6.小鹿

 光犯課の普段の業務と言えば、細々とした光化症患者についての相談事・クレーム対応であったり、過去に逮捕した光化症患者の経過観察であったり、光化症能力の訓練や検査であったりとそれほど目立ったものはない。世の中に犯罪が絶えずとも、光化症患者による犯罪がひっきりなしに起こっているわけではなく、実働的な活動は月に二、三度あるかないかだ。

 その代わり、犯罪レベルの差が大きいのも特徴だった。万引きレベルの軽犯罪が続いたかと思いきや、突如無理難解な殺人事件がきたりする――光化症患者による犯罪の捜査、を一手に担っているために、通常であれば一課、二課、と分野分けされるものが全て舞い込んでくるのだった。

 「触れたものを透明化できる」能力による万引き犯の引き渡しを行った帰り、小鹿はふらりと商店街を歩いていた。

 署内に戻っても報告書の作成くらいで、あとは緊急の事件もなければ捜査途中の案件もない。他課からの捜査協力もなかったので、定時までどうやって時間を過ごそうか悩んでいた。やらねばならぬ仕事はあったが、優先順位としては低くやる気を出すには些か足りない。少しくらい寄り道しても良いだろう、と、そんな魔が差したのである。

 逃げる犯人を追いかけるのに走り回ったせいで汗を掻いていた。着ていたジャケットを小脇に抱えて、見つけたコーヒーショップに入り込む。平日のそろそろ夕方になろうかという時間、中途半端な時間だからか、店内に人は少なく、すんなり席を見つけることができた。

 何を飲もうか悩んで、キャラメルフラペチーノを注文する。背の高い男が女性受けの強い商品を頼むのは少しだけ抵抗があったが、それよりも冷たくて甘い飲み物が欲しかった。


(今日は天気がいいな)


 雨季を通り過ぎ、いよいよ夏が迫ってきている。日差しは強く、薄着で歩く人を見る頻度も増えてきた。

 パラソルの陰を見つけてテラス席に座る。ぼう、と歩いていく人を見るのは中々に面白かったし、小鹿の癖でもあった。

 町おこしに力を入れているらしい、この商店街は平日でもそこそこ人で溢れている。ベビーカーを押すご婦人や、営業途中のサラリーマン、年配の女性など、のんびりと、時に忙しなく通り過ぎていく。向かいに愛想の良い女主人が経営する八百屋があって、ゆっくり歩く女性は皆その八百屋に捕まっていた。安いよ、新鮮だよ、旬のものが入っているよ、と景気よく声を上げる女主人の小気味良いこと。店頭に並ぶ野菜も、確かに色つやが鮮やかで、太陽の光を受けてきらきら輝いて見えるのだ。


(別に自炊もあんましないけど、俺も見てみたくなる)


 店を出たらチラ見してみようか、いやいや、見たら何か買わなきゃいけなくなるよなあ、とつらつら考えていた時だった。

 真っ白なワンピースを来た女性が、ふと八百屋の前で足を止めて、果物を物色している。白いワンピースの上に白いカーディガン、鍔が広い白い帽子を被っていて、雰囲気はまるで芸能人のようだ。背が高く、細いヒールのミュールを履いていて、艶やかな黒髪は腰につくほど長い。背中をこちらに向けているため顔は見えなかったが、きっと美人だろうな、と、小鹿はぼんやり考える。


(ああいう人でも八百屋をのぞくんだなあ)


 別に芸能人のようないでたちだからと言って食事を作らないとは限らないし、八百屋だってのぞくだろうけれど。何となくそんなくだらないことを考えてしまって、つい目で追っていた。

 女性は何事か店主と言葉を交わし、リンゴを二つ購入したようだった。真っ赤なリンゴを受け取って、振り返る。


(あ)


 瞬間、女性の大きな瞳と視線が合った。じっと見つめていたから、というのもあるだろう。

 予想した通り、整った顔つきの女性は小鹿の視線を見とめると、きょろりと一度周囲を見渡し、それから小さくはにかんだ。え、と小鹿が声を上げる間もなく、まっすぐとこちらにやってくる。あまりにも迷いのない動きに一瞬知り合いだっただろうかと記憶を探るが、出てくるのは必要のない他人の記憶ばかりで、自分の記憶がいまいち整理できていない。


(いや、こんな美人知り合いに居たら忘れないはず、はず……)


 やはり見覚えはない。知り合いではない。気が付いたら女性はすぐ目の前に立っていた。


「こちら、お隣にお邪魔しても?」


 綺麗な声だった。耳に馴染みやすいソプラノの声、若い女性特有の、キンキンとした鋭さはなく、まろやかで透き通った声だ。女性の大きな瞳に見つめられてしまえば断る理由もなく、小鹿は小さく頷いた。

