「自分の人生にとって必要な」第19話『ウェディング・プランナー』

 夜の飲み屋街はとてもカラフルで、少しだけ縁日を思い出す。


 子供の頃、母親に連れられて神社に行った。


 金魚すくいにヨーヨー釣り。イカ焼きときゃべつ焼き。お面やくじ引き、綿あめリンゴ飴。


 どれも魅力的だったが、一番は雰囲気そのものだった。


 とくに屋台の隙間がお気に入り。


 屋台裏から隙間を通して見える光景が、とても映像的でアニメや映画の中に飛びこんだように思えた。


 設備やゴミがあったのは残念だったけれど。


 現実は映像ほど綺麗ではない。


 中には現実をしっかりと描く映像もあるのだが。


 同じように居酒屋の裏方にも現実がたくさん詰まっている。


 かなりいい大学を卒業したけれど、就職がなくて仕方なく店長をしている二十九歳男性。


 母子家庭なのでバイトをしなければ生計が苦しい十七歳女子高生。


 遊ぶお金欲しさにバイトを始めたが怒られてばかりでやる気をなくした二〇歳大学生男子。


 就職する気はさらさらないけれど、お金がないと困るのでバイトをしながらなんとなく生きているフリーター二十四歳男性。


 居酒屋のスタッフ勤続二〇年の大ベテランでこの人がいればすべての仕切りが上手くいくのだが、当人の家庭は上手く行かず、最近になって離婚した四十五歳女性。


 そして煌びやかな世界でスポットライトを浴びることを夢想し、その時を信じて努力を続ける天然のんびり系女子二十一歳と、その女優を仲間に加え映画を撮ろうと野心に燃える二十八歳男性……


「結婚式ってどのくらいかかるか知ってる?」


 バイトの始まる三〇分前。


 アキトシはビルの地下にある六畳ほどしかない狭い事務所でそんな質問をした。


「アタシと結婚するの?」


 などとのたまったのはバイト先を同じくする女優志望、シノブだ。事務所のテーブルに腰かけている。


「なんでそうなるんだ」


「うーん、女のカ・ン? なんて、冗談だから」


 ウフフフと軽く笑って見せる。


 本気か冗談かよく判らない。


 まぁ、冗談というよりは『演技』だろう。


「っていうか、バイトになると雰囲気がガラっと変わるのはいいけどさ……」


「あら誉め言葉。やっぱり気があるんじゃないの?」


「それはない」


 小柄な彼女は、髪型のせいもあって座敷童みたいだった。それにいつもおっとりしていて放っておくとすぐに迷子になりそうなイメージがある。


 それなのに、居酒屋では頼れる妖しげなお姉さんだ。


 事実、シノブの正体が天然おっとり系だと、他のスタッフは誰も思っていない。


「無理しちゃって。まぁ、迫られても困るけどね」


「……やっぱ調子くるうから、やめない、それ?」


「やーよ。これも練習なんだから」


「まぁ、そういうだろうと思ったけど……」


 バイト中、ずっと演技をしていて疲れないのだろうか?


 ただ、今に始まったことではないので、慣れっこなのかもしれないが。


「で、どんなもんか知ってる?」


「さぁ? アタシよりアキトシの方が知ってそうだけど。結婚式場のバイトもしてるんでしょ?」


「まぁ、そうなんだけど、費用がどのくらいとか、まったく気にしたことなくてさ」


「それこそ今度、式場のバイトがあったらウェディングプランナーとかに聞いてみたら? 取材も得意でしょ?」


「そうしてみるかな……」


 手帳を開き、カメラマンバイトの日程を確認する。


 やはり少し時間が空く。


 熱の高い内に知っておきたいのだが……


 そのとき、事務所のドアが開き、背の高い人が入ってきた。


 居酒屋のやとわれ店長、岡本だ。二十九歳男性。


「おう、なんの話だい?」 


 きゅっと口を結ぶくせのある岡本には、少しシニカル……冷笑的なイメージを持つが、実際は気さくでいい人だった。


「結婚式っていくらかかるのかなって話をちょっと聞いてたんです」


「するわけ?」


 アキトシとシノブを交互に指さす店長。


 二人そろって首を横に振った。


「仲いいからてっきりそうだと思ってたけど」


 店長は机の傍にあった椅子に座ると「いい?」とタバコを取り出して見せた。


「どぞ」


 アキトシはタバコを吸わない上に煙も苦手なのだが、岡本が吸うのは電子タバコだ。さして問題ない。律儀に吸ってもいいか聞いてくれるところに、この人の気づかいがあるなと思わずにいられない。


