第9話 夢

 むかしむかし、ひとつの母子家庭があった。

 母親は旅が好きであった。

 いや、息子にそう話していただけであって、もしかしたら本当は違う目的があったのかもしれない。


 真偽は今になっては不明だが、彼女は実の息子を置いていくほど旅好きであった。

 少年はただひとり、家の中で家事のスキルを磨かざるを得なかった。

 まぁ、その少年の技術は言うほど伸びてもいないのだが…



 ◆



 はじめてカレーを作った日。

 母親がいた時、カレーを振舞った。

 喜んでくれた。褒められた。

 …嬉しかった。


 それは中学生の時であった。

 どのように作るか自分で調べ、肉を切り野菜を切り、煮詰めそれを作ったのだ。

 味に自信はなかった。

 自分が食べれる味なら良かったからだ。


 でも、褒められた。



 ◆



 父親はいなかった。

 少年が生まれた頃からもう既に。

 何故母が父もいないのに家計を管理せずに旅に出るのか。


 …今となっては本当にわからないのだが、もしかしたら想い人に会っていたのかもしれない。


 そう考えると、少し腹が立ってくる。


 一方少年は、自分で頑張ってお金をコツコツ稼いでいた。

 新聞配達などの中学生でもできるバイト、そして母親が置いていくお金を切り詰めて生活していた。



 ◆



 テレビの中のアナウンサーは言った。


『速報です。○○便が墜落しました。乗客の安否はまだ確認できていませんが、おそらく、全員死亡しているだろうとの見解が──』


 それを聞いて、少年は、膝から崩れ落ちた。

 今度母が乗ると言っていた便。


 …いや、何かの間違いであってほしい。

 彼はそう願ったが、結局母が帰ってくることは無かった。


 もしかしたら、本当は生きていて、このニュースを機にどこかで想い人と暮らしているのかもしれない。


 でも、どっちにしても。

 実の親が、少年を置いて逝った…もしくは、置いて行った。


 中学生の彼の心には、深く刺さった。



 ◆



 ゆっくりと目を覚ました。

 まるで心の中で大雨が降ってるような気分だった。


 …本当は、生きているのかなぁ。


 そんな事を思って洗面台に向かう。


 気持ちが晴れない。

 せっかくの休日なのに、妙に現実味を帯びた暗い夢から始まるのは不愉快だ。


 …俺、なんなんだろうなぁ。


 実の親が逝ってしまった、行ってしまった。

 一方、他の高校生には家族もいる。

 反抗期も経験できる。家族旅行も経験できる。


 俺は、二度と経験できない…


 神様っていうのはつくづく酷いやつだと思う。

 何故こんな経験を俺に積ませる必要があったのか全くわからない。


 脳内には、もし俺が家族で楽しく過ごしていたなら…といったような欲望が具現化した映像として繰り返し映し出される。

 それがより、悲しみを増幅させるのである。


「んぅ…メイ…?」


 突然の声に跳び退きそうになった。

 横を見ると、寝ぼけ眼のアライさんが立っていた。


「泣いているのか?」


「えっ…いや」


 勝手に涙が流れていた。

 とてつもなく悲しかったようだ。

 幸せという名のレールから外れた気がして、辛い道へとシフトした感じがして。


 我慢してた分が一気に込み上げてきて、大声で泣いてしまった。

 大の高校生が、なんということだ…


 彼女は戸惑っていたようだった。

 突然、大声で泣き叫び始めた俺を見てどうすればいいか分からないのだ。


「な、なんで泣くのだ!アライさん悪いことしちゃったのか…?」


「…ごめん」


 罪悪感が体を蝕み、申し訳なくなり謝罪をする。


「よ、よしよーし…泣くな、泣くんじゃないぞ!アライさん、メイが泣いてると悲しくなっちゃうのだ…」


 その優しく撫でる手が、暖かくて。

 昔をまた思い出して、余計に泣いてしまう。


「うぅ、困った奴なのだ…」


 立場逆転とは、こういうことを言うのだ。



 ◆



「ごめんね」


「ううん、もういいのだ」


 数分後、ようやく落ち着いてきた。

 彼女にはとても心配された。

 これまでの経緯をアバウトながらに話すと、納得してくれたようだった。

 まだ人の体を得て間もない彼女だったが、なんとなく分かるようだ。


「寂しかった、のか?」


「…寂しかった。基本ひとりだったし」


「そーかそーか」


 ふふ、と彼女は笑った。


「メイ、アライさんがついてるから安心しておくのだ!いつもは教えられてばかりで、迷惑ばっかりかけてるけど、たまにはこっちにも恩返しをさせるのだ。さぁ、いくらでも相談相手になってやるぞ!」


 …と、意気揚々に彼女は言った。

 自信満々な彼女の笑顔が、その時、すごく輝いていたように見えた。


 釣られてこちらも笑ってしまう。


「な!なーに笑ってるのだ!」


「ごめんごめん、なんでもないよ…でも、ありがとう」


「めでたしめでたし」


「なのです」


 第三者の声が響いた。

 アライさんの後ろに、あの公園のリーダーが立っていたのだ。


「げぇっ…いつの間に」


「最初っからいたのです、泣き虫め」


 心にグサッと刺さった。

 …だけど、なんだか楽しく感じた。


「ほら、ぼーっとしてないで早くご飯作るのですよ」


「仕方ないなぁ」


 立ち上がって、キッチンへと向かう。


 過去の思い出ばかりを振り返るのはよくない。

 だって、今の俺、そして未来の俺にはきっと良い事があるのだから。


 確証はない、だけどアライさん。

 彼女の笑顔を見ていると、彼女の振る舞いを見ていると。

 なんとなく、そう思える気がするんだ…

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