3

 戸を開けると、入り口の隅に取り付けられていた鈴がチリン、と気持ちのいい音を立てた。入って右脇には木製の長椅子が置かれていて、その傍に置いてある石油ストーブには赤々と火が点っている。ガラスケースの向こうには誰もいない。ストーブの上に置かれたやかんからはしゅんしゅんと湯気が立っていた。

「すみません」

 恐る恐る小声で声を掛けてみると、階上でなにやら物音がした。見回すと、左手のほうに細く急な階段が作られていて、ぎしぎしと木の軋む音が聞こえてくる。

「いらっしゃいませ」

 やがてお盆を持った店員らしき人が姿を現した。背が高く、落ち着いた雰囲気ではあったが、よく見るとまだ顔に幼さが残っている。中学生くらいだろうか。長い髪をひとつにまとめ、白いセーターにスキニージーンズ、その上からデニムのエプロンをかけていて、そのシンプルさが、はっきりとして整った顔立ちの彼女にぴたりと似合っていた。

「すみません。今日はあいにく店主が不在でして」

「あっ、そうなんですか」

「私では詳しいことはあまりご説明できないかもしれませんが、良かったらゆっくりとご覧になってくださいね」

 成田が警戒されたのは「店の主人」だと聞いている。とすればきっと、それはこの子の言う「店主」のことだろう。ひとみは素早く考えをめぐらせた。店主の不在が吉と出るかもしれない。とりあえずはただの客を装って、様子を見よう。この子にまで警戒されたらいけないし。

 ゆっくりとガラスケースのほうへ進むと、中を覗き込んだ。そこには木箱に入った薬草がずらりと並べられていて、その一つ一つに効能についての説明書きが付けられていた。

「このケース内に並んでいる薬草については、普段、お客様の体調や好きな味などをお聞きしながら、オリジナルで調合するんです。今日は店主がいないので、予めブレンドされたものしかお売りすることができないんですけど……」

 女の子は、パッケージに入れられた商品をいくつか見せてくれた。

「こちらは予め飲みやすく調合した商品です。いくつか種類がありますけど、はと麦やほうじ茶、黒豆茶などをベースに作られたものなので、どれもお気軽に取り入れてもらえますよ」

「へえ」

「こちらのブレンド茶を先ほど二階にいらっしゃるお客様にもお持ちしたのですが、美味しいっておっしゃってくださって。良かったら、お客様も試飲してみませんか?」

「えっ、いいんですか?」

「もちろんです。そちらの椅子に掛けてお待ちください」

 ストーブ横に置かれた長椅子を勧められ、店内を観察しながら待っていると、彼女は温かいお茶を出してくれた。

「良かったらこれも。祖母の作ったかきもちなんです。焼きたてで熱々なので、気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」

 こんなに色々よくしてもらうと、身元を明かさないままこそこそと探りを入れることに一抹の申し訳なさを感じてしまう。頂きます、とひとみは湯飲みを手に取って、一口飲んでみた。

「あれっ、これ、ほうじ茶?」

「ほうじ茶ベースですが、実は色々とブレンドされているんですよ」

 薬草って言われるとちょっと飲みにくいのかとも思ったが、そういうわけでもなく、すっと体に馴染む感じがした。

「これ、いいなぁ。おいしいです」

「こちらはティーバッグの商品になります」

「ちょっとパッケージ見せてもらえますか? ……わぁ、かわいい。プレゼントにもよさそう」

「ありがとうございます」

 ……というやり取りの途中で、気づいてしまった。

 ――もしかして私、ただの客?

 いかんいかん。無理やりとはいえ、一応仕事として頼まれたのだし。ええと、一番最初は何だったかな。

「あっ、あの……」

「はい」

「えっと、このお店の創業と沿革は……」

「はい?」

「あっいやっ」

 緊張しすぎて、成田が書いた文面をそのまま諳んじてしまった。

「とっても古い建物だし、いつからあるのかなー、って」

「多分、薬舗としての創業は江戸後期とか、そのあたりだったと思いますけど、それから色々あってここに落ち着いた経緯について、私は詳しくなくて。あっそうだ、パンフレットがあります。良かったらどうぞ」

「うわっ嬉しい! 助かります」

 喜んで受け取ると、彼女はちょっと怪訝な表情を浮かべた。

「あの」

「はい?」

「もしかして、何か調べていらっしゃいます?」

「えっ」

「今、『助かる』っておっしゃったから」

 ……やばい。この子、鋭い。

「いいえ、そういうわけじゃなくて。素敵なお店だったから、単に興味があっただけです」

 心の中では血の気が引く思いだったが、何とか平静を装って答える。それを聞いた彼女は「そうですか」と表情を緩めた。

「いえ、先日、おかしな取材依頼が来たって店主が言っていたものですから。記者みたいな人が調査に来たら相手にするなって言われていて」

「へえ……」

「うちの店主、ちょっと神経質なんですよ。それ以来ずっとぴりぴりしちゃってて。ほんと困るんですよねぇ」

「おかしな取材依頼、ですか」

 おっかなびっくり、彼女の話に便乗してみる。

「お店の取材なら宣伝にもなるし、そんなに神経質になることもなさそうなのにねぇ」

 そう言ってみたが、「普通の取材なら、そうなんですけど」と、彼女はただお茶を濁すだけだった。成田が「警戒されると逆に何かあるような気がする」と言っていたが、確かにそんな気がしなくもない。だけど、記憶を奪う種? にわかには信じられない話だ。もうちょっと突っ込んで質問してみようか――と思った、そのとき。

