第114話 罪悪

 気が付くと朝だった。

 センが結局何をしたのかは分からなかったが、すぐに気付かされた。

 身体に違和感を感じた。

 嫌な汗が滲み出る。


 袴を着ていない。

 というか、裸だ。

 心拍数が徐々に上がっていくのを感じさせられる。


 距離を詰めていたニホンオオカミを見る。

 毛布で身体は大方隠されているが、若干上半身が露出している。


 顔が熱くなる。

 寝ぼけていてよく考えられなかった頭が、考察を始める。


 チラついていた現実が、否定したいという思いを裏切り、夢ではないと告げる。

 そして、それを理解した時絶望がやってきた。


 喉元まで来たそのネガティブな感情を、全て吐き出したい。


「ん…」


 やがて、ニホンオオカミは瞼をゆっくりと開けた。

 大きな欠伸をひとつして、嬉しそうに言ったのだ。


「起きてたんだ…えへへ。昨日は、良かったよ…とても」


 サーッ…と、血の気が引いた。

 センのした事というのは、間違いなくこれなのである。


 同時に、自分への罪悪感が湧いて出た。

 酷い感情が増幅され、心を刺す。

 俺は静かに立ち上がって、自分の服を着る。


 そのまま部屋を出ようとした時だ。


「ね、ねぇ!どうしたの…?昨日はあんなに人が変わったように、子供が欲しいって言ってくれたのに…

 私、嬉しかったんだよ!

 本当は仲間が欲しいんだって、思って…」


 背中越しに、彼女の困惑していて、それでいて悲しそうな、複雑な表情をしているのが分かる。

 でも、その言葉が更に心を傷付けた。


「ごめん。でも、もうひとりにしてくれ」


 そのまま走ってその場を後にした。


「待って!」


 彼女の声は、痛々しいほどに悲しく聞こえた。



 ◆



 突然走って旅館を去る俺に、焦って静止するギンギツネを無視して、雪山へと足を踏み入れた。


 吹雪くこともあるらしいが、今日は運のいいことに快晴のため、そのまま歩みを進める。

 何故ここかは分からない。

 でも、もう見つけないでほしい。

 そんな思いが、勝手にここを選んだんだろう。


『調子はいかがかね、メイくん』


 今一番聞きたくない奴の声が、脳内に響く。


「あぁ、お陰様で最悪だよ」


『お気に召さなかったかな』


「気に入ると思う方がおかしいよ」


 …と、無愛想に答えているが、本当はもう泣きたくて泣きたくてしょうがない。

 今すぐ全力で叫びたい。

 怒りのままに狂いたい。

 それでも、それを見透かされないように、頑張って取り繕ってみた訳だが、やはり彼には無駄だったのだ。


『本当はとても苦しいのに、なんでもないように振舞ってるね…気付かないと思うかい?』


「…話しかけないでくれ」


『ハハハ、効いてるねぇ』



 ◆



 やがて、だんだん天気も悪化してきた。

 雪が降ったと思えば、風も吹き始める。

 そんな時、ある脇道を見つけた。

 導かれるように、そこへと進む。


『君にしてはよく耐えるね…私は、君の体が早く欲しいよ』


「うるせぇ…!後で一発殴らせろ」


『ハハハ、キツい冗談だね。今の君にはほとんど力がない。ほぼ私の力だけで成り立っているのさ。それほど意思が弱い…私が体を乗っ取るのも時間の問題だろうな』


 徐々に体力も精神も削られながら、道を進んだ。

 道無き道、でもなく、かなり昔に整備されたようだった。

 そんな跡が残っている。


 やがて、少し大きな建物へと行き着いた。

 何かが住んでる気配はしない。

 所々にヒビが入っているが、崩れそうではない。


 吹雪も酷いので、ここに身を潜めることにした。

 ここなら、誰にも見つからないだろう。


『ひとり引きこもるのかい、最近の若者はこれだから困るよ』


 センの冷やかしを無視して、中に入る。

 それは薄暗く、今にも何かが出そうなくらいだった。


 広い玄関を抜け、階段を登る。

 驚きの一本道だ。

 細く伸びた廊下を歩くと、右に部屋があった。


 廊下はまだ続いているので、恐らくまだ部屋はあるんだろう。

 部屋に入ると、大量の本棚と、真ん中に置いてある横長なテーブルと、そして少し大きめな椅子が出迎えてくれた。


 念の為扉を閉じ、椅子に腰かける。

 大きなため息を、ひとつつく。


『…わ!』


「うわ!…ビックリさせんなよ」


 声が脳内に響くというのは、色んな意味で厄介である。



 ◆



 それから、ただ座っていた。

 そして、考え事をしていた。


 関係の無い彼女を巻き込んでしまった。

 アライさんを裏切るような行為をしてしまった。

 取り返しのつかないことだ、これは。

 例え俺がやった事じゃなくても、体は俺のものだから俺のせいだ。


 俺のせい。

 そう思う度、自分を激しく責めた。

 どうしようもない感情にも責め立てられた。

 そうしていると、涙が出てきた。

 暗い部屋の中で、醜く泣き叫んだ。


 そんな自分がもっと嫌になる。

 酷い悪循環だ。


『辛いかい』


「…お前の、お前のせいだろうが!」


『辛いなら、これを使うといいさ』


 冷たい金属の音が、足元で鳴った。

 目を凝らして見ると、それはひとつのナイフだった。


 思い出した、これは病院で自傷に使ったナイフだ。


『これを使って、めいっぱい自分を傷付けるんだ。やり場のない怒りが発散される。痛みで嬉しくなる。狂えば狂うほど楽しくなるだろう』


「…そんな訳ねぇだろ」


『いいや、楽しいさ。自分という罪人を裁けるからな。それを痛みがよりリアルにしてくれる。傷付ける度に、裁ける嬉しさで狂う。狂うと楽しくなるさ…』


 足元のナイフを拾った。

 それは良く切れるナイフ、ということは記憶している。


『そしてやがて、血の海が出来る時。君は苦しみから解放される。

 安心してくれ、私が君になろう。君は、休んでいいんだ』


 言葉巧みに騙されている。

 理性でしっかり分かっていたが、迷いが生まれた。

 本能は解放してほしかったんだ。

 この状況から…


『君は、どうするのかな?』


「…」


『使うならイエス、使わないならノーだ』


 ノー、と即言うべきなのに。

 どこかで突っかかって、言葉が出なかった。

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