 それで、女性は買ったばかりのリンゴが入った袋を席に置いた。ひとつ微笑んでから、レジの方へと向かってしまう。ここは男としてご馳走するべきか否か、小鹿が迷う暇もなく、小鹿と同じキャラメルフラペチーノを抱えて彼女は戻ってきた。


「すみませんね、突然。目が合ってしまったから、つい」


 女性は穏やかに笑うと、荷物を避けて座り込んだ。陰に入ってますますよく見えるようになって、小鹿はまじまじと彼女を見つめる。「いえ、べつに、」なんてぶっきらぼうな返事しか出来ない自分を悔やむ。別に、自分からナンパをしたわけではないのだけれど。

 肌の白い女性だった。服の白さもあってなお引き立っている。透き通るような白さだったが、血管が浮きそうな程の白さは少し病的にも見えた。大きな帽子やカーディガンは日焼け防止だろうか。その帽子は陰に入ったことで今は脱いで傍らに置かれている。肌の白さと黒々とした髪が対照的で、童話の白雪姫はこんな人を言うのだろうか、と、小鹿は一瞬考える。


「お兄さんが美味しそうに飲んでいたから、私も飲みたくなってしまったの」


 一人より二人で飲んだ方が美味しいでしょう? と、彼女は笑ってみせる。

 正直に言えば、他人とのコミュニケーションがあまり得意ではない小鹿にその精神は理解できかねたが、こんな美女が言うなら頷かないわけにもいかない。「はあ、そうですか」と曖昧な返事をして、ずず、と残りのフラペチーノを啜る。この場にとどまっていたい気もしたが、早急に逃げたいような気分でもあった。


(なんというか、作り物を見ているような気分だ)


 それほどに彼女は美しかったが、それゆえに、何故自分の前に座っているのか不思議でならなかった。小鹿のような音はたてず、彼女は静かに、上手にフラペチーノを飲んでいる。彼女が飲むと洒落た飲み物がますます様になる、とは口には出さないで、小鹿は急な居心地の悪さに身じろぎをした。話題を提供しようにも、突然何か思いつくわけでもないし、知り合いになりたいとも思わない。


「お兄さん、光化症患者の方?」


 はずだったのだが。

 不意に問われて動きを止める。まじまじと彼女を見ると、視線の先が左手に向いていることに気が付いた。なるほど確かに、小鹿は左手にだけ手袋をはめている。不用意に他人の記憶をのぞかないためで、冬場は両手とも手袋をはめてしまうが、この時期は暑くて左手しかはめていなかった。少し光化症について詳しい人が見れば、それだけで左手に光化症を患っていると推測できただろう。


「……そういうあなたはどこが光化してるんです?」


 となれば、彼女自身が光化症患者、と考えるのが手っ取り早かった。大狼のような、自身は光化症患者でなくとも光化症の研究をしている、なんて人材はそうそういない。光化症と診断を出す医者側の人間と考えられなくもなかったが、例の墜落事件からまだ七年しか経っていないのだ。光化症診断を行う医療機関はどこも連日混雑しており、人手不足が深刻な問題となっている現在、平日のこんな時間にふらふらと外を歩いているとも思えない。

 となれば、彼女自身が光化症患者である、か、身内に光化症患者がいるか、のどちらかだ。身内にいるのであれば、光化症についての余計な気遣い……配慮が現れてもおかしくないから、無遠慮な物言いは当事者だろう、と目星を付けた。

 はたして、彼女は驚いたように目を見開いて、「どうしてわかったの?」と意外そうに首を傾げた。


「聞いてきたということは、あなたもそうなのだろうと思っただけですよ」


 小鹿はざっくりとそう説明すると、左手をひらりと振って見せた。


「おっしゃる通り、左手が光化しております」


 見せることはしなくとも、それだけで彼女には十分なようだった。


「やっぱりそうだったのね。暑いのに片方だけ手袋なんてしているから、私と同じだと思ったの。日中でもやっぱりぼんやり光ってしまうでしょう、服を着て隠すしか出来なくて」


 そう言って困ったように苦笑を浮かべたので、成程彼女の光化はカーディガンで覆われている部位のどこかか、とあたりを付けた。それ以外に特別着込んでいるところはなかったし、服を着て隠す、と言っているからにはワンピースで隠れるような場所でもない。あるいは、光化が強すぎるのかもしれないが。


(強すぎる光化は、布越しでも光って見える)