「じゃあ、映画に使う?」


「う、ま、まぁ、そうなりますかね……?」


 岡本はいつも自分から映画の話を振ってくれる。


 夢を持たず生きてきた自分からすると、夢を持って生きている奴がうらやましいのだそうだ。


 今でも夢を探している。


 就職できなかったのは、そういう『本当にやりたいこと』が見つからなかったせいかもと、こぼしていたこともあった。


 夢のない人生。


 想像すると、とてつもなく空虚な気がしてアキトシは恐ろしくなった。


 その中で強く生きている岡本は、逆に強い人のように思える。


「最近はゼロ婚ってのもあるが、知ってるか?」


「ゼロ婚?」


「いいぜ、説明してやる。結婚式の費用ってのは前払いが基本なんだ。申込金つって『結婚式をしますよ、よろしくね資金』がまずいるんだな」


 唐突な話だったが、ちょうどメモ帳を開いていたので書き留める。


「そっから式の二週間前までに費用の全額を支払うわけ。だから貯金がないと結婚できなかった」


「ふむふむ」


「それがどっこいゼロ婚ってのは元手がいらない。申込金はいるが、他はぜんぶ後払いでいいんだ。だからご祝儀を結婚費用に当てちまうわけだな」


「おお、優しいシステムなんですね」


「まぁ、その代わりプランなんかは凝ったモンにできないし、ご祝儀まるまる消えちまう感じだけどな」


 それでも結婚のハードルがひとつ下げられた感のあるシステムだ。


 ただ、肝心なところは違う。


「それで、費用ってどのくらいかかるんですか?」


「ゼロ婚なら大体一五〇万前後だ。ご祝儀の合計が大体そんなもんだから」


「ご祝儀って、そんなものなんですか?」


「まぁ、平均して一人三万と考えりゃな。五〇人呼べば一五〇万だ」


「六〇人なら一八〇万……」


「単純計算だが、まぁ、そういうこったね」


「やっぱりけっこう入るんですね……」


 岡本がきゅっと口を結んでアキトシを見た。


「変なこと言いやがるね」


「あ、気にしないでください。正規の結婚式ならいくらくらいかかるんですか?」


「呼ぶ人数によって違うが……平均的には三五〇から四〇〇ってとこだろ」


「四〇〇万……?」


 数字にシノブが首を傾げる。


 ちょっとだけアキトシは姿勢を正した。


「ともかく、結婚式は式場、披露宴の会場の手配、アルバムに映像、それを撮るカメラマン、司会者や当日の化粧、着付けの担当者だっているな。他に料理の質と、呼ぶ人数、それから花や引き出物で決まってくる。けっこう選ぶもん多いからな」


「……そうですね」


 思い出すと、たしかにそれらで結婚式は構成されている。


「ていうか、岡本さん詳しいですね」


 シノブが「すごい」といった風に感心する。


 岡本はきゅっと口を結んで笑い、うつむいた。


「一回、そこまで行ったことあるからな」


「え?」


 左手の薬指を見るが、そこに指輪はない。


「……向こうの両親の反対にあっちまって、あれよこれよで破談になっちまったんだ。けっこう、いいとこの嬢ちゃんだったから、やっぱ職がねぇとさ」


「う……」


 言葉にならない申し訳なさが体中に蔓延した。


「不幸自慢したいわけじゃないから、気にすんな。……まぁ、結婚はお互い支え合うって覚悟がありゃなんでもいけるさ」


 行くなら行けよ、と言わんばかり笑みだった。


「一方的に支えるなんて考えてちゃ、いつまでたっても結婚できねぇぜ。それから守るべきは、お互い幸せになれる道だからな」


 口ぶりからして、岡本は結婚相手と互いに信じ支え合う約束をしたのだろう。


 けれど、幸せになる道が違った。


 だから破談という選択肢を取った。


 大切にしているからこその決断。


 アキトシの妄想かもしれない。


 けれど、それが正しいと言ってくれるように、岡本は続ける。


「ただ、結婚ってのは夫婦だけの問題じゃなくなる。家族の問題だ。家と家が結びつく。もし、元の家族より相手の方が幸せなら、つながりを断っちまうのも手だがな。やらねぇ方が賢明だ」


 きっと、たくさんのことを悩んだのだろう。


 その凝縮した結論を、いま、簡単にもらっている。


 さらに知識と、勇気。


 今の自分に足りないものを、ぜんぶ。


 そんな気がした。


「ありがとうございます!」


 気持ちを入れてお礼を言う。


 岡本はきゅっと口を結んで笑うと、タバコをしまって立ち上がった。


「さぁ、そろそろ時間だ。おりゃ先に行ってるから、遅れないようこいよ」


 二人そろって「はい」と返事する。


 事務所から出ていく際に、岡本はグッと親指を立てるポーズをとって見せた。


 ――いや、だからシノブと結婚するわけじゃないですよ?


 一応、心の中で断りを入れておく。


 その当のシノブの方を見るとジト目がアキトシを見つめていた。


 人が変わったような気配さえする。


「アーキートーシー? 四〇〇万?」


「……それは、気にしないで」


「気にならない方がおかしいでしょー。まさか、詐欺でも働くつもり?」


「そういう発想にいたったか……」


「いやよー。いくら演技の練習でも犯罪の片棒は担ぎたいくないー」


「話が飛躍しすぎだし、詐欺なんてしないからっ。誤解だって……」


「じゃあ、本当に結婚するの?」


「……相手が、よければ……」


「うそ、ほんとに?」


「ま、まぁね……」


「……あ、えっと、その、え、おめでとう、でいいのかな?」


 シノブが珍しく動揺しているようだった。


 なんとなく人が変わったような気がしたのは、演じていたキャラクターが消えたせいだろう。


「オッケーしてもらえるかどうかは、さっぱりだし、下手したら振られるかもだけどね」


 急すぎる話なのは判っている。


 再会して間もない上に、ろくにデートをしたわけでもない。


 相手がどんな気持ちなのかも確かめたわけではない。


 実際、まだ職を持っているわけではないし、夢を叶えたわけでもない。


 お金もなければ自分から告白する度胸もない、ないない尽くしの男だが……


 いま、少しだけ勇気をもらった。


 ――お互いを支え合うもの。一方的に支えるなんて考えなくていい。


 けれど、いまそれを相手に期待するのは、いささか都合が良すぎるのでは?


 不安は消えない。


 けれど、きっと彼女は自分の人生にとって必要な人だ。


 少なくとも、今の自分はそう思っている。

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