第96話 自分を打ち破るように

 ある日。

 俺は、土手に座ってよく晴れた空を見上げていた。


 彼女は隣にいない。


 自転車の走る音、話し声がよく聞こえる。

 パークにとって、なんでもない一日。


 俺にとっては、また辛い一日。


「おーい」


 この命をかけて、やっぱり救うしかない…

 俺は、そう心に決めていた。


「おーい?」


 あの青い空のように、澄み切った心で過ごしていた毎日がとても恋しい。

 戻りたい、だけど後戻りはできない。


「おい」


「いてっ」


 何者かが頭に軽くチョップを入れる。

 見上げて気付いた。

 さっきまで深く考え事をしすぎたせいか、自分に対する声にすら気づかなかったのである。


「何を深く考えているんだ?」


「あぁ、ごめん、気付かなくて…」


 声の主はヒグマ。

 昔から、何かと一緒に協力することが多い友だ。


「メイ、お前は昔から変わらないなぁ。本当に」


「あはは…」


 しばらく、雑談を楽しんだ。

 雑談と言っても、他愛のない話だ。

 ヒグマとこうして話すのは、久しぶりだ。


「ところでさ。アイツとは上手くやってるか?」


「アイツって…?」


「何を言ってるんだ、アライグマの事だぞ」


「あ…あぁ」


 その話が出ると、顔に出てると自分でもはっきりわかるほど気分が落ちた。

 ヒグマも、その変わりように少し驚いていた。


「なぁ…やっぱりお前、悩みあるだろ?」


「…実は、ね」


 すると、ヒグマは俺の肩に手を置いた。


「頼れよ、私を。色々乗り越えてきた仲だろ?」


「…ヒグマ」


 促されるまま、事の一切を話した。

 寿命の件から、自分の胸の内まで。

 彼女は、優しく頷きながら聞いてくれた。


「…そうか」


「本当にさ、世の中、何が起こるかわかんねぇよな…もうな」


 溜まった感情を吐き出すと、彼女は俺の顔に手を伸ばし言った。


「辛かったんだな、メイ。よく話してくれた」


 彼女はそっと、俺の顔を伝う涙を拭った。

 幾度も困難に立ち向かう、そんな彼女の力強い印象とは裏腹の、やさしい手使いで。


「あれ…?俺、なんでこんな泣いてんだろ…わかんない…」


「メイ、お前は昔から泣き虫だろ?今更何言ってんだ」


 この一連の出来事で、俺は一度も泣くことは無かった。

 自分自身、成長していたと思っていた。


 いや、全くそんなことは無かった。

 結局、俺は子供のように泣くし、人一倍ネガティブだ。


「頼りたい時は頼れ、泣きたい時は泣け。私がついてるぞ、メイ」


 ヒグマはそう、優しく諭す。

 自分でも意味がわからないくらい涙が出る。


「自己犠牲なんて、そんな考えは持つなよ。お前のことを思う奴らはたくさんいるんだから」


「…あぁ、ありがとう」


 こうして、俺は自己犠牲という選択肢を捨てるきっかけを得た。

 そのきっかけから行動に移すか移さないかは、また別になる。



 ◆



「ねぇ、メイ」


 彼女、アライさんはいつも通り明るい元気な子だ。

 過ぎ去っていく日々、近づく寿命の中、それは変わらない。


 今日も、パークにとっては何の変哲もない一日だ。

 だけど、彼女にとっては違う。


「メイは、たとえアライさんがいなくなっても忘れないでくれるか?」


「…もちろん」


 日が経つ事に、そんな話が増えてきた気がする。

 気のせいか、彼女の声も震えているんだ。


「メイ、絶対に忘れないでね、アライさんがいなくなっても、絶対に」


「…ごめんね、何も出来なくて」


「ううん、悪くない、メイは悪くないのだ」


「だから」と、彼女は一度前置きした。


「絶対に、無茶はしないでほしいのだ。自分の身は自分で大切にするのだ」


 そう、いつ死ぬかわからない彼女が言う。

 …なんで、なんでそんな事が言えるんだ。


「…そんなの、アライさんだってそうだよ…」


 声色も強くなり、声も震える。


「違うのだ、これはアライさんの運命。どんなに自分の身を大切にしたって、これは避けることは出来ないのだ。運命は変えられるっていう言葉があるけど──



 ──無理して運命を変えようとしないでほしいのだ。アライさんはそこまでメイに無理はしてほしくないのだ」


 なんで、なんで…

 俺は何も出来ない…?


「だったら…なんでそんなに…そんなに俺を悲しませるようなことを言うの?

 もう嫌だよ、アライさん、そんな事ばかり言わないでよ。いつも通りの話をしてよ…!」


「わからないかな、君には」


 アライさんの姿が、徐々に歪む。

 誰ともわからない、何かが渦巻いた、黒い人形の塊が姿を現す。


「君はもっと苦しむべき人間なんだ。愛する人の死期を悟れ。そうして罪を償うがいい。君は罰せられるのだ。精神的に苦痛を与え続けられる──逃がすことは無い、自己犠牲など甘い考え等捨てよ!」


「誰だよ…!誰だよお前…あぁぁぁぁ!!」


 ひたすらもがき苦しんだ。

 最近になって、こういう夢はよく見るようになった。

 それは、ただただ苦しいだけの悪夢だ。


「お前は孤独だ。孤独になって、罪を背負う…!」


 ふと、頭の中にあの言葉が浮かんだ。


『頼りたい時は頼れ、泣きたい時は泣け。私がついてるぞ、メイ』


 ヒグマのあの言葉だ。

 その言葉を思い出し、俺は自然と強気になる。


「俺は、俺は孤独じゃない!」


 そう、高らかに叫ぶ。


「仲間がいるんだ…俺には仲間がいる!

 罪はいくらだって背負おう!罰せられよう!だけど、絶対に屈してたまるものか…!!」


 力強く、拳を握りしめた。

 そのまま、孤独だった過去を打ち破るように。

 また、ネガティブな自分を捨てるように。


 その拳を、目一杯。

 黒い塊にぶちかました。


 周りにヒビが入り、崩壊していく──



 ◆



 俺はそこで目が覚めた。

 やはり、あれは夢だったと一安心する。


 隣を見れば、やはり彼女がゆっくり体を休めている。


「大丈夫」


 きっと、彼女は救える。

 この身を捨てなくても、きっと…!

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