 考えれば、ワンピースの上に着込んだカーディガンの下、に、光化部位があるのが自然だろう。

 言及はせずに、小鹿は「全くですね」と曖昧に笑った。口ぶりから察するに、光化深度の高い患者なのかもしれない。脳裏にふと八生の姿が浮かんだ。


「隕石の光線を浴びてから七年……少しずつ光化症患者の数も増えてきたと言いますけど、自分以外で光化症にかかっている方を見たのは初めてで。少しお話をしたくなってしまったんです」


 ご迷惑でしたらすみません、と、彼女はもう一度謝った。小鹿は慌てて首を振ると、「別に、迷惑では、」と言葉を区切る。


(迷惑と言えば、迷惑だけれど)


 真正直に伝えるわけにもいくまい。話をするくらいならば問題ないだろう。光化症患者の声を聴くのも光犯課の仕事の一つだ、と言えば、小鹿の上司は無言で許可印を押してくれるに違いない。第一、署に戻ったところで待っているのはつまらない報告書の作成くらいだ。


「ええと、では初めの頃からずっと?」


 とりあえず、と問いかける。彼女は小さく頷いた。

 医学的な証明はされていないため、現状「個体差による」としか言いようのない光化症は、発症時期にも大きな差が生じていた。隕石墜落時の光線を浴びた直後から身体の一部に異変を感じ、やがて光り始めた者もいれば、隕石墜落後数年経ってようやく光り始める者もいる。現在光化症が発症していないのは、あらゆるタイミングがぴったりかみ合った偶然にすぎないのであり、逆もまた然りだ。

 小鹿は最初期からの光化症患者である。隕石墜落後、一週間ほどでぼんやりと左掌が光始め、十日たてば「記憶を読み取る」という特異な能力も発現していた。もっとも、能力の効果と代償を正確に理解し、使いこなせるようになったのはそれから一カ月あとのことだったが。


「ええ。光線を目にした数時間後には光化が始まっていたのだと思います。あの日の夜、眠ろうと思い部屋の明かりを消したら、ぼんやり光っているんですもの」


 驚きました、と、彼女は言った。確かに驚くだろう。小鹿も相当驚いた。


「あの当時は……今みたいな光化症外来は存在していないくて、どこの病院に罹ったら良いのかも全く分かりませんでした。私はとにかく恐ろしくって、光を隠すために厚着をして、人と滅多に会わなくなってしまって」


 今じゃ考えられないですけれど、と、彼女の言葉が終わる。小鹿は一つ頷きながら、「その」現象に光化症という名前が付けられた時の事を思い出した。



 昼のニュースに国会の様子が映し出されていた。厳めしい様子の議員たちがゆっくり並んで歩きながら、何かを投票していく。一週間前に墜ちた隕石の影響で、ここ最近のニュースはずっと議会の様子と、隕石被害の様子を伝えていた。相当大きな隕石だったはずなのに、幸か不幸か怪我人は一人もおらず、クレーターなどの被害も全くなかった。

 空から降ってきた隕石、なのに、地面にはクレーターもなく異常気象の予報もない。視聴者から投稿された隕石墜落時の動画は何万回、何億回と世界中で再生されたが、その様子は確かに異様だったのだ。誰かがどこかで呟いた、「墜落というよりは着地のようだ」という言葉は言い得て妙だった。

 七年前。小鹿は二十歳になったばかりだった。隕石は北海道の奥地に墜落したため、小鹿は肉眼でその大きな岩を確認したことはない。ただ墜落時間のその瞬間、北の方から一瞬強大な光がぱっと視界を埋めて、あまりの眩しさに手を掲げて顔を覆った。その一瞬後、ずん、と低い地鳴りがしたように思えた。が、地鳴りは一瞬で途切れ、周囲は静寂に包まれた。

 光を浴びた時、小鹿は大学の構内にいた。丁度図書館に向かおうと外を歩いていた時で、周囲にはまばらだが学生がいた。一拍遅れてざわつきはじめる構内を横目に、スマートホンでニュースを確認したのだ。隕石墜落か?! という見出しはすぐにタイムラインを埋めた。速報だけの、二、三行の短い文章。北海道の見知らぬ土地に、巨大な隕石が落下したが、被害が出なかったという文面だけだった。

 当時は「ふうん、そうか」とそれだけで終わらせたそのニュースを、急に身近に感じたのは左掌の発光を確認した時だった。

 運よく一人で歩いていたバイトの帰り、いつもより何となく明るい気がして、もっと言うと視界の左側がぼんやり光っているように感じて、光源を探したのである。まさかそれが、自分の左掌だったとは思わなかったけれど。

 その時にはもう、人体の一部が光り輝く、どうにも奇妙でファンタジーな現象は世間に認知され始めており、頭の良い学者たちがうんうんと唸りながら恐らく墜落時の光線が原因だろう、と、ぼんやりでも原因を特定したところだった。光化症、の名前が付いたのは、隠しきれぬと悟った小鹿が渋々皮膚科を受診した、その翌日のことである。

