泪を抱いて、魔法を掛ける

とてもきれいな涙だった。

ぽろぽろとしずかにこぼれ落ちる雫は、頬をつたって透明な結晶になって床に落ちていく。


「…どうしたの?」


見てしまったので、思わず聞いてしまった。彼女は何でもないよと呟く。

けれどそんなの嘘だ。だって彼女の心は淋しいって言っている気がしたから。


「ほんとに何でもないわ」

「そーかなあ。えいっ」


そんな顔されたら、いくら女同士だからってほっとけなくなるよね。こっちまでなんだか寂しくなってきたんだもん。

彼女に駆け寄って慰めるために抱きついた。

元々僕達は影響されてる所があるみたいだから、多分彼女の心に引きずられやすいのかもしれない。


「え?!」

「何があったのか知らないけど、こうした方がいいかなあって」


母親と父親がよくこうしてくれたのを思い出す。淋しいなら言ってくれればいいのに、って僕も言わないからおあいこなんだけどね。

妹を慰めるときも、よくハグしてあげたっけ。


「平気ですよ」


うーん。平気な人は一人で泣かないと思うのよ。だから僕はそれを伝える。


「あのね。たまには泣いてもいいと思うよ」

「大人は、泣いてられないの」

「…よしよーし。頑張ったね」

「聞いて!?」


僕のこれは引きずられてシンクロしてるだけだから、彼女がどうしてとか、具体的なことはわかんない。

けれどこの悲しくて寂しいような、もやもやとしてしまう気持ちはよく知っているような気がする。

長い間、僕が目を背けて凍らせていたあの感情によく似てる。

ほんと、余計な気持ちまで思い出しちゃったじゃん。


「なんなのですか……」

「だって、君の感情に引きずられてこっちまで寂しくなってきちゃって」

「……さみしい?私は別にそんなことは」


彼女の頬から、またなみだが落ちていく。

つられて、こっちも涙が出てきた。


「……あれ、どうして」

「夕食冷めるぞ。……って、どうしたんだよ二人して!」


開けっ放しだったドアから、少年がこっちを見て驚いているみたい。僕達二人が抱き合って泣いてたからかな。

うわ、すごく恥ずかしいなこれ。


「ごめん。後で行くから先に食べてて」

「それはいいけど、お前ら…」


今は詮索すんな。あと他の人達には秘密にしとけよ、と若干睨み付けながら見つめる。彼は顔をひきつらせながら頷いてたし、まあ大丈夫かな。


「二人とも寝てたって伝えとく」

「サンキュー」


少年が、はー、とため息を吐き出しながら戻っていくのを見送る。

若干の罪悪感が込み上げてきた。まあでも、後で事情話せよって言いたそうだったし、ちゃんと話した方がよさそう。

そのあと、彼女がちょっと落ち着いたので、二人で並んで座った。


「……人の感情は、ままならないものですね」


なみだを流した顔で、どこか寂しそうに呟いた彼女の言葉で、僕は何だかわかってしまった。


「…忘れられることが、怖かったの」

「うん」


彼女は死期を悟っていた。

もうすぐ亡くなってしまう、その悲しみから泣いていたんだと僕は気付いた。


「消えてしまったら、私は…私のままでいられるか、それが怖かった」

「人の本質って、案外変わらないものだよ」


(何か、足りないような。

どこか寂しいような。揺らぐ波紋のように頼りないこの気持ちは、多分)


「私が消えても、俺達が見つけてやるって」


…へえ、あの少年。良いこと言うじゃん。と密かに感心するが、あれかな俺とあの子で見つけてやる的なやつかな、微妙に気持ち分かってないな少年。

まあ仕方ないんだけどさ。


「……二人がそう言ってくれて、うれしかった」


嬉しかったんじゃ、いいのかね。

そうなんだ、と僕が聞くと、ううん……うれしいのに、何か…と彼女が言葉を詰まらせた。


(それって、何だろうか。

もっとうれしい言葉を言って欲しかった?……違う。

忘れられる心配、はなくなったと思う……違う)


伝わってくる心の断片からも、彼女自身がまだ気持ちが整理出来ていないのだと思った。


「……消えたくなかった…私、もっとみんなと一緒にいたかった」

「うん」


知ってる。すごく知ってるよ。

あなたがほんとは、もっと生きてみたかったことが伝わってくる。

なんだよ、僕にもすごくわかることじゃん。多分、動機はひどくシンプルだ。彼女はきっとあの人に…居場所をくれた人に、恩返しをしたかったんだ。


「私は…そうか、もう一緒にいられないのかって」

「見えなくなっちゃうから?」

「やっとお礼が言えると思った。……けどお別れしたいのに出来ないと思ったら、涙が止まらなくて……」

「うん」


ごめんね。と呟く彼女の体がもうすぐ消えてしまいそうで、僕はいいんだよ。きっと許してくれるよと言いながら、普段信仰していない神様にもう少しだけ連れていかないでお願いと、強く願った。


「……ありがとう」


僕がわたしだったときも、もう一人の自分に気づいてたとして、彼女に寄りかかったら、何かが変わったのかな。

変わってたかな?


「……朝になってる」


窓ごしに空を見ると、丁度お日様が登っているところ。もう朝なんだ。

僕も彼女も泣きながら寝てたみたい。

彼女に引きずられるようにして見た夢は、久しぶりの死んだあいつが出てきたような気がする。正直あんまりいい気分じゃない。

じゃあ、この人はどんな夢を見ているのかな。少し幸せそうな顔で寝ている気がするから、きっと幸せな夢なのかな。


「……へへ…」


頬を伝う涙は、光を帯びてまた一つ結晶となった。そろりと起き上がった僕は、散らばっている涙で出来た結晶を一つ拾う。


「……なんだか、私的にはちょっと納得いかないんだけど」


それでも仕方ない。だって彼女は僕ではないのだから。

この涙の結晶の一つ一つが何を訴えているのか、手に取ればうんざりするくらいわかる。解りたくないけどわかってしまう。僕達だけが解るシンパシーみたいなもんだけれども。

ほんとね、あんまり納得いかないけど。


それでも仕方ないから、それを拾い集めていく。その時思っている想いが結晶となったこれは、寂しさと嬉しさと失った恋に似た何かと、そして芽生えた想いのかけらと。

集めて手の平でぎゅっと握り込んだら、それは一つの綺麗な丸い宝石になった。


泡沫の夢くらい幸せなものであってほしい。夢の中くらい、いいんじゃないかな。

そして、わかったからこそ。


「……このまま人魚姫が泡になって、王子様は幸せになる。……っていうのもいいんですけどね」


せめてお姫様にも救いがないと。

僕はその丸い宝石に魔力を込めて祈る。予定調和を覆す、ちょっとした細工だ。

だって僕は知ってる。どんな感情であれ、身近な人が居なくなったら悲しいってこと。

家族でも恋人でも友人でも、とても悲しくて辛いはずだから。

ひとつまみの魔法を掛ける。ささやかな、それでちょっとした奇跡をおこす魔法を。


(…出来るといいね、恩返し)


起きたらきっと、いつもの彼女になってるはずだから。

この結晶と昨日のことは、内緒。





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