都市伝説に会いにゆく

西乃 まりも

1

 つめたいものが頬に触れ、目を上げた。垂れ込めた暗い空からは、ちらちらと白いものが舞い降りてくる。

 ――そういえば今朝のニュースで、どこかの地方が大雪になると言っていたっけ。

 森野ひとみはコートのポケットからA4用紙を取り出すと、紙面に目を落とした。

『新連載企画・都市伝説の真相』

 都市伝説って! 

 絵に描いたようなB級企画に、思わずため息が洩れる。本当に忌々しいったらない。こんな仕事に巻き込まれてしまったのも、元はといえばすべてあの男のせいなのだ。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「人間の記憶を奪う種?」

 最初、愚にもつかない世間話を吹っかけられたのかと思った。

「ありえないでしょう。今時子供だって騙されませんよ、そんなマユツバ話」

「いや、これは確かな筋から聞いた話で――。ところでこれ、食べてみてよ。今話題のゴリゴリくんクラムチャウダー味」

 不思議雑誌『ムーン』の編集担当・成田(三十六)はいかがわしい男だ。不自然に浅黒い肌に、ぼさぼさの髪。慌しく不規則な生活のせいか、顔色も身なりもまるで冴えないおっさんなのだが、調子と愛想だけは抜群にいい。特に、向こうから親しげに話しかけてくるときは注意が必要だ。パソコン作業中のひとみの隣にわざわざ椅子を持ってきて座り、派手なパッケージの棒アイスをやたらと勧めてくるあたり、今日も何らかの思惑があるに違いなかった。

「遠慮しておきます。そういうキワモノ系には手を出さない主義なんで」

 目を合わせたら負けだ。パソコンのモニターを凝視しながら答えたが、成田はのらくらと椅子に腰掛けたまま、その場を離れようとしない。

「で、その種のことなんだけどさ。情報によると、この店で手に入るらしいんだよ」

 紙をすっと差し出される。ちらっと目を落としてみると、A4のコピー用紙に、ネットで検索したのだろう、古めかしい店舗写真と店の情報がプリントされていた。

「藤堂薬舗……? 薬屋さん、ですか」

「薬というか、薬草を扱う店らしい」

「へえ。珍しいですね。……あれ、だけど」

 ひとみの目は、そこにある写真に釘付けになった。

「この外観、結構好きかも。由緒ありげで、可愛い感じが」

「だろだろ? 『ことりっぷ』なんかで紹介されてそうだろ?」

 喰らいついたな、とでも思ったのか、成田は満面の笑みを浮かべた。

「行ってみたくない? 森野さん」

「は? ……それってもしかして、取材で?」

「いやっまあ、そんなに堅苦しく考えなくていいんだけど」

「無理です」

 即答した。いかんいかん。ひとみは慌ててパソコンのモニターに目を戻す。またペースに乗せられるところだった。おっさんトークを程よくかわすことの難しさよ。

「私、成田さんと違って薄給の雑用バイトですし。そういうのはすべて社員さんのお仕事でしょう?」

「すごくレトロ可愛い店だし、美容にいい薬草茶とか扱ってるらし

いし。勤務時間中に物見遊山がてら、ちらっと様子見でOKだから。女子力上がるぞ絶対」

「私に頼むってことは、取材のアポ、取れてないんでしょう」

「取れてたら俺が行ってる」

 そんなこと、胸を張って言われても。

「外注すればいいのでは?」

「今更そんな時間はないし、実を言うと、繊細微妙な事情があってだな……」

 成田は、大げさなため息をつく。

「正直に白状すると、俺、お店の主人にすごく警戒されたらしくてさ。だけど、考えてもみてよ。警戒されるってことは、余計に何かあるような気がしてくるだろ? 俺が行くとややこしいから、森野さんみたいな、いかにもシロウトっぽ……いや、若くてピュアな女子大生に代理で見に行ってもらって、あわよくばお店の人とちらっと世間話でもしてもらえたら、もしかしたら何か引き出せるかもしれないなー、って」

