猫様は主人を待っている

猫様は待っていた。


もう遠い、小さな記憶。

おいらがまだ、子猫だった頃の出来事。その頃のおいらは、幼い女の子のいる家庭で幸せに暮らしていたんだ。

けれど、まさかこうなるとは思ってなかったんだ。


「…ごめんケンタ。ママを説得出来なかったの。でも置いていくの、やだ…!」


小さなおいらのご主人様が、今にも泣きそうになりながら、小さな段ボールの箱の中に入ったおいらの頭を撫でている。ずっと、ごめんなさいと呟いている。

そのご主人様の後ろから、大人の人がぴりぴりしたオーラを纏ってやって来た。

この人は、ご主人のママ。

いつも家事や育児で忙しそうにしていて、正直苦手だ。

彼女は珍しくこちらを見る。


「……悪いけど引っ越し先にあんたを連れてけないの。せめて、優しい人に拾われてな」

「ママ、やっぱりケンタを連れていきたいよぅ…」

「駄目に決まってんでしょ!次の引越し先はペット禁止なんだから!もう引っ越しのトラックが来ちゃう、行くよ!」


ご主人様は小学生の女の子。優しくてあったかくて、おいらに『ケンタ』って名前をくれた。

辿々しい字で書いた名前入りの首輪もつけてくれた。

ママさんは、渋々といった感じだけどご飯もお水もくれたし、パパさんもおいらを歓迎してくれてる、と思ったのに。

二人の姿は、あっという間に遠ざかっていく。

なんでおいらを置いていくの?!

急いで追いかけていったけれど、元の家に付いた頃には、大きな車にご主人様と両親が座って、丁度何処かへ向かうところだった。


どうしよう、行っちゃう…!

と思ったのに、今度は早くて追いつけそうにない。

見えなくなったところで、どうしようかと困りながら彷徨いていたら段ボールのある場所に戻ってきてしまった。

……でも、ご主人様はきっといつか戻ってきてくれるかもしれない、そう思って待つ事にした。


それが、数日前の事。

あれから何日経っただろうか。ずっとご主人様が戻るのを待っていたが、来てくれなかった。

待ちきれなくて、辺りをうろうろとしていたら余所の猫に威嚇をされて、慌てて逃げる事もあった。

置いていてくれたカリカリは食べてしまったし、ご飯……は、えーとどうすればいいのだろう?


「おやまあお前さん。捨てられちまったのかい」


ふと。大きな黒い猫がおいらに話しかけてきた。大きくて、ちょっと薄汚れているが、他の猫と違って威嚇をしてこない。


「捨てられた……って何?……ええっと、おじさんは誰?」

「オレっちはこの辺りをナワバリにしている野良猫さ」

「ノラネコって名前なんだ。おいらはケンタっていうんだ!」

「あー、オレっちに名前はないぜ」


名前がない?

どういう事なんだろうかと不思議そうにしていると、野良猫は

ニンゲン達は皆好き勝手に呼ぶがな。と面倒くさそうに答えた。


「え、そうなのか…?」

「野良猫だからよ。……呼びにくいならクロって呼んでくれ」


おいらはそう説明されても、いまいちピンと来ていなかった。

それを察したのか、黒い野良猫ことクロさんはくるりと回る。

真っ黒い体毛に、金色と青の目をしていた。


「それよりほれ、オレっちの後ろについてきな」

「……へ?」


そうして理由も分からずに、クロさんに連れられて知らないお家の縁側にやって来た。

何なんだろうかとそわそわしていると、野良猫が『おーい、いつもの時間だぞー』と鳴いて誰かを呼んでいた。

すると、お家の中からゴツいニンゲンの男の人が出てきた。野良猫を見るとそのニンゲンは、ふわっと目尻を緩ませてにこやかになった。


「何だ、クロ!まーた新しい奴を連れてきたんか?」

『にゃあー』

「全く、いっつもお前さんは優しいねぇ…」


と踵を返して家の中に戻っていくニンゲンの丸い後頭部を見ながら、おいらはぽかんとしていた。

あれ、優しい……?