 背後で勢いよく戸の開く音がした。

「前田さん、まだいる?」

「あっ、伯父さま!」

 外の冷気がさっと店内に流れ込む。振り返ると、入り口のところにでっかいおじさんが立っていた。オレンジ色のツナギを着ていて、伸びっぱなしのくせ毛を後ろでひとつにしばっている。首元にはタオル、履物は長靴といういでたちで、完全にどこかの作業現場から抜け出してきた人という格好だった。

「二階で待っていただいているから、早く」

 彼は返事を待たぬまま、ずかずかと店を横切ると、慌てた様子で二階に上がっていった。

「もう! いくら急いでいるからって、お客様に挨拶ぐらいすればいいのに」

 階段を見やりながら不満げに呟くと、彼女は申し訳なさそうにこちらに目を向けた。

「ごめんなさい。私の伯父なんですけど、普段は田舎の山奥で暮らしているせいか、ちょっと変わっているんです」

「さっき、二階にお客様がっておっしゃってましたよね。お待ちあわせか何かですか」

「ええ、まあ。雪で伯父の到着が遅れちゃって、待たせてしまって」

「では、あの方が店主さん?」

「いえ、店主は私の母なのですが……」

 彼女は探るような目をこちらに向けた。

「やっぱり、何かお調べだったりします?」

「い、いいえ」

 あれっ。もしかして、警戒されてる? この子、ちょっと鋭いところがありそうだし、そろそろ退散するべきかもしれないな……。

「あのっ、お茶、ご馳走様でした。あと、さっきのかきもち、とても美味しかったんですが、もしかして売っておられますか?」

「ええ、いつもはないんですが、ちょうど今入荷しています。これなんですけど、食べる直前にオーブントースターで焼いてくださったらいいですので。保存する場合は、冷凍すると長持ちします」

「じゃあ、これとこれ、頂きます」

「ありがとうございます」

 包装と会計待ちのときに、成田のメモ書きを頭の中で反芻した。創業と沿革についてはパンフレットからの抜粋でいいし、商品のラインナップが書かれた紙も貰った。味見もある程度できたし、外観と内装に関しては、後でネット検索しつつ、自分が実際に見た印象をメモ書きして渡す、として……。

「四」以降の取材ポイント。本来なら、これが一番大事なんだろうけど、どうしよう? 「聞けたら」と書いてあるし、そもそも私を差し向けた時点で、あんまり期待してもいないんだろうけど……。

 レジ前で悶々と考えているとき、二階から二人の男性が降りてきた。一人は、さっき駆け込んできたオレンジのツナギ姿のおじさん。そしてもう一人は、スーツ姿の男性。

 ――到着したばかりなのに。もう用事は済んだということ?

「ごめんなさい、ちょっとだけお待ちいただけますか?」

 ひとみに向かって申し訳なさそうにささやくと、店番の女の子は急いでレジを出た。その手には、さっきひとみに淹れてくれたティーバッグのセットが握られている。

「前田さま」

 スーツ姿の男性が立ち止まって、彼女のほうを振り返った。

「今日は遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。あの、これ、さっきのお茶です。裏に植物名と薬効が書いてあります。良かったら奥さまとご一緒にどうぞ」

 手渡された袋を見て、彼は最初「いいんですか?」と戸惑っていたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます。こちらこそ長居してしまい、申し訳なかったです」

 彼はそのまま、ツナギ姿のおじさんに向き直った。

「ではまた、ご連絡をお待ちしています」

 おじさんは神妙な面持ちで頭を下げる。それを見届けると、男性は丁寧にお辞儀をして、帰っていった。

 彼を見送ったあと、おじさんはゆるゆるとした動きでストーブ脇に置かれた長椅子に腰掛けた。疲れた表情を浮かべ、首に掛けたタオルで顔を拭いながらふう、とため息をつく。

「雪で全然車が進まなくて。参ったよ。大分待ってもらった?」

「うん。途中で電話してくれたら良かったのに」

レジに戻った彼女は、ひとみが頼んだ商品を包み、てきぱきと紙袋に入れてくれた。

「お客様、大変お待たせしました。商品はこちらになります」

うん。紙袋も包み紙も和紙が使われていて可愛い。満足! 

……ではあるのだが。

私、このまま帰るべきなんだろうか?