「絶対にいやです」

「そんな冷たいこと言うなよぉ」

 成田がカーディガンの袖を引っ張ってきたので、毒虫を払うがごとく、即座に振り払った。

「頼む、助けると思って! その紙の裏面に書いてある取材ポイントだけ、可能な範囲でチェックしてくれたらいいし。ついでに提出期限も書いておいたから。これを事前によく読んでくれたら、誰にでもできる簡単なお仕事なんで!」

 じゃ、そういうことで! あっこれ俺の真心な! とゴリゴリくんを押し付けると、成田はそそくさと席を立った。

「あっ、ちょっと待ってくださいよ! これ要らないってば!」

 溶けかけたゴリゴリくんとA4用紙を片手に立ち上がったが、時すでに遅し。

「くそっ――なんで私が」

 手にした紙に目を落とし、思わず目をむいた。

「提出期限、明日中って! あいついい加減にしろよ!」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「……ここか」

 あの後デスクを捉まえて、成田の悪業を切々と訴えたのだが、「あれはほんっと、最低な男だな!」と力強く同調されたあと、「森野さんの抜群の能力を見込んで、今回だけ! 一度きりだから! 俺も期待してるし、出張手当て弾むし!」と散々頭を下げられ、結局引き受けることになってしまった。最悪だ。頼まれたことは断れない体質を完全に見抜かれている。今度またこんなことがあったら、本気でバイト変えよう。そうしよう。

 固く決心をしつつ、ひとみは握っていたA4用紙の裏面にもう一度目を通した。


【人の記憶を奪う種】

・人間に寄生し、宿主の記憶を糧にして生長する植物が存在する。

・記憶を捨てたいものは、その種を飲むと、忘れたいと願う記憶を忘れることができる。

・宿主の記憶を得て体内で生長した種は、やがて体外へと芽を伸ばす。体から生えてきた芽を引き抜くと、種に奪われた記憶は芽と共に宿主を離れる。

・その種は『藤堂薬舗』という名の店でのみ入手することができる。


【取材ポイント】

 一、藤堂薬舗の創業、沿革。

 二、どんな商品を扱っているのか。

 三、外観、内装はどんな様子か。


  ――――――


四、(聞けたら)種は実在するのか。

 

(以下、実在する場合/聞けたら)

五、植物の種類・名称は何か。

六、種を扱うようになった経緯について。

七、どういうルートで入手するのか、また、需要はどの程度か。

八、購入希望者の年齢層、あれば、共通する特徴など。

九、体から抜いた芽は、その後どのように扱うのか。

十、種の取引価格について。

十一、(可能なら)実物を見せてもらう。

 

「……いやいや。『四』以下は完全なる無茶振りでしょ」

 思わず一人ツッコミを入れると、ひとみは目の前の建物を見上げた。それほど幅はない、小ぢんまりとした木造二階建ての伝統的な日本家屋だ。一階の屋根部分には『藤堂薬舗』と刻まれた木製の看板が掲げられている。入り口に目を移すと、木枠にガラスをはめ込んだ昔ながらの引き戸の向こうに、古めかしい陳列棚が見えた。そのさらに奥に備え付けられた棚にもたくさんのものが置かれているようだが、薄暗くてその詳細まではよく分からなかった。古いものが好きなひとみにとって、この建物の魅力は抗いがたいものがあったが、台風や地震が来たらつぶれてしまうんじゃないかと思うほど、その建物は古びていて、華奢な作りに見えた。

 どうしよう。本当に入る? しばらく店の前で逡巡していたが、寒さに背中を押され、だんだん考えるのも面倒になってきた。というか、自分自身がこの店について多少の興味を抱き始めたところもあった。

 ――じゃあ、『四』以降の取材ポイントは基本無視ってことで。

 ひとみは引き戸に手をかけると、がらがらと扉を開いた。



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