乱高下するのは決まってガチャを引いた時だ。生憎とスマホの概念がない異世界において『ガチャ』が何なのかは分からないが、それでもギンガの様子からあまり宜しくないものである事は明白だろう。


エプロンをつけたボブカットの少女ーーマシュー・トイフェは、同じくエプロンを付けようとしているギンガの前に仁王立ちで立ちはだかる。



「ギンガ。一つ聞きたいんだけど、先週お父さんから貰ったお金はどうしたの?」


「お陰でレジェンダリー武器が手に入った。感謝してる」


「もー! その『そしゃげ』? ってやつにはもう課金しないでって言ったでしょ!」


「俺は『善処する』と言っただけで止めるとは一言も言ってないぞ」


「ぜ、ぜんしょ? 難しい言葉で誤魔化そうとしてもダメなんだから!」



マシューとの会話中にもログボを取り忘れた記憶が蘇り、思わずポケットからスマホを取り出すギンガ。廃課金の鑑といえるが、残念ながら人間としてはこの上ない屑である。


九歳にして堪忍袋の尾が切れるという経験を何度も味わっているマシューだったが、今回もついにブチ切れた。ギンガに対し己の掌を向け、感情のままに言葉を紡ぐ。



「『風よ、吹き飛ばせウィンド・ブロウ』!」



その瞬間、向けた掌を始点として勢いよく放たれる風。この世界にのみ存在する、しかしある意味地球では馴染み深い『魔法』である。


圧縮された空気は不可視の魔弾となって飛び、ギンガの手元のスマホを撃ち抜くーーかに見えた。


だが、見えないはずの弾を軽く身を引く事で回避するギンガ。まさか避けられるとは思っていなかったのか、呆気にとられるマシューに対し肩をすくめてみせる。



「向きがバレバレだ。弾が見えないんだったら弾道からそれを予測すればいい」



このギンガという男、無駄にスペックだけは高かった。いくら予測できるとはいえ、それを回避するだけの技術。そして何より、即座に弾道を計算出来たその直感。腹立たしい事に、性格とガチャを除けば実に多大な才能を有しているのである。


とはいえ、その才能が性格とガチャによって全て潰されているというのも事実。天は二物を与えないというが、実はメリットをデメリットで押しつぶしているだけなのかもしれない。



「というか危ねぇだろうが! 一体これにいくら掛けてきたと思ってんだ! バックアップコードスクショでしか控えてないんだぞ!」


「そこはまず自分の心配しようよ!」



いくら子供といえど魔法は魔法。当たれば痛いでは済まないのだが、自分の体とガチャを天秤にかけた結果、ガチャに天秤が傾くような男に常識は通用しない。彼からしてみれば『魂と体どっちが重い?』という理論なのだが、ガチャを魂と言い切ってしまう辺り確実に頭のネジが一本飛んでいる。


 と、二人が更衣室でそんな言い合いをしていると、背後から忍び寄ってくる影が一つ。音もなくスッとその手を振り上げると……


 ゴン! と音が鳴りそうな勢いでマシューに振り下ろした。



「いぎっ!?」



 あまりの痛みにマシューの視界には火花が飛び散る。目に涙をためながらもその痛みを堪えつつ、一体誰がと彼女は振り向く。



「マシュー? 人に向けて軽々しく魔法を使うなって、私言ったわよね?」


「お、お姉ちゃん……」



 だが、ひとたび鬼を見てしまえば泣く子も黙るというもの。マシューの目尻から流れ出そうになった涙は即座に引っ込み、怒りを向けられていない筈のギンガさえその動きを止めていた。


 立ち上るオーラに焔すら幻視出来そうな雰囲気を放つ女性。この人こそがマシューの姉、リン・トイフェである。


 ポニーテールに結んだ茶髪に、スレンダーな肢体。中々街ではお目にかかれない美貌の持ち主であり、彼女がこの食事処の店員であれば収益は倍ほどになっていたことだろう。


 だが、その美貌も漂うオーラですべて帳消しである。人一人をたじろがせるには十二分、ましてや相手が自身の妹であれば何を言わんや。マシューの全身が硬直し、自然と気を付けの体勢になってしまうのも仕方が無い。



「あんまり言うことを聞かないようなら……後でお説教をしないとね?」


「ごめんなさいっ!!」



 即座に下げられるマシューの頭。ああ、かつてこれほどまでに美しい、そしてキレのあるお辞儀を見たことがあるだろうか。まさに百点満点、これ以上ない誠意のこもった謝罪である。


