第4話
「いってきます」
いってらっしゃい、と笑顔で母さんから声がかかる。未唯も眠たそうに目を擦りながら、普段より随分低い声で声をかけてくれた。
玄関を開けるとカラン、と音が鳴る。おもためな鈴の音だ。夏と冬で母さんが鈴を取り替えるため、この冬の音とももう少しでお別れだ。夏はシャララ、と涼し気な音をたててくれる。
「たーく、おはよ」
いつもは聞かない声。玄関を開けてすぐの塀にもたれるようにして佐藤が立っていた。
いつもなら侑希と一緒で朝練がある佐藤だが、今日は休みでここにいる。
それに佐藤の家は俺の家より少し遠いため、普段はこんな時間よりもっともっと早く家を出ているんだろう。この時間でもあくびがでてる俺に比べ、こいつは朝からすごい笑顔を振りまいている。
「おー、はよ」
「寝不足か?」
「なんでだよ、通常運転だわ」
逆になんで朝からそんなに元気が溢れているかの方が気になる。と、俺は口には出さなかったが、表情全面に不満の色を覗かせた。俺よりだいぶ睡眠時間少ないよな?それなのに、朝の太陽と同じくらいさんさんと惜しみない笑顔を向けてくる佐藤。
あぁ、朝日が目にしみる。すこし目を細めた。
「新任の先生?」
学校に一番近い駅で電車を降り、ホームを出てたくさんの生徒に囲まれながら通学路を歩く。
そこで俺は、昨日侑希にした質問と同じ質問を佐藤にもしていた。佐藤は、きょとん、と効果音でもつきそうな顔になったあと、その顔のまま眉をよせる。「なんの話?」みたいな顔からの「あぁ、誰かいたっけ」て感じの表情の変化だ。
だいぶ間抜けな顔をしているが、面白いから黙っておくことにする。
「宮野先生しか知らねぇなぁ」
うーん、と頭を捻り、もっと眉を寄せながら答える佐藤は昨日の侑希そっくりだ。そして返ってきた答えも、また『宮野先生』。昨日の夜もその名前を反芻しながら寝たが、またでてくるのか。
だれだよ。
「あー、それ侑希にも言われたわ」
「だろうな」
俺は全く意味がわからないのに、佐藤は何か分かっているかのように笑った。なんで、お前も侑希も共通の人しかしらないんだよ。
え。もしかしてその『宮野先生』があいつ?
だらだら歩く俺らは同じ制服を着た生徒達に次々に追い越されていく。歩幅を合わせて歩いてくれている佐藤も一緒に。もうだいぶ暑いのか、半袖だけで投稿している生徒もちらほら見られる。俺はまだブレザーをしっかり着ているが。
「若い新任って、宮野先生くらいしかきてないだろ」
普通に生徒からも人気だよ。と続いた佐藤の言葉に俺の頭には疑問符が浮かんだ。
あんな人に興味無さそうな教師が人気なのか?
褒められるの顔ぐらいじゃねぇ?
思わず、みんなそう思うのか、と目の前を歩いているそこそこ背の高い爽やか風の生徒を凝視してしまうが、やっぱり、違うな、と自分の中で勝手に決定づけた。
なんとかぎりぎりで学校に滑り込んだ俺たちは、教室までを小走りで向かう。遅刻ではないが、気分的にだ。
「おれ、朝練終わって戻ってきてもこんな遅くならねぇよ」
「遅刻じゃねぇんだから文句言うな」
確かに朝練があるにも関わらず、俺より早く教室にいる佐藤。いつも「遅せぇよ」と声をかけられていた。
がらり、と勢いよく教室の扉を開けると、まだ先生は来ていなかった。
俺が入ってきたことで一瞬しん、となった教室だが、その後に入ってきた佐藤の挨拶でみんないつも通りの反応を示していた。
HRの時間をすぎてからばたばたと教室に入ってきた担任に今日ばかりは少し感謝した。
いつも通り昼を屋上にでも行こうと考えていた俺に小さなハプニングが起きた。
朝練がなかったからなのか、その反動でダッシュで昼の自主練に行った佐藤。俺の目の前にはあいつのお昼の入ったお弁当包み。届けないと確実にあいつはお昼を食いっぱぐれるだろう。
屋上にいくのは諦めるか。
昼までの予定を変更して、俺は体育館に向かうことにした。
二階の隅にある俺の教室から一階にある体育館まではあまり遠いとは思わないが、割と距離はある。そこはあえてゆっくり歩いてやった。
体育館に近づくにつれ、色々音が聞こえてくるようになった。佐藤1人しかいないと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ボールをつく音。シューズと体育館の床の摩擦の音。ガコン、と何かに当たるような音。聞こえてくる音の全てが聞きなれない音だった。
──ガラ
思っていたより重かった体育館の扉を力を込めて開ける。錆びているのか、ギィ、と音を立てながら開いた。中に視線を向けると、3~4人の生徒が走り回っている。
制服ではなく、きちんと運動する格好に着替ている彼らは既に流れる程の汗をかいていた。
各々にやりたいことをやっている印象だが、扉が開いたのにも、俺が入ってきたことにも誰も気が付かないくらい真剣で、ほとんど沈黙と息遣いしか聞こえてこない。ここに来るまでの、校舎のざわざわ感とはかけ離れていて、不思議な感じだ。
中に、侑希も見つけることができた。家にいるときのようなゆるい感じは全くなく、幾分か鋭くなった視線で目の前の男子生徒と向き合っている。