「ここの家は夫婦で住んでいてな、猫好きなんだ。家猫達の他にもオレっちの様なノラが遊びに来ると、餌を出してくれんのよ」

「……え、クロさん、ここがお家じゃないんですか」


あの男の人は、クロさんの事を分かっている感じがしたんだけどな。


「クロっつうのは、ここの奥さんが勝手に付けただけさ。別にこの家の猫になったわけじゃない」

「またまたー。意地っ張りなんだから☆」


そんな声がして、声の方を向くと。

スラリと長くスタイルのいいメスの猫が、楽しそうに近づいてきた。


「初めましてね。クロちゃんに連れて来られたんでしょ。大丈夫よ、取って食うわけじゃないから」

「あ、オイラはケンタで…」

「チビ!相変わらず喧しいなお前は」


にこにこと笑っている彼女…チビさんは、まだ可笑しそうにしている。


「そっかなぁ、毎日ここの縁側に帰って来るくせにクロちゃんはカッコつけちゃってー☆」

「おい黙れチビ」

「もうクロちゃんよりでっかいですー。かーちゃんがチビって呼んでるだけだもんー」


二人の大きな猫が言い争っていると、それに気づいたのか、数匹のネコが集まってきた。


「ええっと……」

「クロさん、新入りが戸惑ってるから落ち着いて」

「ほら、とーちゃんが戻って来るよ」


縁側に戻ってきたニンゲンは、わらわらと集まってきた数匹の猫達に出迎えられても動じていなかった。

それから、ケンタにも見慣れていた容器をクロの前に置いた。


「……はあ、たくよぉ。他の猫は部屋の中で食べるのにお前さんは頑なに入らねえんだから。ほれ」


やっぱり野良猫生活が長いと人間の生活スペースは警戒するのかね、とぼやきつつも。

カリカリの入った皿と、お水の入った皿を置いたニンゲンは、そのまま他の猫を連れて部屋の中に入っていった。


「他の皆は何処に行くの?」

「あいつらは、ここの家で飼われている猫だからな」


家の中にご飯用の皿とお水入れが用意されているんだ。とクロさん。

ご飯いいなと思ったが、クロさんがじっとこっちを見ている。


「…クロさん、食べないの?」

「ケンタ。今のうちに食べちまいな」

「え、でもこれクロさんの」

「いーんだよ。老いぼれの言うことは聞いておけ。オレっちは他の場所でもおこぼれに預かってるし、そんなに腹減ってねぇのよ」


今ならとーちゃんも見てないから、と言われたおいらは、恐る恐るカリカリをかじる。

ご主人様の家のとは違う、なれない味をしていたけれど、お腹が空いていたからあまり気にならなかった。

気付いたらがっついて半分以上食べてしまっていた。


「あれまー、クロ。また新しい子を連れてきたのか。おやお前、首輪が付いているね…迷い猫かねぇ」


これまた少し強気なニンゲンの女の人が、気付かないうちにこっちを見ていた。思わず顔を上げると、そのニンゲンは目を丸くしていた。


「……お前、ケンタって言うんだね」


ニンゲンの目線は、首輪に下げられているネームプレートに向けられていた。

名前を呼ばれて思わず、そうだよと返してしまった。


「こりゃ飼い主さんが探してるかもしれんわ、保護してやらないと」


ひょいと体が掬い上げられるのが分かる。急な事で驚いてしまったが、ニンゲンの女の人そのまま男の人に近寄っていった。


「おーい旦那!今すぐ動物病院いくぞ!それから…」

「ああっ!?まだ飯作ってる最中だよ、こっちは!」

「ほれ!この子猫見てみ。首輪してるし名前もあんだよ。迷い猫だよこりゃ」

「あー?首輪してっけ?」

「老眼だねー全くさぁ、あんたにゃ…」


それから、わいのわいのと夫婦が話しているのをぽかんと聞いているうちに、病院に連れられて病気や怪我がないかの検査された後に、家の中に仮の住まいが作られた。

なんだなんだ、この流れは。


「勝手が違ってなれないだろうけど、飼い主さんが見つかるまでだからね」


といって、撫でてくれた。

