第92話 予感と鈴

「…ねぇ」


 大きな耳の彼女は、隣の少女──レナに話しかけた。

 レナは彼女の飼育員、さらに良き友として、彼女のそばにい続けた。


 仕事はあまり出来ないかもしれないけど、相談にも乗ってくれる、頼もしい人。


「…どうしたんですか?」


「嫌な予感がするの」


 彼女には、その予感というものが分からなかった。

 私にしか分からない。


 伝えなければいけない気がする。

 じゃないと、とても後悔をするような…


「レナさん、私、行かなきゃ」


「え、ちょっと?フェネックさーん!?」


 戸惑う彼女の声をよそに、私は飛び出して、駆けて行った。


「…フェネックさん、何が…」



 ◆



 昔、俺には父親がいなかった。

 幼い俺は、ある日、それに対して素朴な疑問を抱いた。


「ねぇねぇ、お母さん。なんで僕にはお父さんがいないの?」


 母は答えなかった。

 その時の母の表情を、思い出したくても思い出すことは出来ない。


 ただ単に上手くいかなかったのか、それとも、旅行と題して父に会いに行っていたのか。それすらも分からない。


 だから、アライさんとは絶対に、上手く付き合っていきたい──だけど…



 ◆



「メイ!」


「うわっ!」


「またボーッとしていたのだ。そろそろ駅に着くのだ」


 今、俺達は電車に揺られている。

 ジャパリパークの規則は、まだ未発達のフレンズがいることもあり、少し厳しい。


 電車など遠距離を移動する乗り物を用いる際、必ず許可を得ないといけない。

 今回はアカギさんが許可を得てくれた。


 彼女は、まだ行ったことのない場所に行きたいと言った。

 しかし、俺達にはまずやらないといけないことがある。

 それは…



 ◆



「…ただいま」


 懐かしの場所へと、帰ってきた。

 それは見慣れた景色。

 ジャパリパークへ向かう事になり、来ることが困難になった場所。


 学校、カラオケ、そして馴染みの喫茶店が立ち並ぶ…


「懐かしいのだ…とても」


「行こうか」


 そう言って、手を握った。

 彼女の手はとても暖かい。


 彼女は「うん」と返事をして、その手を握り返した。



 ◆



 見慣れた街を歩いていると、ひとつ空き地を見つけた。

 そこには、俺もなんの思い入れもない。

 そう、ただの空き地だ。


 しかし、彼女は違うようだった。

 何かを思い出していた、そんな感じだ。


「どうしたの?アライさん」


「…ううん、なんでも」


 そのまま、また前を見て歩き始めた。


「まずはどこへ行こうか?カラオケ、なんて行っちゃう?」


 提案しても、彼女の返事は無い。

 何故か下を向いて、落ち込んでいる様子だ。


「アライさん、大丈夫?休もっか?」


「…あ、大丈夫、なのだ」


 どう考えても大丈夫じゃないような気がしたので、少し早足でカラオケへと向かうことにした。


 カラオケで少し休ませて、楽しもう。

 そう思ったからだ。



 ◆



 大きな耳の少女は駆けた。

 固いコンクリートを蹴り、腕を振った。

「取り返しのつかないことになるかもしれない」と焦り、必死になっている。


 彼女はやがて、足を止めた。

 そこは、ひとつの家のドアの前。


 コンコンコンコン!

 彼女は、ひたすらノックをする。


「アライさん、いるなら開けて…!!」


 直感的に、ここにはいないと感じている。

 だけど、もしかしたらいるのかもしれない、そうも思っていた。


 だからこそ焦っていた。

 ノックをする彼女の手の動きは、次第に早くなる。


 少しして、目の前のドアが開いた。

 中からは、黒い布で顔を覆った男が出てくる。


 もう何度も見た、だから驚きはしない。


「アカギさん…!」


「どうしたでござるか、そんなに慌てて」


「アライさんは、アライさんはどこにいるの!? 」


 息を切らしながら、問いかける。

 目の前の彼は、そんな彼女の目の前でも冷静になっている。


「なんでそんなに冷静に」と一瞬思ったが、無理もないか。

 この嫌な予感はきっと、私しか感じていない。


「アライ殿ならメイ殿と共に、電車に乗って出かけてしまったでござるよ」


「でん…!?」


 その言葉を聞いた瞬間、目の前がぐらついた。


「だ、大丈夫でござるか!?クソ、1回中に入れなければ…!」


 立ち上がってすぐにでも行かなければならない、そうは思っても上手く立ち上がれない。


 思えば、ここから私の家まではかなり距離があるんだ。

 普通に歩いていけばそこまで疲れはしない、だけどこの短時間でスピードを出して走ってきたんだ。


 運動ができるわけじゃないのに、馬鹿な奴だ、私は…


「大丈夫でござるよ、しっかり体を休めるでござる」


「…ありがとう、なのさ」



 ◆



 チリン


 そんな鈴の音が、少し聞こえた。

 彼女、アライグマはそれが聞こえた瞬間に振り返った。


「アライさん?」


 彼女は、呼びかけると、我に帰ったような様子で、「なんでもないのだ」と言った。


「大丈夫?さっきから変だよ?」


「い、いや…大丈夫なのだ」


「もうすぐ着くから、そこでゆっくり休みなよ?」


「うん…」


 前を向いて、また同じように歩いた。

 彼女の手の力は、気のせいか少し強くなったように感じた。

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