「手伝ってるのは、お前が勝つと思っているから」第18話『ジーザス・クライスト・スーパースター』
大きな会社は、出入口が広くとも簡単に入れてくれるところではない。
その点、中小企業は話だけでも聞いてくれるところがたくさんあった。
就職の話ではない。
資金提供の話だ。
「んー、先日から上と話し合ってみたんだけど、ごめんなさいねぇ。投資の話も、プロダクトプレイスメントっていうの? そっちの方も力になれそうにないんですよねぇ……」
応接室で作業着の紳士にいわれた一言。
スーツ姿のアキトシは自分の肩の力が抜けたのが判る。たぶん、隣にいるマダピーも同じだ。
だが、 マダピーは笑顔で言葉を繋げる。
「そうですか。ですがご検討、ありがとうございました。もし別の企画がありましたら、またご相談させていただいてもよろしいでしょうか?」
紳士は少しだけ困ったような表情をしたが、小さく頷いてくれる。
「そうですね。興味のある企画であれば、上を説得できるとも思いますし。そのときは」
その言葉にアキトシはつい嬉しくなる。立ち上がると深くお辞儀をした。
「そのときはぜひ、またお願いします!」
「まぁ、あまり期待はしないでくださいね」
「それでも考えてもらえるだけでも違いますから!」
アキトシの勢いを他所に、マダピーは冷静にお辞儀し「それではお邪魔しました。失礼いたします」とその場を締めくくった。
ビルの外に出ると、二人は会社を振り返る。
光学機器の部品を作っている下請け会社。その隣には小さな工場があった。
マダピーはネクタイを緩めると小さくため息をついた。
「さすがにダメだったな。プロダクトプレイスメントといっても甘くない」
プロダクトプレイスメントというのは映画作品の中に商品や店舗を使って会社の知名度を広げる広告の手法だ。
資金提供を断られるというのは、そこにでさえメリットを感じられないという話でもある。やはりアマチュアの状態では資金集めが難しい。
「でも、また考えてくれるって、それは前進じゃない?」
「……次があればな」
刺々しい言葉。自分の指先に血がにじんだように錯覚する。
前を歩きだしたマダピーをアキトシは追いかけた。
「今日は、後何件あるんだっけ?」
「アポを取っているのは三件だ。だが、ほとんど飛びこみみたいなものだから、ついてこなくてもいいぞ」
「いや、行くよ」
マダピーが足を止めて振り返った。
「……知らないぞ」
どういう意味か判らなかったのだが、後で嫌というほど理解できた。
――はぁ? 映画に出資? 知名度を上げてくれるって? バカいうな。こっちが出資して欲しいくらいな状況だし、一般人に知ってもらってなんになるんだ? いいねぇ、そうやって人にたかって暮らしていける奴はよ。
――いやぁ、無理だね。でも、そうやって積極的に営業できるのは感心するよ。うちで営業として働いてみないかね? 映画、それも自主映画なんて食っていけんだろう?
――冗談きっついな。いくら返ってくるって? 博打にもならんし、それをもってアンタらが消えるかも知れんのだろ。誰が保証してくれるんだ? まずは自分たちの身を立ててからの話じゃないのか? プロ……なんだって? よく判らん横文字は使わんでくれるか?
立て続けの精神攻撃に心の半分くらいが死にかけた。
二人は逃げるように喫茶店へ入ってコーヒーを頼んだ。
周囲の席は若い人たちが熱心になにかをやっている。楽し気におしゃべりをしているグループやカップルもいた。
それに比べてどっと疲れた空気をまとっているに違いない。
「……営業、すんごいきついね……」
「だから知らんと言っただろう」
マダピーの鉄面皮は営業で培われた……というよりは元々こういうことに耐性があるのだろう。だから資金調達――営業という世界へ飛びこんだ。
アキトシから見ると、やはりマダピーはすごい人間だ。
しかし、そんなすごい人間に負担をかけているのが自分だと思うとやりきれない。
「……あとはクラウドファンディングをしかけてみるか。企画が安定したなら興味を持つ人もいるかも知れない……が、ニッチさの薄い企画にどうやって興味を持ってもらうか……出資者に対するサービスも考えないとな……」
事業に共感してくれた人たちがインターネットを通して資金を少しずつ提供してくれるのがクラウドファンディングだ。映画で資金を集める上で定番の手法になりつつある。アマチュアでは百万集められればいい方な上に、失敗することも多々ある。
考えれば考えるほど、マダピーに申し訳なくなってくる。
「……今回のことは、本当にゴメン」
「ん? ……ああ、例の本が良ければ資金を出してくれると言ってくれた人のことか」
「余計な苦労をかけちゃってるみたいで……」
「まったくだな」
「うっ……」
「現実的なことを考えるなら、そのスポンサーの意見は飲みこむべきだった」
「そ、それは……」
現実的なことを考えるなら……返す言葉はない。
ただ、金、暴力、セックスと言ったものを描きたいわけではない。
それに映画は時間がかかる。
準備にも撮影にも。
観てくれる人の時間も、言い方を悪くすれば『奪う』のだ。
描きたくないものに自分の人生を削り、その上、観客の人生さえも削っては、なんのために映画を撮っているのか判らない。
だが、そんなことを言っていては、いつまでも映画は完成しないのだろう。
あくまでアキトシの言うことは『理想』なのだ。
そんな中で、少しだけ気になることに気づいた。
「……あれ? でも、現実的なことを考えるなら、オレのために資金集めをしてくれてるのって……?」
口にしてから怖いことを言ったと思った。
しかし、もう口の中には戻せない。
マダピーはアキトシをじっと見つめた。
「意外に思うかも知れないが、僕は勝負事が好きなんだ」
「え?」
初耳だ。
「ただ、負けるのは嫌いで、やるなら勝ちたい」
ふっと笑った。
「だから、お前を手伝ってるのは、お前が勝つと思っているからだ。勝算が充分にあると考えている。つまり、それはお前に才能があると感じたからだ」
なんだか急な言葉にもじもじしてしまう。
「だが、才能を自分からつぶしにかかっているなら、僕もお前を見切らなきゃならない。そうはならないと思うが……」
マダピーはしばらく言葉を失くした。
なにか考えているのだろうか?
