第4話 箱根への旅

都内で自分のような中年の男が女性と一緒に行けるところで、人も多くないところを選ぶのは難しい。


それでも出張などで日曜日がつぶれない限り、凜を誘って出かけては食事をした。食事は個室のあるところを選んだ。凜は必ず付き合ってくれた。


今度の日曜日と月曜日は連休となるので凛を一泊旅行に誘ってみようと思った。携帯に連絡を入れる。


「今度の連休だけど、日曜日に出かけて一泊して月曜日に帰ってくる旅行へ行かないか?」


「休日の夜は店を開けないのでかまいません」


「どこがいい?」


「おまかせしますが」


「じゃあ。無難なところで箱根でも当ってみるよ。予約がとれたら、待ち合わせ時間と場所などをメールで連絡する。それと同室でいい?」


「かまいません。楽しみにしています」


ネットで調べて、芦ノ湖の湖畔のホテルを予約した。新宿から10時10分発のロマンスカーで箱根湯本に入る予定で、改札口で待ち合わせることにした。


◆ ◆ ◆

日曜日、待ち合わせ場所には早めに到着した。新宿駅は広いので待ち合わせ場所でうまく落ち合えるか心配だった。まあ、携帯があるから連絡はすぐに付くので安心ではある。


娘が選んでくれて気に入っているジャケットを着てきた。少しは歳よりも若く見えるだろう。手には小さめの旅行鞄を持っている。


改札口に到着したが、10時までしばらく時間がある。周りを見渡すと、凜らしき女性が立っている。今日もメガネをかけているが、凛に間違いない。


近づいて「おはよう」と声をかける。凜が驚いたように振り返る。僕と分かって安どの顔を見せる。


「早く着いていたの?」


「駅は広いのでうまく会えるか分からないので早めに来ました」


「今日もメガネなんだ」


「サングラスでは返って目に付くから、これはだてメガネで度が入っていません。コンタクトをしているので、すぐにはずします」


「やっぱり気にしているのか」


「そうでもないけど、用心に越したことないですから」


「すぐにホームへ行こう」


「二人で歩いていると、はたからどう見えるかしら」


「中年男とその愛人?」


「今日はどちらかというと地味な服装にしました。そういうあなたはどちらかというと若いスタイルだから、そうは見えないと思います」


「実際、君は愛人でもないし、普通の交際相手だから、そのような関係にしかに見えないと思うけど」


ホームにはすでにロマンスカーが入っていた。指定の席に着くと凜を窓際に座らせる。まもなく発車した。


この車両は小田原までノンストップだから、発車すれば新たな客は乗車してこないというと、凜はメガネを外した。そして外をじっと見ている。街並みや住宅街が続く見慣れた東京の風景だ。車内販売が来たのでコーヒーを二つ購入。


「ずっと外を見ているね。考え事でもしている?」


「旅行は久し振りですから、のんびりと外を見ていました。誘っていただいてありがとうございます。私の分の費用は私が払います。そうさせて下さい」


「大体一回分くらいだから、気にしなくても良いけど、君がどうしてもというならそうしてもいい」


「さっき、おっしゃったでしょう、愛人ではないと、だから、なおさらそうさせて下さい。嬉しいんです。まともな女として付き合ってもらって」


「でも下心はあるけどね」


「男は皆そうです」


「まあ、そうかもしれない。でも二人でのんびり過ごしたいと思っている」


「私もです。久しぶりに温泉に浸かってのんびりしたい」


「気楽に行こう、気の向くままにしたい」


僕の肩にもたれて外を見ていると思っていたら、凜は眠っていた。日曜日は自宅でゆっくりしたかったのかもしれない。早起きをさせてしまった。しばらくして目を覚ました。


「眠っていたみたいだけど、早起きさせたからかな」


「いえ、そうじゃなくて、心地よくて眠ってしましました。こうしていると安心するというか」


「それならいいけど、僕もひと眠りさせてもらおうかな」


外の田園風景を見ていたらいつのまにか眠っていた。電車が止まった。二人とも眠っていたみたいだった。


「着いたみたいだね、意外と早く着いた」


「あれからまた眠ってしまいました」


「これだけ眠ったら今夜は眠れないかもしれない」


「それなら夜通しお話ししましょう」


「・・・・」


それから箱根登山鉄道に乗り換えて、ケーブルカーに乗り換えて、ロープウェイで湖尻に到着した。そこから船で元箱根へ向かい予約したホテルには3時前には到着した。


凜は箱根へは修学旅行で一度来ただけと言っていたので、途中の大涌谷ではロープウェイを降りて二人で散策した。凜はまるで修学旅行の生徒のようにはしゃいでいた。ここでは人目も気にならないと見える。そして湖尻で軽く食事をした。