ひとみは、疲れた様子で長椅子に腰掛けるおじさんに目をやった。彼もこの店の関係者のようだけれど、その佇まいには、何かしら引っかかるものがあった。レジの子の伯父(もしくは叔父)とのことだが、確かに、はっきりとした目鼻立ちがよく似ている。もしかしたら、親子と言われてもそうかな、と思ってしまいそうだ。一瞬、どうしようかと迷ったのだけど、店の関係者も二人揃っていることだし、去り際に思い切って本題を切り出してみることにした。不審に思われることがあっても、あとは帰るだけだし、そのときはそのときだ。

「あの。ひとつ伺いたいことがあるんですが……」

「はい、何でしょう?」

「実は私、『人の記憶を奪う種』というものがこの店で扱われていると聞いたのですが」

 ひとみの話を聞いた途端、レジの子の顔から表情が消えた。

「それって、事実ですか?」

 気のせいだろうか? ほんの一瞬、彼女が長椅子のおじさんに目配せを送った――ように見えた。

「……ええと、それは」

「ねえ。そこのお嬢さん」

 唐突に背後から声を掛けられる。振り返ると、おじさんがにこにこと笑みを浮かべ、ひとみに向かって手招きしていた。

 彼は「ここに座って」と言いながら、自分の座っている長椅子をぽんぽんと叩く。

「えっ?」

「いいから。ここに座って」

 どう答えていいか分からず、助けを求めるようにレジの子に目をやると、彼女も少し不安げな様子でおじさんを眺めていた。が、特にその成り行きを妨げるような素振りもない。どうしよう。少し迷ったが、ひとみはそろそろと椅子に近づき、言われた通りおじさんの隣に腰掛けてみた。

「ちょっと失礼」

「えっ――あ、」

 座るや否や、両肩をがっちりと掴まれ、ぐいっと身を寄せられる。

「あのっ……」

 ち、近い!

 目の前に、ひとみの目をじっと覗き込んでいるおじさんの顔があった。目を逸らしたくても、蛇に睨まれた蛙のようになってしまい、動けない。こんな至近距離から、しかも出会ったばかりの他人に大真面目な顔で直視されたことなどあるはずもなく、恥ずかしさといたたまれなさで今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。どうしよう。私、おじさんに迫られるの? それとも殴られる? もしかして、とんでもない地雷を踏んじゃったとか?

「ごっ、ごめんなさい! 私――」

 さっきの質問、なかったことにさせてください! 

 不安がピークに達し、半泣きになりながらそう訴えようとしたとき、不意に両肩にかかっていた圧が無くなった。

「ごめんごめん。きみの事、どこかで見たことがあったような、って思ったんだけど」

 先ほどまでの強引さはどこへやら。さらりと軽い口調で言うと、彼は申し訳なさそうな表情を浮かべ、頭を掻いた。

「よく見たら、人違いだったわ」

「……あ。そう、なん、ですか……」

 なんだ、そういうこと? ――っていうか。本当にそんなこと?

「ところでさっき、記憶を奪う種、とか言ってなかった? そんな浮世離れした話、きみ、本当に信じてるの?」

「……ですよ、ねえ。私もそうは思うんですが」

「常識的に考えてありえそうもない話だし、少なくとも俺は、この店にそんな種が置いてあると聞いたことはない。なあ実花、おまえはどうだ?」

「え? あ、うん。聞いたことない、です」

「ここは薬草の店で、時期によっては植物の種も扱うから、誰かが面白おかしくそんな薬効をでっち上げただけなんじゃない?」

「そうなんでしょうか……」

「うん。まあ、そういうことだから」

 笑顔のまま、彼はひとみを促して立ち上がらせると、引き戸の前に誘導し、がらがらと戸を開いた。

「きみのボスにも言っておいて。おかしな詮索をしたって何も出てこないし、この店のためにも、あんたのためにもならない、ってね」

「えっ」

 一瞬、背筋がぞくっとした。どういうこと? なんでさっき会ったばかりの人に色々バレちゃってるわけ?

「今晩は大雪になるはずだから、一刻も早くおうちに帰ったほうがいいよ」

 背中をとん、と押され、外に送り出される。

「あのっ……!」

 まだ聞きたいことが、と言おうとしたが、引き戸の向こうのおじさんは「足元、気をつけてね」とだけ言うと、にこやかな顔で手を振り、ぴしりと戸を閉めた。



 ……どうして。

 色んな「どうして」が頭の中に渦巻いていたけれど、扉は閉じられてしまった。どうやらひとみは店を追い出されたらしい。

 さっきのおじさんの目。なんだったんだろう。ぱっと見、何てことないくたびれたおじさんって感じなのに。あんなふうに心の奥底まで暴き出すような、強い目力を持つ人を、ひとみは見たことがなかった。

 ――おかしいな。すごく怖かった、はずなんだけど……。

 肩に載せられた手のひらの重み。心まで射抜かれてしまうのではと不安になる、けれど目が離せない、あのぞくぞくするような感覚。

「……さむっ……」

 湿り気を帯びた北風が、温まっていた体にびゅうと吹き付ける。いつまでもここに突っ立っていたって仕方ないし、帰るしかないんだろうけど……。

 まだ頭の芯がぼうっとしていた。こめかみに片手を添えると、ひとみは空を見上げた。

 おじさんの言葉通り、来たときよりも一層暗く垂れ込めた雲間からは、今にも重たい雪が落ちてきそうだ。



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