第99話 元気なんて

 センの気持ちが理解できた。

 しかもセンは、大切な人を理不尽に奪われたのだから、きっとこれの何倍も辛い思いをしてたんだろう。


 あれから一ヶ月が経つ。

 時の流れというものはとても早いものだ。

 一瞬で過ぎてしまった。

 出会った頃が懐かしい。

 あの時から今まで、本当に一瞬だった。


 いつも隣にいた彼女はもういない。

 最初の一週間は特に苦しかった。

 部屋に籠るようになってた。

 少し期待して、後ろを向いたり、隣を見たり。

 または、窓から外を覗いたりして。


 …そこに、彼女がいるはずがないのに。


 今思えば、この気持ちを彼女に味合わせようとしていた、そんな俺にも腹が立ってくる。



 ◆



 時々、意識が朦朧として、気づいたら身体が勝手に動いてた、なんてこともある。

 もうそろそろ、精神の限界なのかもしれない。



 ◆



 ベッドの上で、何もせずにいた時だ。

 独りの部屋に、ノック音が響いた。


「メイ殿…その、お客さん、でござるよ」


 アカギさんとはあれっきり話していない。

 確かに命の恩人だ、だけど、精神的に参ってしまったから、誰とも話せないんだ。


 そんなアカギさんが、お客さんとやらを連れてきた。


 ドアが開いて、閉じる音がした。


「おい、メイ…」


 聞き馴染みのある声だ。

 その声は間違いなくヒグマだ。


「聞いたぞ、その…災難、だったな?」


 言葉が詰まっている、そんな感じがしている。


「私不器用だから、えぇと…上手く励ませないっていうか…というか、励ますってよりは…その、元気出してほしいかなって」


「元気出すって、何さ」


 そんな言葉が、咄嗟に飛び出ていた。


「え…」


「見りゃわかるじゃん。無理だよ、元気出すなんて無理。代わりに鬱と空虚が感情のほとんどを占めていやがる。だからもう何も考えたくないんだ。上手く言葉かけられないのに、なんで来たのさ。ほっといてくれよ、もう帰ってくれ。一人にさせてくれ」


 自分でも痛い程よく分かる、とてつもなく卑屈だ。

 こんな自分も嫌になる、だからこそもう何も考えたくない、誰とも関わりたくもない。


「なっ、そんな…そんな言い方ないだろう!?確かに相談してくれる時に相談しろと言った、そんな私がここに来るとか、余計なお節介かもしれんが…」


 ヒグマは続けて言う。


「でもな、お前がそんなに辛そうにしてるって聞いてな、私だってほっとけなかったんだ!そりゃ、私が完全にメイを立ち直らせるなんて、そんなの不可能だってわかってるさ…もしかしたら、一ミリも言葉が響かないなんて、思ったりもしたけど…でも、私は」


「何が言いたいんだよ」


 その言葉にヒグマはついに怒りが込み上げたのか。

 一瞬、理解ができなかったが。

 気がつけば、そのベッドの上に押し倒されてたのである。

 ヒグマの腕を掴む力が、痛いぐらい伝わる。

 というか物凄く痛い。


 何が起こったのかわからず、ハテナマークを浮かべていると。


「いい加減にしろよ…!誰が得するんだよ、そんな態度…なぁ、教えろよ!私も、アカギさんも、これを見たみんなも、もちろんお前だって悲しい、ただただ悲しいだけじゃねぇかよ…!アライグマはこうなることを望んだのか!?


 頭の中を必死に探ってみろ!アライグマは、こうならないよう、必死で励ましの言葉をかけてくれたはずだぞ!今日や過去より明日を見る、そんな奴だからなぁ…

 なんで分かるか?アイツはなぁ、いっつもお前のためお前のためって言ってばかりだったんだよ…


 度々相談しに来たから分かるんだ、花を贈る時も、サプライズパーティする時だって、クリスマスには何を贈ったらいいかとか、他にもいろんなことを相談されたさ…!


 きっとそれは、お前に誰よりも笑顔になってほしかったから、だったんだ…」


 思い出が、確かにフラッシュバックする。

 いつもそうだった。

 自己中心的なところもある、それが空回りする時もある。

 そんな彼女は、いつも俺の事を笑わせようとしてくれた。


 俺は…あまり頼りないから、こんなネガティブだから。

 より一層、頑張って俺を励まそうとしてたのかもしれない。


 怒りのあまり?悲しさのあまり?

 ヒグマの瞳から涙がボロボロ落ちてくる。

 一体どれほどの女の子を泣かせれば、俺は気が済むんだろう。


 彼女の思いを踏みにじりたくない。

 そんな思いとは裏腹に。


「…笑顔に、なりたいけどさ。無理だよ…こんな、俺だけ残されちまってさぁ…大嫌いな自分だけ残されてさ、俺を想ってくれる人亡くしてさ…どうしようもねぇよ、もう…」


 最近また泣いてばかりだ。

 脱水症状を起こしてしまうんじゃないかな?

 今もまた泣いている。

 本当にどうしようも無いやつだ。


「俺は独りだよ…寂しくて辛くて、だから笑顔になんてなれない」


 直後、口を塞がれた。

 指、手、腕、そんなものじゃない。

 俺はタブーを犯している。


 口を、口で塞がれているから──


「…お前は独りじゃない」


「なんで…」


「お前には友達がいるだろう。たくさんの友達が。それってとても凄いことだよ。だって、お前らに会うまでは友達いなかったんだぞ?独りってのはそういう事だ。お前の周りには、お前が思うよりもお前を想ってくれる人は沢山いるさ。だから、お前は独りじゃない」


「違う」


 俺が聞きたいのはそうじゃないんだ…

 上手く頭が回らない。


「なんで、なんで今…キスを」


「お前、パークを去るんだろう?ずっと言えなかったんだ、お前が好きだって。こんな事言ったら、天国のアライグマに怒られちまうなって思ってた、でも、もういなくなっちゃうって思うと…ごめんな、伝えないといけない、そう思って」


 …あぁ、確かにここを去る。

 ここパークは、動物園としての側面もあるが、社会に出るための保護施設でもある。

 社会に出てフレンズが悪用されないように──


 その一環で、アライさんがパークに行くことになったので、俺も行くことにしたのだ。

 フレンズならだいたい入れるので、すんなり行けたが…アライさんがいなくなった今、ここにはいられない。


「…少し、一人にしてくれ、頼む」


「色々、色々あると思うけどさ!こんな私が言うのもおかしいけど…頑張って、元気だしてくれ…お前が好きだから、そんなお前見てると…悲しい」


 そう言ってヒグマは部屋を出た。

 俺は複雑な気持ちになった。

 元気を出してほしいヒグマを見て、少しアライさんを投影してしまった。


 …はは、馬鹿だな、俺って


 天国のアライさんも、確かに今のヒグマのように、元気を出してほしいと思っていたんだろう。

 今のやり取りを見て、彼女がどう心を変えたかは当人しか知らないが。


 そして、俺の心には二つの感情が芽生えた。


 彼女の思いを尊重して、少しずつで良いから頑張ろう。そんな前向きな気持ち。


 今までの彼女との暮らしを踏みにじってしまった。そんな後ろ向きな罪悪感。


 …ただ、元々あった感情は完全に消えず。


 辛さや悲しみはたしかに、まだそこにあった。

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