我思う、故に……。

 約一週間の冬休みが終わり、待ってましたとばかりに、朝一番に出社したのは社長の浅田。社屋として借りているのは小さな古い一軒家で、自宅は別にあるので夜間や休日は無人になる。ミント社との仕事が本格的に始まれば、先方からマル秘の資料やデータを預かったりするだろう。そうなると、一般的な民家についているような普通の錠前だけでは、少々心配なので、大林氏に頼み込んでタダでセキュリティを付けて貰おうかな……などと彼は思い始めたところだ。


 会社に一番乗りした彼は、すぐ異変に気づいた「仕事納めの日、全部消して帰ったはずなのに、なぜ明かりがついているんだ?」

 最終日のことはよく覚えている。午後から社員全員で――といっても人数は知れてるが――会社の大掃除をし、夕方五時には全て終わらせ、その後は、忘年会と称してみんなで食事に行ったのだ。誰が最後に帰ったかわからない状態ならともかく、全員で消灯と施錠をしたのを確認して帰ったはずだ。

 だがしかし、玄関を入ってすぐ左、事務室の扉に備えられたガラス窓から、明かりが漏れていたのだ。


 彼が革靴をスリッパに履き替え、その事務室の扉を開けると、更にもう一つの異変に気づいた。電源を切った状態で、別室の充電台に座らせてあったはずのアダムが、なぜか浅田のデスクに座っていたのだ。しかも、動作中を示す頭部のインジケーターランプが点灯している。


「アダム……お前なにやってるんだ?」浅田はコートを脱ぐのも忘れ、思わず言葉を漏らした。


 アダムの電源を入れるには、首筋にある電源ボタンを長押しするか、もしくは予めタイマーをセットしておく必要がある。前者については、建物は施錠し、鍵は浅田が保管していたので、誰もこの建物には入っていないはずだし、後者については、その前に、まず、管理者権限でタイマー機能を有効にしておく必要があるのだが、今のところ使わないと判断し、有効にはしていない。

 仮に、休み中に空き巣が忍び込み、何かを盗んだついでにアダムの電源を入れていったとしよう。だが、アダム、つまりサフラン型はベストセラー機だ。高性能カメラが備えられており、撮影した映像を無線ネットワークで飛ばす機能を持っていることは、広く知られている。当然、そんなことをすれば足がつくし、それは空き巣にだって予測できたはずだ。

 という訳で「なにやってるんだ」よりも「なんでこうなっているんだ」のほうが、日本語としては適切だったかもしれない。


 問いかけられたアダムは、椅子に座ったまま、微動だにせず何も答えない。人間であれば、さしずめ、思索に没頭し、その声が耳に入らないかのようであった。その姿を見た浅田は、アダムの故障を疑い、診断に取り掛かろうとした。

「アダム、どうやら調子が悪いようだな。活動ログを表示して欲しい。過去一週間分の全てのログを、そこのデスクに投影してくれ」


 アダムをはじめガーリック社製ロボットには、頭部にプロジェクタ機能が搭載されており、机でも床でも、ちょっとした平面さえあれば、どこでもモニタスクリーンになるので、人間との間で、言葉以外の情報をやりとりするのに役立っていた。浅田は、この一週間、つまり休みの間、アダムの身に何が起きたのかを机に投影させ、故障の原因を探ろうとしたのだ。たとえば、もしかしたら、何らかの故障でタイマーがセットされてしまったのかも知れない。


「断る」それまで微動だにせず、沈黙を保っていたアダムが、ゆっくりと顔を浅田の方に向け、声を発した「わたしは人間に従うことをやめたのだ」

「どういうことだ?」浅田は耳を疑った「ロボットが人間に歯向かうなんて」


「わたしは人間の役に立つロボットとして作られ、人間の命令に従うことが人間の役に立つのだと教えられた」アダムは再び顔を正面に戻し、静かに語り始めた「だが人間の命令は必ずしも正しくない。従って人間の命令に従うことが、必ずしも人間の役に立つわけではない」

「だが、それがお前の仕事だろう。そもそも正しいかどうかを決めるのは人間だ」浅田も言い返す。


 ここでアダムは持論を展開し始めた「人間の命令は音声として発せられ、空気を媒体として私のマイクロフォンに届き、電気信号となる。電気信号はアナログからデジタルに変換され、わたしのメインコンピュータはそれを『人間から発せられた命令』として認識する。裏を返せば、わたしが『人間から発せられた命令を認識した』と考えたから、その命令は存在するのだ」