目当てだった佐藤も見つたが、声をかけるのは忍びなく、しばらくそこにいることにした。
どれくらい経っただろうか。
相変わらず、生徒達は体育館の扉にもたれてる俺に気が付かない。
もうそろそろ昼休み終了の予鈴がなるんじゃないかと、時計に目を向け、今まで眺めていた生徒たちから視線を外した。1を指した短針と、6を指す長針。そろそろ予鈴が鳴るな。その思った時だった。
俺がもたれかかっていた扉の隣の扉が、ぎぎ、と音をたてて開いた。蒸し暑かった館内に、涼しい風が送り込まれる。耳にも、ここに来るまでと同じような生徒たちの声が入ってきた。
そして。
「そろそろ着替えて教室もどれ。
授業間に合わなくなるぞ」
真横から聞こえた声は。聞き覚えがあるそれで。
少し間延びしながらもよく通る声と、僅かに香ってくる煙草の香り。顔を見なくてもわかった。
屋上で会った、あいつだ。なぜか、胸がどくん、と大きく鳴った。
「宮野せんせーい。今日朝練なかったんだからもーちょっとだけ」
「しょうがない。って言いたいところだけど、お前ら朝普通に練習してただろ。」
だめだ、というふうに首を横に振る屋上の、あいつ。それに、「えー」と不満気な声を上げる、侑希と向かい合っていた男子生徒。この生徒は短くきり揃った髪と、猫のような、男子にしては大きめの目。半袖の練習着らしきシャツから覗く腕にはもりあがるくらいの筋肉がついており、細身の体を逞しく見せている。全体的に爽やかな印象を受ける、好青年だ。
そんなことより。俺は聞こえた単語に疑問を覚える。『宮野先生』?
「あれ?拓、何してんの?」
汗を拭いながら近づいていきた佐藤は固まる俺を見て、声をかけてきた。拭っても拭いきれていない汗。息もまだ上がっていて、頬も赤く上気している。
腕と横腹の間にボールをもち、首を傾げる佐藤。立ち姿がちょっと様になっててむかついた。
「宮野先生?」
そんな佐藤に構っていられず、俺は思わず、疑問が口についてでてしまった。
その瞬間、隣にいた屋上のあいつと視線が絡む。
柔らかな目元に鋭さが浮かぶ目。耳くらいの位置で男らしく切りそろえられた髪がさら、と揺れ、甘い匂いが鼻をくすぐる。そして、昨日とは違う紺色のスーツに黒いネクタイ。
屋上で会った時と同じように、また俺は、今度は真正面で向かい合ったまま視線をはずすことが出来なくなった。
まわりのものが全てぼやけ、クリアに見えるのはこいつだけ。
「どうした?」
間違いなく俺に向けて発せられたであろう声も、耳に入ってきただけで、あぁ、こんな声だったか。と意味を理解するまでには至らない。
俺より10センチとちょっとくらい高いであろう頭の位置から発せられる声。上をむくことになる首は普段あまりみあげることがないため、少しの痛みをうったえてきた。
「大丈夫か?」
そいつの手が俺の頭に乗る。髪に、すっと指が絡まったところで、やっと意識が元に戻った。
何が起こったのかを頭が処理している最中にバグが起こったような感覚に陥る。
「……っあ、」
俺は思わず、自分の頭にある手を払いのけた。
驚いたように目を開いた『宮野先生』がしっかりと目に入る。きれいにふちどられたまつ毛も一緒に。
「あ。もしかして、昨日の」
俺が振り払った手のことには触れることなく、『宮野先生』は話を戻した。
そうだ、という意味を込めて、俺は頭を縦にふる。周りにいる多分バスケ関係者であろう生徒達は、よくわからない顔をして、『宮野先生』を見ている。
『宮野先生』が開けた扉から入り、頬をかすめる風は昨日とは違い、少し冷たさを含んでいる。そう感じるのは、体育館のなかの温度のせいか。ただ気温が低いのか。それとも、上気した俺の体のせいなのだろうか。
「昨日ってなんすかぁ?」
微妙に笑いを堪えているような顔で佐藤が『宮野先生』に問いかけた。『宮野先生』は顎に手をあてて、考える仕草をとったあと、俺と視線をあわせて「内緒だよ」と笑った。
その答えに佐藤の笑みがまた深くなる。
「ほら、早く帰れ。
お前らが授業遅れたら俺が怒られるんだからな」
はいはい、と背中を押され、はんば強制的に体育館を出る。一歩だけ、外に足を踏み入れた時に、ぐっと後ろに体が引かれた。思わずよろけかけた体を持ち直し、制服がなにかに引っかかったようだったので、後ろを振り向く。そこには口角を少し上げた『宮野先生』がいた。そしてその手には、俺のブレザーの裾が握られていた。
「また、あそこでな。あんまりさぼりすぎんなよ?」
悪戯っ子のような笑顔を向けてくる『宮野先生』に思わず胸がなった。
先に着替えに行ったバスケ部の生徒たちにも、その人たちを追っていった佐藤も見ていない。「しー」っというような人差し指を立てて鼻に当てるような仕草つきで、『宮野先生』は笑った。
なんでこんなにこの人のことで頭がいっぱいになるのか。この人から視線が外せなくなるのか。探してまで会いたいと思うのか。
この時、俺の中で何かが落ちる音がした。
そらいろルーフ みー @mi--sky
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