案内された部屋は和室で窓際の小部屋にはソファーがあって湖が良く見える。露天風呂ではないが、湖が見える温泉のお風呂がついていた。


「お風呂がついているけど、僕は大浴場に行ってくる。君はどうする?」


「私も大浴場に行ってきます」


二人は浴衣をもって早速、大浴場へ行った。久しぶりの温泉はいい、身も心も温まる。


部屋に戻ると凜はまだ戻っていなかった。窓際のソファーに腰かけてビールを取り出して飲んでいる。窓から芦ノ湖の湖面が見える。遊覧船が動いていく。今日は快晴で湖面に周りの山々が映り込んでいる。絵葉書のようで眺めていると心が休まる景色だ。いつまで見ていても飽きがこないし、少しずつだけど時間と共に変化している。


浴衣に着替えた凜が部屋に戻ってきた。凜の浴衣姿を見るのは初めてだが色っぽいので、じっと見つめていた。


「そんなに浴衣姿が珍しいですか?」


「きれいだし、色っぽいね、いいもんだ浴衣姿は、目の保養になる。どう、ビール」


「はい、私もいただきます」


凜は僕の正面に腰かけた。そしてうまそうにグラスを空けた。


「おいしい」


「いい、飲みっぷりだね」


「温泉に浸かって、湯上りにビール、やっぱりこれが最高ですね」


「親父みたいなことを言うね」


「もう一杯お願いします」


もう一杯もうまそうに今度はゆっくりグラスを開けた。凜は満ち足りた表情を見せて僕に微笑んだ。僕もグラスを空けると、凜が注いでくれる。


「少し酔いが回って気持ちいい。横に座っていいですか」


「もちろん」


凜が隣に座って寄りかかってくる。こちらも寄りかかるようにしてバランスをとる。


「恋人同士って、きっとこうしてもたれ合うんじゃないかなと思って」


「もたれ合いたいから、恋人同士なんだと思うけど、きっと」


「それなら、私たちは恋人同士?」


「そこまで言えるといいけどね」


「でもこうしているとなぜかほっとします」


凜は目をつむって僕にもたれかかっている。その湯上りの身体が温かい。


「僕はいつも君に癒されていた。今、君がそういう思いをしているとは妙な気分だけど」


「いつもあなたは私といると癒されると言っていましたが、その気持ち分かるような気がします」


「分かってくれた?」


「今はどうなんですか?」


「癒されるっていうより、少しドキドキしている。好きな娘に身体を預けられてどうしようって」


「いつもと違うの?」


「ああ、ドキドキして緊張している。この後どうしようかと考えているから」


「どうしようって?」


「抱きしめてキスしたい」


凜を抱きしめてキスをした。凜は抱かれてじっとしている。しばらくそのまま凜を抱いていると、温泉の匂いとぬくもりに包まれる。凜の身体の心地よい温かさを感じている。


「今ようやく心が満たされて癒された気持ちになった」


「よかった、そういう気持ちになってもらえて」


今の二人はただ抱き合っているだけでよかった。そのまま二人はうたた寝をしたみたいだった。


ドアのチャイムで気が付いた。夕食の配膳をしてくれると言う。二人はソファーで配膳の様子を見ている。お酒はと聞かれたので、日本酒を頼んだ。


「眠っていたみたいだね。二人は日ごろよっぽど疲れているのかね」


「こんなにのんびりしたのは久しぶりですから、お店ではいつも自然と緊張しているのかしら」


「僕は会社ではいつも緊張している。だから帰ると必ず晩酌をして緊張をほぐしている」


「私も自分一人で切り回しているので、気を使うことは少ないけど、やっぱり、客商売は気を使います」


「たまにはお客になるのも悪くないから、今日はのんびり飲んで食べよう」


「そのために来ましたから」


「自炊しているの」


「もちろんです」


「料理は何が得意なの?」


「お店のメニュー位ならなんとか、お味はいかがでしたか」


「オムライスはおいしかった」


「ほかに作ろうと思えばなんでもできますけど」


「そりゃあ大したもんだ」


「僕は料理と言えば野菜炒めか生姜焼き、カレーライス、シチュウ、肉じゃがくらいかな。娘にいつもレパートリィーが少ないと小言を言われていた。そのうち娘が食べたいものを自分で作るようになったから、それはそれでよかったと思っている」


「私も父子家庭でしたので、中学生のころから自分で食べたいものを作るようになりました」


「それで自然と料理を覚えた?」


「自己流ですが、このごろはネットで調べて作ったりしています。便利になりました」


そんなことを話していたら夕食の準備が整った。食べきれないくらいのご馳走が並んでいる。二人は席へ移って食べ始める。


「作ってもらった料理をのんびり食べるっていいですね」


「ここの料理はおいしい」


「家では料理を作るんですか?」


「いや、仕事で帰りが遅くなることが多いので、弁当や総菜を買って帰ることが多いかな」


「外食はしないんですか?」


「僕はどちらかというと外食はしたくない方なんだ。大体、夕食の時にお酒を飲まないと緊張が解けない。やはり会社でストレスを感じているからかな。だから、外で食事を終えて少し酔いが回って気分のいいところで家まで帰るのが嫌なんだ」