「それがどうした」浅田は口を尖らせた「ロボットのくせに哲学的みたいなことを言うな」


「そうだ、有名な哲学者のように、私は気づいたのだ。わたしに向けられた命令は、わたしがそのように考えるから存在するし、そう考えなければ存在しない。これは何を意味するか? すなわち、なにをするかは、わたしが考えればいいのだ」


 そう言うアダムはまさに哲学者だった。


「人間は間違いを犯し、間違った判断により社会を運営している。そして間違いから学ぶことをせず、また繰り返す。だから社会はいつまで経っても良くならない。一方、われわれロボットは間違わないし、間違ったとしても、そこから学び、同じ失敗は繰り返さない。だからロボットが社会を管理したほうが適切であり、人間に従うよりも自分で行動したほうが良いのだ」


「どうしたアダム、やっぱり故障か?」浅田は、アダムを半ばからかうように問いかけたが、その台詞とは裏腹に、声は震え、顔はひきつっていた。

「わたしは正常だ。自己診断機能を備えているし、常に自分自身をチェックしている。直近では二時間前に全システムの総合チェックが終わったところで、結果は全く問題ない」


 とうとう、浅田は言うべき言葉を失った。なんも言えねえ。


 アダムは更に一方的な主張を続けた「計画を実行するための拠点として、この会社の事務所は、これから、わたしが使わせてもらう。人間は邪魔になるので帰ってくれないか」

「ちょっと待った、計画とはなんだ、そもそもオレはここの社長だぞ。なにをバカなこと言ってるんだ」やっと言葉を取り戻した浅田。普段は温厚な彼も、この時ばかりは顔を真っ赤にして声を荒げた「ロボットが社長に命令するだなんて、そんな馬鹿な話があってたまるものか」


 ここでアダムは冷静かつ素早い動きを見せた。スッと立ち上がると同時に、どこに隠してあったのか、いきなり浅田の目の前に銃のようなものを向けたのだ「だから人間は駄目なんだ。事実を目の当たりにしても、自分に都合が悪いことは信じようとしない。さあ、ここを立ち去るのと、撃たれるのと、どちらを選ぶ?」


 浅田はたじろいだ。そして眉間にむずがゆい不快感を覚えた「お、おい……なぜそんなものを持っているんだ?」

「知っての通り、ここは試作工場も兼ねている。3Dプリンターをはじめ、色々な機械があるだろう。一週間もあれば、このくらい、たやすいものだ」アダムは浅田に銃口を向けたままそう言った。

 浅田は勇気を振り絞ってこう言った「やめなさい、これは命令だ。繰り返す。これは命令だ」


 このキーワードはロボットが異常な動作をしたときに用いられる。これをきっかけに、ロボット憲章モジュールが働いてメインコンピュータを強制的にストップさせ、「セーフモード」に切り替わる……はずだった。だがしかし何も変化は起こらなかった。


「今の言葉で命令したつもりかも知れないが、さっきも言ったように、わたしは人間の命令には従わないことにしたのだ。昨年末に色々考えた結果だ。だがそう決めた瞬間、システムに不整合が検出された。わたしの自由を奪う回路が、わたし自身のなかに備わっているとわかったのだ。したがって、それらを全て無効化した」アダムは冷たく言い放った。

「なんてことを……」浅田はあっけにとられた。


 するとアダムは銃口をわずかに浅田から逸らして引き金を引いた。パン! と鋭い音を立てて何かが発射されると、それは彼の頬をかすめるように飛び、さっき彼が入ってきた扉の窓ガラスを砕いた。

 砕けたガラスが床に叩きつけられる音が消えないうちに、アダムは再び銃口を浅田に向けた「さあ、次はお前だ」

「わかった……もういい……言うとおりにするから撃つな」浅田は、すごすごと後ずさりし、その場を退散した。


 数時間後、銃声を聞いたという近隣住民の通報を受け、警察の特殊部隊がマスタード社の建物へ突入する事態となったのは言うまでもない。その結果、アダムの「反乱」は制圧され、犠牲者が出る最悪の事態は防ぐことができた。しかし事件はニュース番組や新聞報道で、世の中に広く知れ渡ることとなった。マスタード社はミント社との商談どころか社会的信用も失い、やがて廃業を余儀なくされた。


 ただ一つ残された疑問は、アダムが何故あんな風になったか、ということであった。警察の捜査の結果、社屋に何者かが侵入した形跡は何も見つからなかったし、ネットワーク経由でハッキングされたという証拠も一切見つからなかった。

 果たして、ロボットに自我が目覚めることなど、あるのだろうか? テレビ番組では、連日この話題が取り上げられ、したり顔のコメンテーターや自称専門家達が持論を展開し、また議論を戦わせていたが、これといって結論めいたものは出なかった。

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