 とにかく光を隠すために季節外れの手袋をして、大学に向かう電車の中のことだった。

 その日はたまたま午後からの講義しかなかった。家を出るギリギリまで寝ていたのでニュースなどを見る暇もなく、空いた車内でぼんやり窓に移った自分を見つめていた。左掌が発光している、ということにようやく少し慣れてきて、なるようにしかならない、という諦めが生じ始めていた。

 尻ポケットがゆるく震えたのは大学まであと二駅、という所だった。反射的にスマホを取り出す、と同時に電車が駅に着いたので、鞄を持って飛び降りた。五月蠅いホームの雑音の中、電話の向こう側で女性の声が小鹿の名前を確認した。


「もしもし?」


 よく聞き取れず、小鹿は何度か言葉を返した。昨日行ったばかりの皮膚科だと気が付いたのは、昨日受診された、というキーワードを得たからだ。


「今朝のニュースで発表された件で、小鹿さんの症状に当てはまるものがございましたので」


 結論から言えば、再度検査をさせてくれ、と、そういうことのようだった。

 迷ったのは数瞬で、大学をさぼることにした。向けていた足を下りのホームへ向けて、今まで乗っていたものと反対方向の電車に乗り込む。皮膚科は自宅の最寄り駅近くにある、総合病院に入っている。逆を言えば、大きな病院でなかったなら、このような連絡は入らなかっただろう。


(結局これが何なのか)


 調べて分かるものなのか、どうか。小鹿にはわからない。

 ただ特別に入れてもらった診察室で、昨日見たばかりの医者がやけに神妙そうな顔をして、きっぱりと告げたのである。


「これは、光化症、と、名づけられました」


 つい先ほどの出来事に関心が持てず、名前が付いたからどうなのだ、とは終ぞ喉から飛び出ることはなかった。

 はあ、と曖昧な返事をした小鹿に、医者は残念そうに眉尻を下げて、事実「残念ですが」と口にする。


「現代医学では、治療方法がございません」


 そんなことだろうと思ったよ、とは、小鹿の口から零れていたが。



「治らないって聞いて、本当に落ち込んでしまって……今だからこうして外を歩けますけど、やっぱり最初の頃は、辛かったですよね」


 女性は僅かに目を伏せると、フラペチーノを啜った。汗を掻いた透明のカップはまだキンキンと冷たそうだ。小鹿のそれはもう殆ど飲み終わってしまって、「まあ、そうですね、」と曖昧な様子で言葉を返した。


「あなたも最初の方に?」


 女性の問いかけに頷く。隠す必要はなかったし、正直に話したところで真実かどうかなど知る由もない。女性は「大変だったでしょう」と一呼吸おいてから、「今も大変なのは変わりありませんが」と眉尻を下げた。


「七年前と比べて、大分周囲の理解は増えてきたと思いますが……まだまだ、迫害は多いです。私は幸いにも、余分に何かを巻いたり、着込む必要がない場所が光化したので、気づかれること自体あまりないのですけれど。目に見えてしまうと、勘の良い人にはすぐに気づかれてしまいますし、伝染するわけでも、支障があるわけでもないのに、どうしたって何をするのも障害になります」


 女性の目がちらりと手袋を見たので、言いたいことを理解する。


(すごく好意的に受け止めて、あなたはあからさまに光化症患者のアピール出来てすごいですねってところかな……)


 ひねくれた思考になった自分を内心苦笑しながら、話の続きを促す。彼女は「何も悪いことはしていないのにね」と小さく呟いた。


「人との関わりを持つのが極端に怖くなりました。本当に、信じられないかもしれませんが、久しぶりだったんですよ。自分から誰かに声をかけたの……」


 笑って、女性は「なんて、名乗りもせずにすみません」と締めくくった。頃合いだろう、とあたりを付けて、小鹿は「いいえ」と首を振る。カップの中は空っぽだ。氷すらも溶けてしまって、今から戻れば報告書作成に丁度良い時間と思われた。


「お気持ちはわかりますよ。普通であっても人付き合いなんて難しいのに、ハンディを負ったならなおさらだ。私も同じ光化症の方と出会うのは良い刺激になりますので、とても楽しかったですよ」


