4.あいのない音

 こつこつと時計の音が響いていた。壁にかけられた大きな振り子時計は、きっとこの屋敷の主だ。時計の音は屋敷全体に響き渡って、まるで空間そのものを支配しているみたい。

 暖炉のあるリビングの、ワインレッドの肘掛け椅子に深く腰掛けていた。ぱちり、ぱちぱちと炎ははじけていたが、それほど寒いわけではない。膝掛の柔らかい感触が足を包んでいて、少しだけ眠たさを感じていた。


「眠ってしまうのかい?」


 あなたは言う。私から少し離れた椅子に座りこんで、じっと本を読んでいた様子だったのだけれど。眠くないわ、と答えたのは強がりだった。気づかれてしまった恥ずかしさに顔を背けて炎を見つめる。ぱちぱち、と小さな炎の音を消すように、こつこつと時計の音が響いている。


「眠ってもいいよ」


 あなたは続けた。私はゆっくりと首を振る。眠るのは怖い、怖いから眠りたくはない。


「君はベッドルームが嫌いだものな」


 苦笑じみた様子であなたが立ち上がったのを感じた。古い椅子の軋む音がする。重たくなった瞼は必死に持ち上がろうと動くのだが、どうにも上手くいきそうにない。

 あなたがそっと近づいてくるのがわかる。「来ては駄目」といつも言っているのに、あなたは言うことを聞いてくれない。

 近頃の私の、この抗いようのない眠りについても、あなたは「疲れているだけだよ」とそれだけで、何も言ってはこなかった。病院を進めることも、いっそ寝てしまえと促すことも、起きていなさいと叱責することも。


「眠っておしまいよ、見ていてあげるから」


 ふわりと暖かな掌が頭を撫でた。優しくゆっくりと、その内瞼は抵抗することを諦めて、ことり、首が重力に従う。こうして肘掛け椅子で眠ってしまうことを、やはりあなたは何も言わないのだ。ただその度、私の嫌いなベッドルームで目が覚めるので、こっそり運んでくれているのだろうと知っている。


(ああ、駄目なのに)


 近づいては駄目、それ以上触っては駄目、こちらに来ては駄目、見ないで、どこかへ行って。

 声に出して懇願できればよかったのに、私の口は縫い付けられたように動かず、瞼も同様に開かなかった。あなたの目尻の皺が増えたことを知っている。手が少しだけしわくちゃになったのを知っている。あなたといるから、きっとこんなにも眠いのだ。


(眠るのは、怖い)


 目覚めた時全てが終わっている恐怖があった。私だけが取り残されてしまうのではないかと、そんな、恐怖。あなたに言えば「そんなことあるはずがないよ」と笑われてしまうのだけれど、そうなる予感がしていた。


「ほらね」


 私をベッドに寝かせた後で、あなたも一緒に眠っているのを知っている。でなければこんなにも、ずっと眠い筈がないのだ。

 こつこつと時計の音がする。目を覚ますのが怖かった。いつの日か隣にいたはずのあなたが、老いた姿で動かぬのを見つけてしまう気がするから。眠ってしまうのが怖かった。私だけが取り残されてしまうから。

 時計の音は屋敷を支配していたけれど、私だけは支配できない。あなたの時間を掬い取った罰のため、私は今日も目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る