第124話 野生解放

 そう、間違っていない。

 間違っていないのだ。


 最善の選択ではなかったかもしれないが、少なくとも間違いではなかった。

 その事実は自己肯定感を生み、心の強さに影響する。

 心の強さは自分の強さ…


 そして自己肯定感は自分の力となったのだ。

 今まで心の中になかった感情が、たっぷりと注ぎ込まれた事によって…


 距離を詰めるのはいとも容易いことだった。

 一秒も経たずに目前へ潜り込む。

 そして爪を横一直線に振るうのだ。


 間一髪で避けられるも…

 暴風の吹き荒れるような、荒々しい音。

 そして、強風がセンを襲う。


「…!この力、危ないところだった…」


 彼は安堵していた、その表情は本気のものだった。


 間違いない、確かに強くなった。

 そして、同時に気付いた。


 昔から、野生解放だ、なんて言ってたが…

 あれが野生解放な訳が無い。

 ただの身体強化に過ぎなかった…


 野生解放というのは、アライさんを鉄骨から守った時や、今のような…

 感情の昂りから引き起こされる、野生の本能…それから生み出される圧倒的な力。


 引き出そうと思っては引き出せない力を解放することなのだ。


「…ついに、野生を解放したか。真の意味で…な」


「これは危ないところだったよ…センが野生の解放を求めていた意味がようやく分かった。

 あの声に飲まれ、野生を解放していたのなら…間違いなく、人類は滅びていた…とまでは行かなくても、大半は死んでいただろう。

 しかし、俺はそんな事には使わない…

 俺は、お前のような悪を倒すためにこの力を使うのだ!」


 悪…?

 彼は、本当に純度百パーセントの悪なのだろうか?

 そんなことを考えなかった。

 少しでも考えていたなら、戸惑っていたなら。

 この力が失われてしまうかもしれない…


 たとえ親友であったとしても、過去が悲しくても。

 今は悪なんだ、楽園を滅ぼさんとする悪なんだ…


 そう、自分に言い聞かせるのである。


「話は終わりだ」


 余計なことを考えないように、話を終わらせた。



 ◆



 瞬間、また同じく距離を詰める。


 右か?左か?

 細かいことは考えもしない。

 懐に潜り込んでは爪で切り裂かんとする。

 しかし、それは尽く避けられる。


「…クソォォォ!」


 雄叫びを上げ、振るスピードを上げる。

 一、二、三…

 膝蹴りや足払いも試すも、避けられる。

 こいつは強くなっている。

 そう実感できた。


 しかし、全く攻撃が通らないという訳では無い。

 かすり傷は確かにできている。

 頬からは血が流れ出ている。

 服は所々破けている。


「大切な人をバカにしたお前を、たくさんの人を殺したお前を…ぶっ殺してやる!」


 力強く顔面に叩きつけるブローは、腕一本で止められた。


「…生憎、私も生半可な覚悟で来ていない」



 ◆



 直後、腹へ衝撃が走った。


「ガッ…!?」


 鈍い痛みが全身を駆け巡る。

 強い、何故ここまで強いのかがわからない程に。


「君は確かに強い。

 でも、私が想像するよりも遥かに弱かった…

 考えてみたらそうだった。仲間も友も不当に奪われた悲しみ、恨み、怒り。

 それらは計り知れないだろう…君の正の感情よりも、遥かに大きい。

 それが増幅されたのだ…

 力に振り回されるだけの君に、勝ち目はなかったのかもしれないな」


 振り回される。

 そう、自分から修行を怠っていたからこそ、ただ力を振り回すだけのバーサーカーと化していた。


「…こうはしたくないが。

 やはり、君は私と共にあるべきだろう。

 さぁ、来なさい」


「…い、やだね!」


 断って、ニッと笑ってみせた。


「俺はもうお前とは一緒にいたくはねぇ…

 大切な人馬鹿にした奴といられるか?

 いられねぇよな…!」


 言い終わると同時に、爪を振るうも、軽く受け止められてしまう。


「不意打ちも弱い。君には私を止められない…本音を言うなら、止めてほしかったが。

 君の代わりを探すとするよ。

 長年の付き合いだったな、ありがとうよ、相棒…」


 映画のようなセリフに絶望した。

 その強大な力をもって、今まさにその爪を向けようとしてるのだ。


 そして、センは蹴りあげた。

 爪先は顎にクリーンヒットし、視界が歪んだ。

 そして豪快に吹っ飛ぶ。


「ァ…」


 声も出ないほどの激痛が熱いほど伝わってくる。

 体が動かない。


「さぁ、終わりだ。

 君には苦痛を伴って死んでもらおう」


「や…めろ…!」


 抵抗虚しく、センの爪は腹部に刺さる。

 そして、勢いよく上部に裂いたのだ。


「アァァァァァァァ!!」


 この世のものとは思えないほどの苦痛に襲われる。

 自傷したものよりもっと酷い。

 流血が激しい、血が吹き出ている。


「ゴホッ、ゲホッ…!」


 吐血も激しい。

 本能的に、『死』を予感した。


「…苦しいか」


 あぁ…苦しいとも!

 答えてやりたくても、なにも言葉にできない。

 かつて殺された人も、こんなに苦しかったのだろうか。


「…そのまま、眠るがいい。

 魂が死ねば、存在ごと消える。

 もう少しすれば、君は何も無くなる。

 全ての感情から解放されるんだ」


 地獄のような宣告に身が震えた…



 ◆



「おっと、それ以上やられると…」


 銃声が響く。

 銃弾がセンの心臓を貫いたのを見た。

 自分の顔は、さぞ驚きに満ちていただろう。

 それはセンも同じだった。


「こちらも、困るのでね」


 銃声の主は…カエデだった。

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