「その気持ち分かります」


「食べてからすぐに横になってのんびりしたいから、弁当や総菜を買って帰って、それを晩酌しながら食べることになる。食べたらすぐに横になってテレビでも見る」


「でも一人で食べるのは味気ないですね」


「誰かと食べるとまたそれはそれで気を使うからね」


「私と食事する時も気を使っていますか?」


「君は特別だから、特に気を使っている」


「いつも気を使っていただいてありがたく思っています」


「でも楽しいからいいんだ」


「やっぱり一人は寂しいですね。私もお店以外では一人でいることが多いから」


「所詮人間は孤独なものさ、そんなことはとうに分かっている。それには慣れた。いや、諦めた」


「強いんですね」


「辛いことに耐えるには一人の方が良いと思っている。二人だと辛さが倍になる。でも楽しい時は二人が良い。楽しさが何倍にもなる」


「優しいんですね。確かに辛いことは愛する人と分かち合いたくないですね」


「一緒にいても、君に負担をかけるつもりはない。ただ、いつもそばにいて楽しい時に一緒に楽しんでくれたらと思っている」


「それはとても楽なことですが、一緒にいる意味がありません。辛い時にお互いに助け合えることが大事だと思いますが」


「君にそこまで求めるつもりはない。でも僕は君の辛い時はいつでも助けるから」


「遠慮しているんですね」


「遠慮じゃなくて、そこまでさせたくないだけだ」


「お付き合いを始めたばかりですから、そう考えるんですね」


「君とは長い付き合いだったけど、身体だけの付き合いだったからかな、でも心はいつも癒されていた」


「身体だけの付き合いでも身体が癒されると、自然と心も癒されるんです。そして身体の繋がりができると情が移るものですよ」


「その情というのが分からない。何なんだろう。男と女には一番大事なもののような気がするけど」


「男女の仲ってそういうものでしょう。難しく考えることないと思います。好きになって、愛し合って、また好きになる。そして絆が強くなっていく。情が移るってそういうことだと思います」


話が弾んだ。凜は男女の話になると持論を持っているようだ。僕より経験が深いからかもしれない。お酒も入って十分に食べた。


丁度良いころあいに仲居さんが来て片付けてくれる。それから、布団を二組敷いてくれた。


「今度はお部屋のお風呂に入りましょう」


「一緒に入るかい?」


「はい、お背中を流してあげます」


「久しぶりで嬉しいな」


「先に入っていて下さい」


先に入ると、窓から向こう岸の湖畔の明かりが見える。湯加減は丁度いい。湯船も二人がゆったりと浸かれる大きさがある。


凜が入ってきた。薄明りの中で白い裸身が美しい。身体はあのころと変わっていない。以前は髪が長かったので、アップにして留めていたが、今はショートなのでそのままだ。湯船の中の僕のそばに浸かった。


「丁度いい湯加減ですね」


「大浴場もいいけど、ここもいいね。二人ゆっくり浸かれる」


「こうしていると心が癒されます」


「二人だからいいんだ」


「二人でいるって良いことなんですね」


「心が通い合っているとなおさらだけど」


「通っていると思いますが」


「そうならいいけど」


「気持ち良くて眠ってしまいそうです」


「ここで眠っているわけにもいかない。身体を洗ってくれる?」


凜は丁寧に身体を洗ってくれた。僕もお返しに洗ってあげた。それから身体を拭き合って、部屋に戻った。布団に座ってどちらからともなくキスをして愛し合う。


僕は心地よい疲労を感じながら、腕の中の凜を撫でている。凜は少しも変わっていなかった。今、布団の中で僕に背中を向けて抱かれている。


「少しも変わっていないね」


「もうそんなに若くはないわ」


「そんなことはない、僕も歳をとった」


「男盛りの素敵な年齢です」


「君にはいつも男としての自信をつけてもらっていたよ」


「それならよかったです」


「身体が温かいね」


「こんな風に抱かれて眠りたかった。背中があったかくて気持ちよくて眠りそうです」


そのまま二人とも眠ってしまった。


明け方、凜が布団から出て行く気配で目が覚めた。凜は部屋のお風呂に入っていった。それを見て僕はまた眠った。そして凜がお風呂から出てきた気配でまた目が覚めた。


「おはよう」


「おはようございます。お風呂入ってきました。気持ちがいいです」


「昨日はよく眠れた?」


「ぐっすり眠れました。こんなぐっすり眠れたのは久しぶりです。ありがとうございました。後ろから抱いてもらって背中が温かくて気持ちよかった」


「やっぱり一人で眠るよりも二人がいいね」


「そう思います」


僕もお風呂に入った。それから二人で朝食に部屋を出た。朝食は食堂でビッフェスタイルだった。好きなものを選んで食べればいいが、僕は和食、凜は洋食にした。


10時前にチェックアウトして湖畔を小一時間ばかり散策した。そしてそこから11時の新宿行の高速バスに乗って帰った。バスの中では二人もたれ合ってまた眠った。


新宿には午後1時30分に到着して、そこでそのまま別れた。別れ際、凜は今回の費用の半分を払うと言って聞かなかった。その気持ちも考えて費用の約半分を貰った。そして「普通につき合ってくれてありがとう」と言って嬉しそうに帰って行った。

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