第6話
人の量は増える一方でショッピングモールのカフェはとてもゆっくり話せる状態ではなかった。結局ショッピングモールを離れ、駅に向かう途中にあった喫茶店に入ることにした。道中会話は無く、篠原は頭の中で話をまとめようとしているのか終始真剣な表情をしていた。悲しいような、辛いような、形容しがたい今までに見たことのない顔だった。それでも、何か強い覚悟のような光が瞳に映っているかのようで、その凛としたたたずまいに再び息を呑む。
入店し注文したアイスコーヒーが来てもまだ話は始まらない。なんなのこの嫌な雰囲気。俺こういうの苦手なんだよな。そんなことを考えていると篠原はようやく話を切り出した。
「あのさ。中学の時の話なんだけどさ。てっちゃんがキャプテンだったじゃん? 本当はアタシも副キャプテンになるはずだったんだ」
そんな話は1度も聞いたことがない。仮にそうだったとして、なぜそうならなかったのか、俺には検討もつかない。
今回篠原が俺に話しておきたいこととはその辺についてなのだろう。聞いたところで俺になんの得があるんだか。また厄介な話じゃなければいいけど。そんなことを考えていると再び篠原が話し始めた。
「先輩からてっちゃんとアタシでチームを纏めてくれって頼まれてた。自分のやってきたことが周りに認めてもらえて凄く嬉しかった。頼まれたその日、アタシはてっちゃんと二人で色んなことを話した。でも結局新チームになったとき副キャプテンとして、てっちゃんの隣にいるのはアタシじゃなかった。顧問の方針だから従う他無かったんだけどさ」
正直驚いた。そんな絵に描いたような男女差別が身近に起こっていたなんて想像もしなかった。さらに篠原はその時の心情を語る。
「中学サッカー部で女子はアタシ1人だったからこそアタシは他の誰よりも努力した。他の女の子が遊びにお洒落に時間を費やしてる間にアタシは自分に出来ることを全部やったよ。この生まれた身体で皆と一緒に戦えるように必死に練習して、チームメイトとたくさんぶつかって打ち解けて信頼してもらってやっと同じスタートラインに立てたんだよね。まぁでもそこからはもっと地獄だったけどね。試合に出ても結果が出せない。結果が伴い出してもそれはそれで「女の子なのに」って変に加点が付いたり、アタシはなんて生きづらい世界に来ちゃったんだろうって何度も後悔した」
俺が初めて会った篠原はもう既に明るくて元気な篠原だった。今ここで悔しそうに、悲しそうに弱音や不満を吐露する彼女こそが本来の篠原蓮華という女の子なのだろう。
「たぶんアタシは一生でする後悔の半分くらいはもうしてると思う。誰にも言わなかったけど何回も何十回もサッカー辞めたいって思った。でもたくさんの人に励まされたり、もっとできるだろって煽られたり、死ぬほど悔しい思いをしてそれでもまだサッカーやってる。それがすごく自慢なんだ。だからこそてっちゃんの横に並べなかったときに初めて自分の努力でもどうにも出来ないことがあるんだなって絶望した。あの日はお母さんになんでアタシを男子に産んでくれなかったのって泣きついてすごく困らせちゃったんだよね」
話している内容と逆でなんだか少し楽しそうだ。聞いているこちらは聞いているだけでも胃がキリキリと締め付けられるようでかなり辛い。
「あとからアタシの代わりに副キャプテンになった中村に聞いたんだけどさ。てっちゃんがブチキレちゃったらしくてさ。【人権教育とか言ってる教師が男女差別とか恥ずかしくねえのかよ】って顧問に掴みかかったらしくてさ。本人とこの件に関してまったく話したこと無いんだけど、てっちゃんはどっかで自分がキレたことがばれるとかそのことが恥ずかしいとか思ってんじゃないのかな。もう全部知ってるのに笑っちゃうよね」
本当に楽しそうに笑う篠原を見て少し気持ちが晴れた。自分のために動いてくれる人がいることは素直に嬉しいことだと思う。俺にはそんな人いないし想像しかできないけど…
「でもさー、それが本当に嬉しかったんだよね。先輩に次はお前らだって言ってもらった日にてっちゃんが私のことすごく褒めてくれたんだ。見てない振りして私のやってきた努力をちゃんと見てくれてた。自分のためにしてきたことだから褒められたいとかそんな気は無かったんだけどさ。報われたと言うか…救われた気がしたんだよね。まぁたぶんてっちゃんは私のためにとかじゃなくてさ、単純にがんばってるやつが評価されないってことが許せなかったんだろうね」