 リンは満足げに頷くと、続いてギンガへと目線を向ける。悪びれるべき所など一点もない、堂々としていれば良い場面の筈なのに、ギンガの肩は思わずびくりと震えた。



「ギンガ君も、ウチのマシューが悪いことしたわね。大丈夫? ケガはない?」


「ええ、全身異常はどこにもありません。全然。全く。というかそろそろ開店時間なんで……てかそうやってにじり寄ってくるのやめてくれませんか」


「あーら、ウチの開店時間は十の刻からよ? まだ一の刻間はあるじゃない。何をそんなに怯えてるのかしら?」



 ジリジリと後ずさりするギンガに、それに追従していくリン。ニコニコとした彼女の笑顔から全力で目をそらし、彼はこの状況から逃れようと必死に言葉を紡ぐ。



「それはそうとギンガ君、私も少し気になってるのよ。稼いだお金の使い道に、貴方が日々口にしてる『課金』っていうワード。一体何のことなのかしら?」


「……お、お金はタンス預金ですよタンス預金。俺、将来の事見据えるタイプなんで。てかそうやってにじり寄ってくるのやめてくれませんか」


「嘘おっしゃい。貴方自分のタンスどころか自分の部屋も無いでしょうに」



 ギンガが生まれてからトイフェ家とシャルソー家の交流は密に続いている。それこそ、お互いの家の構造がハッキリと分かってしまうほど。長いご近所付き合いの弊害である。


 ついに壁際まで追い詰められてしまったギンガ。ドン、と彼の背中に当たる壁が、これ以上逃げ場がない事を知らせてくる。おまけとばかりに彼の頭の横へ伸びてくるリンの腕。そう、かの有名な壁ドンである。状況が状況な故、若干犯罪臭がしないでもないが。



「そうそう、そのポケットにある黒い板も気になってるのよね。ギンガ君、すこーしだけそれを私に……」



 そう言ってリンが手を伸ばした、次の瞬間。


 ギンガのスマホから放たれた召喚演出が、彼の姿を光で覆い隠す。対象を失ったことで、リンの伸ばした腕は空を切った。


 光が収まった後、気づけば少年は何処やら。あとに残されていたのはガチャの召喚結果であろうC級コモンの粗末な直剣のみだ。唐突に起こった出来事に、リンは驚愕を隠せない。



「か、変わり身の術……?」


「あー、また逃げられちゃった……ギンガってば都合悪くなるといっつもこうやって逃げちゃうんだもん」



 ようやく立ち直ったマシューは、口をとがらせながら不満を呟く。二人の会話を聞く限り、長い付き合いのせいかギンガへの理解はマシューの方が深いようだ。



「S級冒険者のお姉ちゃんなら捕まえられるかもーって思ってたけど、やっぱり難しいよね」


「……ええ、そうみたいね」



 S級冒険者。この称号を冠する者は、冒険者ギルドにもに十人ほどしかいない。それはつまり、この世界でも指折りの実力者であることを意味する。そんな彼女から逃げ切るというのは、マシューが考えている以上に並大抵のことではない。


 どうにもあの少年、只者では無いようね。心の中で、リンはそう呟いた。



「てか、これから仕事なのにアイツどこ行ったのよ」


「だいじょうぶだいじょうぶ。多分開店時間には戻ってくるから」



 マシューの言う通り、彼は開店時間ぴったりになって戻ってきた。彼はクズだが、約束を守るタイプのクズでもあった。『守れない約束はしない』が彼のポリシーである。

















「疲れた……あそこでガチャコイン使ったのは痛かったけど、まあ逃げ切れたから良し、か」



 人っ子一人いない路地裏。何もないはずの空間に、いる筈のない少年の声が響く。


 声がため息を付くと次の瞬間、唐突に少年の姿が現れた。魔法もかくや、という現象だが、見る人が見ればこれは魔法ではないと見抜いていたことだろう。彼の手には似つかわしくない真っ白な衣があり、それがなにがしかの効果を所持しているのであろうということは想像に難くない。


 SR級スーパーレアアイテム、『透明マント』。シンプルながらも、被った者の姿を消すという強力な効果を有している。これも転生時に貰った彼の能力、ガチャで獲得したアイテムの一つである。



「スーレアで再使用時間リキャストタイム一日かよ……レジェンダリーとか考えたくもないな。仕様もクソだしガチャもクソ、搾り取るだけ搾り取るとか本当にクソ運営だな」



 ぶつぶつと不平を呟くギンガ。その呪詛に今朝の十連で爆死したという事実が多分に含まれているということは想像に難くないだろう。


 とはいえ、そんなことを言いつつも黙々と貯めたガチャコインでガチャを回しているのは実に彼らしいが。

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