 あなたの勇気に感謝です、と、最後に笑って立ち上がった。女性もまたわかっていたのだろう、何も言わずに視線を上げる。


「もう、会う機会はないかもしれませんが。もしどこかでお会いできれば、またこうしてお話させて頂ければと思います」

「こちらこそ、お時間頂いてしまって……ありがとうございます、久しぶりに、楽しくお話しできましたわ」

「それは、なにより」


 笑い合って踵を返す。小鹿が店を出て駅へ向かうまで、女性の視線がずっと背中を追いかけているようだった。




「それで、君はのこのこ署にもどってきたというわけかい?」


 聞き終えるなりそう言って眉を顰めたのは大狼だった。今日は珍しく事務所内に何人かのメンバーがいる。普段あちらこちらと捜査や検査に出かけている先輩刑事たちが、小鹿の戻りが遅かった理由をからかい交じりに聞きたがったので、話していたのである。大狼は途中で部屋にやってきたかと思うと、一緒になって小鹿の話を聞いていた。


「大狼さん、そこはナンパするべきだって、そういう?」


 小鹿の隣の席でパソコンに向かっていた有馬が、意外そうに大狼を見る。大狼は「いいや」と首を振ると、「小鹿くんの記憶力のなさとひらめきのなさに呆れているところだ」と肩を落とした。

 散々な言われようで、小鹿は訳が分からない。何かやらかしただろうかと有馬を見るが、有馬もまた不明なようで、肩をすくめるばかり。


「いや、確かに美人でしたけど……俺がナンパするように見えます?」

「何もナンパしろとは言っていないだろう」


 見えねえな、という野次に混ざって、大狼が「そんなわけあるか」と小鹿を小突いた。座っている小鹿と立っている大狼では、ようやく大狼のほうが高くなるくらいの位置なので、拳は軽く頭を叩いた。それで、ふと気が付いたのである。


(あ、確かになんか、大狼さんに言われてた気がする)


 どうしたって自分の記憶が曖昧になってしまう、こればかりは自分で制御しようにもできないのでどうしようもない。光化症になる以前も同じような感じだったから、小鹿は元来記憶力があまり良くないのかもしれない。だからこそ、他人の記憶ばかり覚えたままになってしまうのかもしれないが……大狼がじっとこちらを見つめるので、小鹿は居心地悪げにパソコンに向き直った。報告書の作成も進めなければならないし、大狼と話をするのはそれが終わってからだ。


「ええと、あとでお伺いします……」

「そうしてくれたまえ」


 小さくなって答えると、大狼はふん、と鼻を鳴らして頷いた。有馬が「なんかよくわからんが、お前もよく大狼さんの地雷を踏むなあ」とけらけら笑っている。踏んでいる自覚はなかったが、確かに大狼の機嫌を損ねる率は高い気がするので、そうなのかもしれなかった。


「俺は研究室に戻っているから。報告書の作成が終わったら小鹿くんは来るように。あと有馬くん、君も人のことは言えないからな」

「えっ俺何かやりましたっけ!」


 大狼はくるりと視線を有馬へ移すと、「やりましたというか、やってない」と首を振る。


「いつまでたっても検診に来ないから、いよいよ君の代償が深刻化しているのではないかと心配しているくらいだよ。忙しいのもわかるが、廃人になりたくなければさっさと検診に来たまえ」

「有馬さん……有馬さんは検診さぼっちゃダメでしょうよ……」


 じっとりとした目で有馬を見ると、バツが悪そうな顔を浮かべて有馬は頷いた。明日行きます、とは本当に小さな声で、それでも大狼は満足そうに頷いた。


「それじゃあ諸君、報告書の作成、頑張りたまえ」


 何をしに来たのやら、いつものように遊びに来ただけだろうとは思ったけれど、それで大狼は出て行った。小鹿はまじまじと有馬を見つめる。


「有馬さん、そんなに検診嫌いでしたっけ」

「嫌いっていうか、嫌いなわけじゃないんだけど。結果が悪かったりすると、なんというか、いてもたってもいられなくなるというか」


 言葉を濁した有馬に、そんなもんですか、と適当な相槌を打つ。


「行かなきゃって思っちゃいるんだけどな……」


 怖い、という言葉は出なかったが、きっと怖いのだろうと小鹿は推測する。大狼が怖いのではなくて、検診結果が怖いのだ。

 以前大狼が話してくれた、代償の種類について思い出していた。代償には三つのパターン、〝過剰摂取〟と〝消失〟と〝状態異常〟に分けられるが、〝過剰摂取〟と〝状態異常〟の複合型である小鹿と違い、有馬の代償は継続的な〝消失〟である。能力を使用するたび、自分の中から失われていくものがあって、それが一生もとに戻らないというのはどのような感覚なのか……小鹿には理解できそうにない。


「でも、だからこそ、ちゃんと行かなきゃだめですよ」

「おう」


 わかってるよ、と有馬は頷いた。それで報告書に向き直る。とにかくさっさと報告書を仕上げなければならなかった、し、小鹿は小鹿で、早いところ大狼のもとへ行かなければならなかった。


(そうだ、覚えておけよって、言われたんだった……)