自分が恥ずかしくなった。二人がこんなにも自分と違うのだと初めて知った。こんなこと聞くと接し方そのものが変わってしまう。努力することを馬鹿にしてさえいた自分をぶん殴ってやりたいと思った。
「アタシにはさ、女子サッカー部のある高校に行くって選択肢もあったんだけどね。そうはしなかった。てっちゃんは望んでないんだろうけどさ、少しでも恩返しがしたくてさ。できてるかは微妙だけど、とりあえず一緒の高校に勝手についてきちゃったんだよね。そしたらやっぱやるからには上を目指したいじゃない? そんな時にアンタがうちの学校に来るって聞いてね。てっちゃんもアタシもあんたの良いとこも悪いとこも大体分かってるし今のチームには絶対必要だってわかってた。入学式の日にチームに足りないものがあるって言ったの覚えてるでしょ?」
「まあ覚えてるけど」
あの日の会話が頭をよぎる。
「このチームってゲームメイクできる人がいないのよ。私が男だったらこのチーム最強だったんだけどねー。まぁでもこの前の紅白戦で確信したわ。アンタならできる。でもヒョロヒョロだしパスのスピードも遅いし今のままじゃ全然駄目ね。何が足りないって自分で一番わかってるでしょ? それにこの前の試合で【もっと】って初めて思ったんでしょ?」
煽るように篠原がにやけ俺を見る。
今度は真顔で俺を見据えてこう続けた。
「今以上を望むなら努力ってもんもちょっとはやんなさい。そんで早くこっち側に来なさい。あんたのその一歩引いた感じで冷めてるところ、たまにイラッとすんのよね」
こっちってどっちなんて冗談を言える空気でもなかった。俺も流石にそこまで空気の読めない人間ではない。
「ちょっとやり方がずるくない?」
良心を人質に取られてしまった。
普段あんなふざけたキャラ演じといて実はこんなに努力してたんだぜってギャップ見せられてそんな人からこんな話されて気持ちが動かない訳が無い。これで燃えなきゃそれは男どころか人間かどうかを疑う。ギャップで情熱の炎を燃やすとは、これが少し前に流行ったギャップ燃えってやつか。この前の紅白戦でくすぶっていた火種が小さな炎になったばかりなのにガソリンまでぶっ掛けられて燃え尽きたらどうしてくれんだろうか。まあいずれはそっち側に行くつもりではあったのだがこうも急な話になるとは思わなかった。
腹括るか。
「女の武器の涙は使ってないわよ。むしろ男の方の土俵に立って正々堂々お願いしてるんだから問題ないでしょ?」
ぐうの音も出ない正論が試合終了のホイッスルとなる。
「わかりましたよ、先輩」
「よろしい」
いい笑顔だ。それにしてもちょっと気になることが出てきたな。
「あのさ、輝君のこと好きなの?」
「なになに? 妬いてんの? かわいいなーもう」
聞くんじゃなかった。今後色々気を使わないといけないかと思って一応聞いてみたのだが、この返しが来るのも予想できたのに一生の不覚だ。
「まぁ別に変に気を使わなくてもいいよ。てっちゃんもハルも同じくらい大好きだし大切だからさ。まあ二人とももっとアタシを優しく扱って欲しいけどね。割れ物注意ってでっかく書いてあるでしょ」
いつもの篠原が戻ってきた。なにそれ宅急便なの? 送り返してもいいの?
「善処します」
ここはとりあえず適当にあしらっとくか。
「ホントかなあ?」
篠原にいつものにやけ顔が戻る。
「どうだろうね?」
二人してにやけていると周りから変な奴らと思われそうだな。
「ホント生意気になったよねーアンタ」
「まぁ明日から色々がんばるからさ、もっと輝君のことも教えてよ」
初めて使った「がんばる」という言葉に自分で違和感を覚えたが、別に嘘をついたつもりはない。実際、紅白戦の時に自分の出来ないことがたくさん見えていた。それを一つずつ潰していくことが最初の目標だ。俺はやっとスタートラインに立てたのだろう。
今日俺は、人生の岐路に立っていたのかもしれない。導いてくれた二人にこれからサッカーで恩返ししていければいいなと思った。
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