或る先生と猫の戯れ言



『気持ち悪いですよ、それ』


ふわりと香る花のような、不機嫌を込めた声音が部屋に吹き抜ける。

男は思わず驚愕した。彼の座るデスクの上に、いつの間にか灰色の猫が現れて丸くなっていたのだから。

しっぽをぺしぺしと鳴らしながら、呆れ半分といった感情をまんまるの目に込めている。

彼女はユニ。男がある知り合いの魔女に借り受けた精霊であり、こうして勝手に姿を表すことがよくあった。


「そう?俺はいいかと思って」

『…よく考えて下さい、センセイとやら』


その猫は鈴を鳴らすような声で続ける。

『ごく一般的な大学生が、アラサーからの求婚を喜んで受けるのですか?』と。

淡々と、事実を突きつけてくる精霊からは、暗に馬鹿じゃないんですかと言いたげな視線が突き刺さる。


「仕方ない。好きになってしまったものは。まあ…運命だったのでしょう」

『はあ…運命を都合よく使うな』


と、言われても困る。

相手は確かに、まだ大学生だが。

気になってしまったものは仕方ない。

彼女と知り合ったのはずっと昔で、それこそランドセルを背負っていた頃である。その時はこれっぽっちも意識をしていなかった。

…その時から意識をしていたら、それはそれでヤバイのだが。

それよりも、先程から刺々しい態度を取るユニに、あくまで自然に穏やかに、笑顔を作ってみせた。


「君が気に入らないのは、相手が君のマスターの姉だからでしょう?」


ぴたり、と灰色の尻尾の動きが止まる。

そして猫は丸い瞳をすうっと細めて『そうですね』と呟いた。

彼女にとって、それは由々しき事態のようだった。

当たり前か、どうやらこの精霊には、俺は嫌われているらしかった。


『ですから、そんな貴方に仮でも主人として使役されるのは、反吐が出ます』


美しく仄かに甘い声にそぐわぬ、品の欠いた言葉遣いをたまにされるのも、そのせいなのだろうが……なんだか八つ当たりをされている気分にもなる。


「言うね、誇り高き『春の嵐』は」


腐っても精霊ですから。と精霊は囁く。


『…取りあえず、貴方はアプローチの仕方をもう少し考えた方がよろしいかと』

「これ以上ない程にアピールをしているが」

『少しは引けと言っているんですよ。あれは……引きますよ』


ユニは非常にがっかりした顔を作って、こちらを見つめている。

猫にそんな顔をされる日が来るとは思っていなかった俺は、若干の困惑が浮かんだ。そこまでだったのだろうか…。


『……疲れましたね。燃費悪いので帰りますよ』

「まちなさい、ユニ」


灰色の毛並の猫が『なんですか』と胡乱気にこちらに振り返った。


「君は、俺の未来の何を見て嫌悪しているんだ」

『…私は『未来』の化身ですが、それを予知する力はないですよ』


では、精霊が静かに呟くと。

猫の姿は水面に沈むように消えていく。

静寂に包まれた室内の中で、男はふうと息を一つ吐き出した。

あの姉妹も大分手強い性格をしているが、その精霊も大概である、と。

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