 代償の話をしたのは何故だったか、それでぼんやり思い出す。巷で騒がれている変死体の事件。大狼は「直感でしかない」と前置きつつも、確かに小鹿に何かを期待していた。事件の鍵となる何かと、小鹿が接触をするのではないかという、直感。


(そんなもの、あてになるとも思えないが)


 不思議と大狼の言うことはその通りのような気がしたし、実際当たることのほうが多かった。となれば、大狼は小鹿に、「その女性は事件の鍵となる人物ではないのか」と、そう言いたかったのだろう。もっとも、人のいるこの部屋で口にすることは憚られたようだったが。


(例えそうであったとして、あの時話を聞く以外に、俺に何ができたのか……)


 わからないな、と小鹿は唇を噛んだ。万引き事件の報告書はあっという間に出来上がり、プリントアウトして印を押す。提出してしまえば、あとはもう自由だった。


「じゃあ、大狼さんのとこ、怒られに行ってきます」

「おー」


 ぼんやり告げると有馬が返事をくれる。ため息を吐きたいのをぐっとこらえて、小鹿は光犯課を後にした。



 ガラスの部屋の中で、大狼はデスクに座りコーヒーを飲んでいた。壁に掛けられたテレビが二台とも、ニュースを流している。音声が出ているのかどうか、部屋の外にいる小鹿にはわからない。ただそのうち一台は字幕が流れているので、消音にしているようだ。どちらも違う番組だったが、流れているニュースはどうやら同じものだ。規制線の外側から、緊迫した様子のアナウンサーがマイク片手に状況を説明している、らしい。後ろに映っている白いマンションが同じ場所だった。

 扉の前まで来ると、大狼はノックをせずともこちらに気が付いた。ガラス張り、ということは、大狼側からも外の様子がよくわかるということだ。手招きされて小鹿は遠慮なく室内に入り込む。重いガラスの扉を開ければ、すぐに聞こえるテレビの音。やはり一台は消音に、一台は音を流しているらしい。つい先ほど起きたニュースのようで、速報、というテロップが見えた。


「思ったよりも早かったな。きちんと報告書は仕上げたのかい?」


 視線はテレビに向けたまま、大狼は問うた。小鹿は「はい」と頷くと、断りなくソファに座る。そこ以外に座る場所がないのもあったが、大狼はそれくらいで目くじらを立てる男ではなかった。小鹿が座ったのを見とめてから、「懸念していた通りだ」と大狼は言う。


「小鹿くん、正直に、俺が話した内容を正確に覚えているか?」

「ええと、大狼さんが話した内容、というと、」


 この間のことだよ、と大狼は続ける。小鹿は曖昧に「一応」と頷きかけたが、瞬間大狼の顔がこちらを向いたので、「正確ではありませんけど」と口ごもるように答えた。どの程度を「正確」とするのか不明だが、ついさっきまで忘れていたことは事実だ。


「覚えていてほしい、と言われたことは覚えています。事件の概要も……大狼さんは、俺がさっき出会った女性が、何かしらの重要人物だと考えてますね」


 代わりに大狼の言いたいだろう内容を口にすれば、大狼はうむ、と大きく頷いた。予想は当たっていたらしいが、ならばやはり、小鹿は大狼の期待を裏切ったことになる。


(正直に、情報らしい情報はほとんど得られなかったからなあ)


「ところで小鹿くん、君が休憩をしたというそのコーヒーショップは、児童公園の近くにある商店街の店だったかな?」

「そうだと思いますけど、どうして?」

「次の事件がちょうどその近くで起こったからだよ」


 ほら、と、大狼はテレビを示した。

 それで初めて、小鹿もテレビに意識を向ける。ニュースキャスターはこんなことを言っていた。


『本日夕方十六時過ぎ、××公園付近のマンションで男性の死体が発見されました。亡くなったのはマンションの住民の矢島隆さん二十八歳で、第一発見者は隆さんの妹とのことです。発見当時、隆さんはベッドに横になっており、まるで〝九十を超えた老人のようだった〟とのことです。同様の変死体が発見される事件が市内では相次いでおり、警察は関連性を調べるとともに、光化症能力者による殺人事件の可能性があるとしています――』


 パッと画面が切り替わり、第一発見者らしい妹のインタビューへ移る。動揺した様子の妹は、首から下だけ画面に映っており、「あれが兄だと今でも信じられません」とインタビュアーに答えている。


「同一犯ですか?」

「だろうな」


 大狼の言ったとおり、事件現場は小鹿が彼女と遭遇したコーヒーショップの近くだった。とはいえ、ちょうど発見時刻の少し前に小鹿は彼女と話をしている。この間の大狼の話を踏まえるのなら、今回の殺人事件の犯人は特異能力の代わりに状態異常系の代償を持っていると考えられ、とてもじゃないが、彼女にそのような兆候は見られなかった。