瞑った後に開かれた目は、少しだけ鋭さが増していた。
「やはり、主人公のことは考え直さないか? 大鳥という子を主人公にするだけでは企画にならない」
マダピーにまで言われると少し考えざるをえない。
しかし、やはり譲れないところなのだ。
「ごめん、でも彼女を企画にしなくったって、充分やれる内容だろ? 大体、役者に企画をって考えたら、有名な人を高額なギャラで引っぱってこなきゃならない。そんな予算、余計にないよ」
マダピーは顎に手を当てた。
「それも一理ある。しかし、直接その人を知らないからなんともなんだが、彼女は素人なんだろう? 大丈夫なのか?」
「映画をめちゃくちゃ観てる人だし、魅力的な人なのは保証する!」
「……惚れてるのか?」
「ほっ!?」
いきなりの質問に手が震え、思わずコーヒーをこぼしかけた。
けれど、否定すべきところではない。
「そうか、そうでないかって話なら……ほ、惚れてますよ……そりゃ……」
マダピーに大きなため息をつかれた。
「それでいいのか? 公私混同みたいなものじゃないのか?」
「いや、そこは大丈夫。惚れてるってことは、それだけ魅力的なんだ。オレにとって魅力的ってことは……」
「なるほどな。映画向きってことか。それはそれで相手に失礼な気もするが」
「ああいえばこういう」
「許せ。で、どこが映画向きなんだ?」
「へ……え、えっと……」
映画向きという言葉で言われると、少し言葉に詰まる。
それを察したのか、マダピーは質問を変えた。
「……どこが魅力的なんだ? 惚れている部分を教えてくれ」
「そ、それなら……」
が、冷静になればなるほど顔がヒートアップしていく。本当に火でも出そうだ。
ただ、このまま誤魔化したところでマダピーは納得しないだろう。
「……まずは、やっぱり明るさかな。彼女の笑顔は、なんか、すごいんだ。チープな表現だったら、それこそ輝いてるっていう感じなんだけど、そうじゃなくて、もっと瑞々しくて、甘い香りがしてきそうな。春みたいだけど、ちょっと強さもあって……果物で言うならサクランボかな?」
「サクランボ……」
「笑った?」
「いや? 続けて」
「……う、ぬ。あ、あと、やっぱ映画が好きっていう点がね。作ってる人に対する敬意もあるし、映画そのものを楽しんでるし……彼女も映画の中に行きたいって思ってるとことか……それって逆にこう、彼女の中に映画があるって感じなんだよね。人生の中に映画が切り離せない感じ。たくさんの物語や画や役者やセリフが、彼女を作ってるっていうか……」
「映画の申し子だと?」
「そんな感じ!」
「他には?」
「ま、まだ聞くか……」
「というか、付き合っているのか?」
「うっ……」
デート最中の口付けを思い出す。
それと同時に七谷の目も思い出した。
「ぐ……」
「どうした、心臓発作か? 水でも飲むか?」
「縁起でもないこと言わないでくれ……」
「で?」
「……付き合っては、ない……」
「ほう。片思いか?」
「そ、それは……違うと思う……」
大鳥は間違いなく好意を寄せてくれていると思うが、確かになぜ好きになってくれているのだろう?
急に変な自信が崩れかかった。
「ふむ……? 両想いだが、付き合っていない。あれか。自分が相手に不相応で返事をしてない軟弱な感じの奴か?」
「え、えぐってきますね……」
「はっきりしないと嫌われるぞ」
「ぐほぉっ! ……ま、まぁ、それはそう思う」
「自信をつけるために映画を撮ろうとしている……というのもありそうだな」
「すごい。今日のマダピーは殺人鬼のようだ……」
「映画を観てもらうため……マーケティングのためには心理学、人間観察も大切だからな。ある程度の情報があれば個人のことも判る」
メガネをしてないくせにメガネを上げる仕草をした。
「……しかし、忠告しておかないとな。本当に惚れているんだったら別に考えることがあるんじゃないのか?」
「別に……?」
「そうだ。映画をあきらめて、生活の安定を計り、家族を作ることを考えろ」
冷静な口調だったが、明らかに怒っているような気がした。
ナイフを刺されたみたいに、胸に冷たさが入りこむ。
「二兎追う者は一兎も得ず。中途半端にするくらいなら、可能性のある方に賭けておけ」
「そんなこと……」
できるはずがない。
自分が映画を諦めて結婚を選ぶということは、ここまで巻きこんだ全員を見捨てるということだ。
少なくともアキトシはそう思う。
だからこそ、みんなが幸せになる選択。
自分が映画を完成させ、改めて自分から告白をするのだ。
そして……
「……あっ! ごっ!?」
思いついてしまった。思わず立ち上がり、テーブルに太ももを打ちつけ、痛がる。コーヒーは一応無事だった。
マダピーも心配してくれた。
「……大丈夫か?」
「ご、ごめん。でも、思いついた……ひょっとしたら、資金、なんとかなるかも……!」
ほんの少しの問題はある上に、荒唐無稽で、一気にぜんぶ失う方法かも知れないが。
逆に一気にすべてを解決する方法にもなる。
「……聞かせてもらおうか?」
マダピーはテーブルの位置を直すと、改めてアキトシに視線を向けた。
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