第94話 決断の狭間に
お粥が入った茶碗を机に置く。
疲れが溜まってただけなのに、ここまでやってくれる事に申し訳なさを感じていた。
「アカギさん、私そろそろ行かなきゃ」
「もうちょっとゆっくりした方がいいでござるよ。しかし、なんでそんなに急いでるのでござるか?」
「分からないの、だけど、急がないとアライさんに会えなくなっちゃうような気がする…」
彼は、「そっか」と不思議そうな顔もせずに言った。
驚きもしない、まるでアライさんは本当に遠くに行ってしまうと知っているかのように。
「そっか…って、意外と驚かないんだね〜」
「意外と分かるもの、でござるよ」
◆
昔、私には妻と子がいた。
妻は自由奔放な人だった。
子が家にいても、家に一人残し旅に出る。
私はそれに嫌気が差し、離婚した。
子のことは気がかりだったから、親権は私にあってほしかったが、現実はそううまくは行かない。
しばらくして、妻は子を残し旅客機の事故で死んだ。
前夜、私は妙に元妻の事が気になって、電話をした。
何も変わらない様子だった、だけど、やはり違和感があったのだ。
この違和感というものは、実は小さい頃からある。
第六感か何かが働いているのだろうか。
『近い内に、この人は死ぬ──』
そして死んだんだ、あいつは。
◆
「CLOSED」の掛札がかけられた扉をノックをする。
カラオケを終え、俺達二人は、すっかり暗くなってしまったので、街の中を歩きつつ、あの馴染みの店へと来たのだ。
…今日は休業らしいけど。
「はーい」
そう、聞きなれた声が聞こえる。
段々、足音も近付いてくる。
ここを離れてから数ヶ月しか経ってないのに、何故か緊張する。
ガチャ
「…おや、メイくん?どうしたんだい、珍しいじゃないか、こんな時間にここに…」
彼は、あの日常の中で接してくれたように、普通に接してくれた。
オーバーに驚くこともなかった。
「ちょっと、色々あって、それでここの色んなところを回ってるんです」
「おぉ、入りな入りな…」
そう言って、彼は入れてくれた。
数ヶ月間離れてたここが、とても懐かしく感じる。
ほとんど何も変わってない。
ここにいたレンは、大人になってから遠く離れて仕事をすることになった。
だからもう、ここにはいない。
滅多に戻ってこない、戻ってくるとしても数年に一度だろうか。
なので、ここにはカンナさんと店長さんしかいない…
「メイくん、ちょっとこっちに」
「? わかりました」
突然、店長に呼び出される。
素直に付いていくと、彼は小声で話し始めた。
「一体どうしたんだ、ここには滅多に来ることは出来ないんじゃなかったのか?」
「はぁ、色々あったんです…あはは」
「まぁ、夜も遅いので止まっていきな…多分、それが目的だったのだろう?」
「お言葉に甘えさせていただきます…」
図星をつかれて、少しドキッとした。
我ながら図々しい奴である。
◆
「それで、決断したのか?」
「え?」
夢の中、センは突然そう問いかけた。
「何をとぼけているんだい、彼女の命を救うか、見捨てるか」
「見捨てる…って」
アライさんの命を救うか、救わないか。
アライさんは、俺に生きてほしいと思っている。もし自らの命を代償に彼女を救えば、その思いを踏みにじることになる。
もし、救わないのなら、センの言った「見捨てる」という事になるのかもしれない。
彼女の思いは守られるが、俺がどうなってしまうのかはわからない。
「まぁ、まだ決断はしなくていい。時間はあるのだから。少なくとも、私たちのように、突然理不尽な死が訪れるなんてこと、ないからね」
「意地悪だよ、センさん。それは意地悪だよ…」
そう言った直後だ。
…今、彼の表情が少し変わったような気がしたんだ。
ニッと、笑ったような気がしたんだ…
◆
「もう出かけてしまわれるのですか」
「あぁ、ごめんなさい、でももう行かなきゃ」
そういうカンナさんに、軽く謝って、この喫茶店を出た。
今朝食べた彼の朝食はとても美味しかった。
アライさんも満足していたようだった。
この恩は、必ず返さなければ。
この後、俺達は帰宅しなければならない。
一晩泊まったものだから、アカギさん達も心配しているに違いない。
まだちょっと気になるところもあったし、懐かしい雰囲気は味わいたかったけど、仕方ない。
◆
「アライさん、帰ってこない…」
「大丈夫、きっと今日帰ってくるでござるよ」
アカギさんは冷静にそう言う。
結局、私は一泊してしまった。アカギさんは、「大丈夫、担当の飼育員さんには連絡してあるのでござるよ」と言ってくれた。
とても申し訳ない。
でも、まだあの二人は帰ってこない。
「それにしても、あの二人はいつでもラブラブでござるね〜?」
「うっ…」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で少し嫌な思いが巡った。
「あ、なにかまずかったでござるか…?」
変に気を遣われるのも嫌な気がする。
何もまずくないのに、何故こんなにも胸が痛いのか。
「…ううん、なんでもない、ですよ」
「…?」
なんだか、私は前よりも控えめになった気がする。
そして、自分のことが少し、嫌いになった気がする。
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