ご主人様のママさんよりも年上の、ちゃきちゃきしたこの女の人…は、かーちゃんと呼ばれてるらしい。

ちなみに、丸い頭の男の人はとーちゃん。


「なぁ、捨て猫がいたらしい段ボールが見つかったんだけどよ、そこに手紙が入っててさあ」

「……こりゃあ…」


二人は張り紙を貼って呼びかけてくれたり、動物病院に張り紙を置かせてもらっていたらしいが、ご主人様が現れる事はなかった。

そのうちに一ヶ月、半年……と過ぎていくうちに、すっかり新しい家と夫婦……とーちゃんとかーちゃんに慣れてしまった。


毎日の日課で、家の外に出かける。

朝早いと窓も扉も閉まっているので、寝ているとーちゃんの丸い頭の額を目掛けて、びしびしと叩いて起こす。


「……何だケンタ。もう出掛けるのかい」


そうだよとーちゃん。早く開けてよ。

半分目の開いてないとーちゃんに、続けてパンチをしていると、やがてむっくりと起き上がった。


「また何か喋ってんなぁ」


ニャーニャーしかわからんなぁと、とーちゃんはぼやいていた。

ぼやきつつも、縁側の窓を開けてくれる。

おいらはとりあえず挨拶代わりに鳴いてから、縁側の下で丸まっているクロさんにも挨拶をする。


「お先に行ってきます」

「見回りかい、行ってきな」


外に遊びに行く楽しさを教えてくれたのは、クロさんだ。

お家で丸まっていたおいらを、やれやれと言いながら連れ回して教えてくれた。猫は群れないけど、狩りや遊びを教えてくれた師匠か、育ての親みたいな感じだ。

あの家にいる他の猫達は、大体は外へ遊びに行ってしまう。聞けば、みんなも野良猫になっていたところを、夫婦が拾ってきたか、クロさんが連れてきて居着いてしまったか、のどちらかだった。


「しょーがないよ。クロちゃんは何だかんだ言ってても、とーちゃん達と一番古い付き合いだもん」

「この辺のボスだからさー、クロさん」

「…ボス!?」


そりゃあ、強いなら弱い相手に優しい訳だ。


朝早くにナワバリの巡回。

それからすぐに家に戻って、ご飯を貰ってから、今度はいつもの場所に行く。おいらがご主人様に置いて行かれた場所。

いつの間にか段ボールは片付けられていて、電柱とコンクリの壁があるだけの寂しい場所だ。


「……いつもと変わらないや」


道路の端っこを歩く、ランドセルを背負った子供達の姿。きっとこれから学校なんだろう、並んで班を作って学校に行くんだよ、とご主人様が話していた。

それとなくご主人様を探して見るけれど、まだ見つけられてない。

とーちゃんとかーちゃんは、もうおいらの面倒をみるつもりみたいで、二人は優しい人達だと思ってる。


だけど、だけどね

まだ、あの小さなご主人様が泣いていないか気になって仕方ないんだ。


大丈夫だよ。

おいらは、優しい人に拾われたんだ。

奇跡みたいな偶然が重なって生まれたこと。

だからね、あまり気に病まないでほしいんだ。

今度逢えたら、新しいとーちゃんとかーちゃんを紹介したいんだ。

そして、新しい猫の家族達も。

兄と姉みたいなのが出来たんだよ。

クロさんは、師匠みたいな貫禄のある恩人猫。

チビは、明るくてうるさい姐やん。

トラは少し気弱で、狩りが上手なお兄さん

ペルは日向ぼっこできる場所を探す名人で…


「ケンタ。こんなところでお昼寝してるのか」

「……ペル、いつの間に茶色くなったんだよ」

「俺はムギだよ!あんなにモチモチしてねぇわ!」

「……うたた寝してた」

「ほれ、もう夕方だぜ。早くしないとアイツにどやされるぞ」

「メンチ切られたら、受けるだけだってクロさんが」

「お前じゃまだアイツに勝てないから。いくぞ」


ムギは茶色と白の混じった毛の尻尾で、付いてこいと動かしている。

仕方ないか、ほんとなら午後の巡回もしたかったんだけど…


日が沈みそうだから

ご飯の時間。

諦めて、また明日。





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