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ストーブの上に置かれたやかんを手に取ると、藤堂実花は急須にお湯を注いだ。カウンターの奥に置かれた小型テレビからは、天気の情報が流れている。龍樹(たつき)の住む天ケ瀬は、一足早く大雪に見舞われているらしかった。
――お客さん、今日は帰ってもらったほうがいいんじゃないかな。
客人には一応、龍樹の到着が雪で遅れることは伝えてある。後日改めてお越しになりますかと尋ねてみたが、穏やかな顔で「待ちます」と言われてしまった。希望通りに彼を二階の和室に通したものの、さて、待ち人はいつたどり着くだろうか。携帯電話で連絡しようにも龍樹が電話でつかまることはほとんどないし、ただの留守番兼店番の実花にとって、この状況はかなり荷が重たかった。
「失礼します」
お茶を出すために二階和室の襖を開けると、その人は雪がちらつく窓の外を眺めていた。ごく平均的な背丈の、会社員ぽい人。年齢はおそらく、実花の父親と同世代だろう。眼鏡がよく似合うということ以外、顔立ちにこれといった特徴はなく、次に会った時に思い出せる自信さえないのだが、印象に残ったのはその身なりだった。仕立てのよいグレーのスーツを気持ちよく着こなしている。白い襟はあくまで白く、淡いブルーのネクタイは、ゆがみのない完璧な形で結ばれていた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
和室の応接室は、洋室のそれよりも寛げる気がする。テーブルの上にガラスのティーポットをセットし、カバーを掛け、温めた湯飲みを準備しながら客人に声を掛けると、その人は「いいえ、こちらこそ」と穏やかに応じた。
「雪がひどいらしいですし、日を改められるならそのほうがいいんでしょうけど。もうご自宅は出られたのですよね」
「はい。ちょっと今、連絡が付かないままで。多分、もうしばらくしたら到着するとは思うのですが……」
「私のことはご心配なく。妻には、遅くなると予め連絡してありますので」
微笑む彼の目線の先には、左の薬指に嵌められた指輪があった。今買ってきたかのような曇りのない輝きに実花が思わず見とれていると、「あの、」と声を掛けられる。
「はい」
一瞬、迷ったように視線を彷徨わせたあと、彼は実花に目を向けた。
「あなたは、ここのお身内の方、ですか」
「はい。お客様のお待ち合わせの相手である天ヶ瀬龍樹は、私の伯父です」
「……失礼ですが。おいくつですか」
「私、ですか?」
「はい」
「十四歳です」
「というと、平成九年生まれですか」
「あっ、はい、そうです」
和暦をすぐに言い当てられるのはきっと、身近に同じ年頃の子がいるからだろう。ふと、実花を見つめるその人のまなざしに、今までにない色が差しているのを見た。何だろう? 懐かしむような、悲しむような。けれど、それはすぐに強い理性の壁に阻まれて、見えなくなってしまった。
「そうですか……」
再び、沈黙が降りる。不自然な間のあと、その人はまったく別の話題を持ち出した。
「藤堂薬舗、という名前だから、薬局なのかとばかり思っていました」
実花はティーポットのカバーを外すと、客人の湯飲みにお茶を注いだ。
「よく言われます。今はお客様の体調に合わせてブレンドした薬草茶を中心に販売しているのですが、戦後すぐの頃までは、薬としての薬草を主に販売していたそうです」
「これも、薬草茶なんですか?」
「はい。こちらは金柑の砂糖漬けです。よかったら、お試しください」
淡い琥珀色に染まったお茶をじっと見つめると、その人は両手で湯飲みを持ってゆっくりと口に運んだ。
「苦味、ないんですね。薬草茶ってもっと癖があるのかと思ったんですが、ほんの少し甘みを感じて、美味しいです。どんな植物が使われているのですか?」
「あっ、ええと……」
使った商品の外袋に使用した薬草名が書かれていたはずだが、階下に置いてきてしまった。
「すみません。これは予め飲みやすいように、ほうじ茶ベースでブレンドされているものです。だけど私、中身の詳しいことまでは分からなくて。調合したのは母なのですが、生憎今日は外出しておりまして」
「ああ、いいんですよ。気にしないで」
彼が几帳面なしぐさで湯飲みを受け皿に戻したところで、お店の引き戸につけた鈴がチリン、と鳴る音が聞こえてきた。
「お客さん、でしょうか?」
「はい。ちょっと失礼します」
龍樹に会いに来る客との会話は、どうしても緊張してしまう。ホッとした気分になりながら、実花は男性に向かってぺこりと頭を下げた。
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