(あるいは、誰かと話をしなきゃいけないとか、そんな感じの代償だったらわからないけれど)


 具体的にどのような事象が代償となりうるのか、小鹿にはわからない。そのあたりは大狼でさえ調べきれていないというのだから、何でもありなのだろう。小鹿のように食べて終わりの能力者もいれば、有馬のように重大なものを失っていく能力者もいる。あえていうならそれらはすべて「運」で決められており、統一性のない「ランダム」な事象だった。そも、光化症の発現自体が「ランダム」だ。


「まさか君と出会った女性が犯人だと断定はしないが、この、矢島隆さんを殺害したのは少なくとも数日前だと考えてよいだろうな」

「どうしてですか?」

「状態異常系の代償の可能性が高い、とこの間は話をしたな。状態異常は基本的に一定時間特異な状態に陥るものだ。この事件の犯人のように、人ひとりを殺害するレベルに能力を使用したとなれば、その代償は大きく、急速に表れると考えられる。となると、比較的事件現場近くで代償が終わるのを待っている可能性が高い」

「ああ、つまり、仮に彼女が犯人だったとして、それは代償がクリアされたから外に出てきた、と、そういうことですね?」

「その通り」


 答えを示すと、大狼は嬉しそうに目尻を下げた。


「今では街中でも光化症患者を見かけることが増えたがな。絶対数はまだまだ少ない。光化症予備軍は非常に増えているらしいが……君の話を聞く限り、その女性は最初期からの患者というじゃないか。能力持ちである可能性は高いし、不自然に君に近寄っているのも気になる」


 不自然だっただろうか? と考えて、すぐに思考を放棄するくらいには、確かに不自然だった。いくら同じ光化症患者だったからといって、視線が合っただけで相席をするだろうか。下手なナンパと同じである。


(もっとも、この場合は逆ナンになるのかな)


 詮無いことを考えて、小鹿はなるほど、と口の中で呟き返す。不自然に、ということは、光化症患者であれば誰でもよかったのか、小鹿が何者なのかわかったうえで近寄ってきたのか。


「どちらにせよ、下心があって近づいてきたのは間違いないだろう。彼女とどんな話をした?」

「どんなって、それほど突っ込んだ話はしてないですよ。さっき話したくらいで……」


 戸惑って大狼を見つめたが、大狼は「ではもう一度」と返すだけで、この話を終わりにするつもりはないらしい。らんらんとした瞳は好奇心にあふれていて、こうなった大狼を止められないのは小鹿もよくよく知っていた。元来、好奇心の塊のような男なのだ。仕方なしに肩を落とす。


「ええと、はじめ、八百屋で買い物をしている彼女を俺がぼんやり眺めていて、そうしたら急に振り返った彼女と目があって――」


 そうだ、と、小鹿は思い出す。彼女の光化部位はカーディガンで覆われる場所、ワンピースの薄い布地では日中隠せないレベルの光化深度であることを。


(それは、直接聞いたわけではないけど)


 ほぼ間違いないだろう。彼女が来ていたカーディガンは、少し裾の短いタイプのもの。覆われていたのは腕、肩、胸回り、背中。腹は裾の長さが中途半端なのもあって、光化部位ではないだろう。話しぶり的に、腹が光化部位ならばもっとしっかり腹にかかるような服装をするはずである。


(まあ、ワンピースの下に何か着てたっていうならわからないけど)


 思いながら推測を告げると、大狼はふむ、と真剣なまなざしで「でかしたな」と呟いた。


「今の話でおおよその見当はついた。その女性の光化部位は心臓付近とみて間違いないだろう」

「え、なんでわかるんですか?」


 きっぱりと断定した大狼に、小鹿は首を傾げる。正直に、小鹿の推測以外にヒントは何もなかったし、その推測だって外れているかもしれないのに、なぜ断定できるのか。大狼は「彼女と君の会話と、君の考察を踏まえれば見えてくるよ」と笑う。


「まず、今日彼女が着ていた服装がワンピースだということ。どのようなタイプのワンピースかは知らないが、君の口ぶり的に、今日は天気も良かったから、きっと袖の短いタイプのものだろうと思う。もとより、冬物のワンピースでなければ基本的に袖周りは軽い作りのデザインが多い。

 次に、彼女の発言だな。厚着をして出かけるようになった、と言ったそうだが、そのあとに余分に着込む必要のない場所、だとも言っている。つまり、普通に服を着れば必ず隠れる場所が光化している、ということだ」


 言われてみれば、と小鹿は言葉を思い返す。確かに彼女はそのように言っていた。あの時は自分の手袋について指摘を受けて、少し不快な気持ちになっていたから気が付かなかったが、確かに読み解けば大狼の言うとおりだった。普通に服を着れば必ず隠れる場所……つまり、肩や腕が光化しているとは考えにくい。


「となれば胸回りか背中だといえるが、背中が光化していた場合、部屋を暗くしたところで自分一人ではなかなか光化に気づきにくい。背中は後ろを向いているから、どうしたって光化による光も後ろを照らすからな。部屋を暗くしてぼんやり光っているのに気付いた、くらいだから、すぐ視界に入る場所が光化していたんだろう。となると、考えられるのは胸回り――心臓付近だ」

「でも、それじゃあ、」


 心臓が光化することってあるんですか……?

 問いかけた小鹿の声は少しだけ震えていた。内臓が光化しないとは限らない。意外な光化部位で言えば、小鹿は有馬の両目にだって驚いた。視線を合わせない前提で光るところを見せてもらったことがあるが、まるで夜行性の動物のように、はっきりと両目が光っていたのである。瞳、という特殊な場所だからか、小鹿の左手よりはやわらかい光だったが、それでも暗闇の中で見えてしまう光は異様だった。見る人が見れば、美しいと思うのかもしれないけれど。

 だから内臓が光化することだってあるだろう。小鹿が出会っていないだけで、光化症研究所に行けばいくらでもいるのかもしれない。

 大狼は渋い顔のまま「わからん」と曖昧に答える。


「わからんって……」

「心臓の光化は見たことがない。第一、外部に光が漏れるまでにどれだけの障害を通らねばならないのか、考えただけで気が遠くなる。それが外に光が漏れて、かつ〝ぼんやりと〟でも周囲を照らすくらいなのだから、どのみちその女性の光化深度は重度に認定されるだろう」


 だからこそ、だ、と大狼は続けた。


「それほどの深度を持っているなら、能力が強大であっても不思議はないだろう。仮に成長促進であるとして、心臓に触れることはできないから……能力使用条件は、音、か、何か」

「音?」


 耳慣れぬ単語に問い返す。大狼は「そう、音」と繰り返すと、そこでようやくテレビを消した。ぷつり、と、二台とも真っ暗になって、室内に静寂が戻る。大狼は残っていたコーヒーを一気にあおると、「研究所のほうにな、一人そういうやつがいる」と教えてくれた。


「具体的な能力は教えられんがな。声帯付近が光化しており、一定時間そいつの声を聴いたものに影響が見られた。そいつは消失系の代償でな、聴力がほとんどない」


 仮説だが、と大狼は前置くと、渋い顔のまま話を続ける。


「比較的表面にある光化は接触によって能力が生じるが、内部に起こった光化については、その内部を経由して起こる音であったり、振動であったり……伝達して起こる〝モノ〟について能力が生じるように見える。有馬くんの視線もそうだな」


 光化症も、光化症による能力についても、いまだ未解明な部分が多い。大狼は光化症研究の第一人者で、きっと世界中の誰よりも光化症について詳しいだろうが、それでもなおわからないことだらけなのだと言った。


「未知の世界から舞い降りてきた、病気なのか異能なのか……それすらもわからない。ただ光るだけで人体に影響が全くないともいえない。だから、どんなことが起こったって、〝ありえない〟とは言えないのだ」

「……少し、難しいですが。わかります」

「しかし犯人は巧妙だな。こう立て続けに起こればさすがに警察だって共通事項を探す。容疑者が割り出されれば、いよいよ光犯課に話が行くだろうに。来ないということは、容疑者すら絞れていないということだ」


 つまり、共通事項が全く見えない状態。小鹿は一つ頷いて、「次も来ますかね」と大狼に問う。


「さあ、こればかりは……せめて君が、彼女の連絡先でも聞いておいてくれればよかったんだがな」


 犯人であってもなくても、重度である可能性が高いのならば、大狼としては実際に会って話を聞いてみたかっただろう。


「いっそ、光化症研究所なら何か情報あったりしないんですか?」


 あそこ、全国の光化症外来の診察履歴が見れるでしょう。何気なく呟いた小鹿の言葉に、大狼が「あ」と声を上げてこちらを見つめる。珍しく間の抜けた表情に、「もしかして」と呟くと、大狼は気まずそうに視線をうろつかせた。


「そう、そうだったな。気が付かなかった」


 恥ずかしそうな様子に、大狼もこんなことがあるのかと意外に思う。八生のこともあって、大狼は研究所とそれなりに深い付き合いをしていたと思ったが。


「大狼さん、疲れてるんじゃないですか?」


 からかい交じりに続ければ、うるさい、と小さな声が返ってきた。

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