空っぽな道化に彼女は笑う
ーーそう。つまり、返してくれないってわけね。
にんまりと、女が猫のように笑う。同じく貼り付けたような笑みをしていた相手の男に向かって。
男は思った、せっかく捕まえた少女をほいほいと返すものか、と。へらりと笑ってみせてから捕らえた少女を見る。すると少女は真っ直ぐに男を見つめていた。こんな状況にもかかわらず、窓の外を眺めるようにただじっと。
普通の人間は、日常から外れた状況になれば慌てたり取り乱したりするだろう。この男は他人のそういった姿を見るのが好きな、少々変わった趣味の持ち主だった。特に、普段は大人しく感情を出さない人間が取り乱し、感情を露にする姿を見るのが。
今回の少女は特にそう見えた。だからいつものようにさらった、そのつもりだったのだ。
けれど少女はあまり騒ぐこともなく、しかも彼女を追いかけて女を含めた余計な連中を数人を招いてきてしまった。
「そんなにわたしの反応、予想外ですか?お兄さん」
鈴を転がすような声で、彼女は呟いた。
男は思わず、
「大人しくしてれば返すと思っているのか?」
残念でした。君はここで殺されるんだよ。そう言葉を続けると、少女はぱちぱちと瞳をしばたかせて、信じられないと言った表情を浮かべた。
「わたしが、殺される?」
それはお兄さんが、彼女に勝てると?
少女が続けて呟いた言葉は、男の予想の斜め上をいっていた。意味が解らずに、はあ?と言いかけて女を見る。
金髪碧眼、外見的に若くて綺麗なその女、少女を助けに来たらしく竹刀を持っているだけで見た目は別に…。その女は何を思ったのか、何故か薄っぺらい笑みを作って、にんまりと、口角を上げた。
するとその瞬間、男は不思議な現象に巻き込まれていた。気づけば頭を覆うほどの水の塊に包まれていた。予想外の状況で、言葉にならずにがぼがぼと苦しそうにもがいていた。
「人の趣味にけちをつけるつもりはないよ。けれどさ、ちょっとやり過ぎだよね?」
ーーーさあて、その子を返してもらおうか。
背筋が凍りそうな程、殺気がこもった一際低い声音が男に浴びせられる。
ごぼっ、と泡が漏れる。少女の手を掴んでいた手が緩むのを見逃さず、女はふわりと男の側に駆け寄ると少女を引き戻した。
お願いね、と唖然とする青年達に少女を預けてから、もがく男の様子をまるで観察するように見つめていた。
面白そうでもなく、恨みがましそうでもなく、敢えていえば感情のない光が男に注がれている。その酷薄な目線に、男は知らず恐怖を覚えた。
なんだ、なんなんだこの女。俺のこの空間で、こんな化け物じみた力を持ってるなんて、聞いてない。
「ああ、あなたは知らないだろうけど」
私のような力を持っている人なんて意外と沢山いるよ?とその女は冷たく笑っていた。
男はふとしたきっかけで異質な力を手に入れた。それは、自分の思い通りになる空間を作る力。この中でなら、何をしても平気だった。この中で男は邪魔な人を、あるいは暇潰しに関係ない人をこの空間で殺していた。
それでも現実では証拠もないし、法でも裁けない、だから大丈夫だと心の何処かでいい気になっていた。
俺に勝てる奴なんかいない、コイツらはみんなどうせクズだ!ここに連れて来れば俺には勝てないんだ!と思ってた。
何なんだ、何なんだなんだよこの女!男はこの空間にいるのに自分の力が効かず、分かりやすく焦っていた。
そして、女はそんな男に向かって、つまんなそうに口を開いた。
「案外しぶといなー、ねえ、なんで耐えてるのさー」
「雪乃さん、解いてあげて下さい」
「やーだよ。だってコイツまじゲスなんだもん。それに、君が作ったご飯粗末にしたし!」
はい?
「食べ物捨てるなら!私にくれたっていいのに!てか、食べたかったのに赦せん!食べ物の恨みをおもいしれ!」
「お前の怒りの矛先そっち!?」
えええ、とてもくっだらない理由でこんな目に…。食べ物っておい、この女怖いとかそれ以前に馬鹿なのか?
あ、ヤバい、意識が朦朧としてきた…うわあ、いやだよ俺、こんなしょーもないことで絶対絶命とかさ、くだらなすぎるでしょ。つーかくっだらないしなあ…
いやそんなこと考えてる場合じゃ…ない…
「事件とか拐われた呉羽のことじゃなくて?!」
「待って、あいつの様子がぐったりしてるよ!」
仲間の一人に言われた金髪の女は綺麗な顔で、よし、ボコってくるね!とサムズアップしたので、皆が慌てて止めに入った。
とりあえず。顔を覆う水の塊を解いてから、仲間達がノックアウトしている男を慣れた手つきで拘束。逃げられないようにして、手際よく公的機関に連行したのだった。
男の犯行は、呆気なく白日のもとに晒された。超常的な空間の話等は世間的には適当に誤魔化されていたが。
男は意識を失っており、直属の病院に入院をし、体力と意識の回復を待ってから取り調べをする手筈になった。
そして幾日か過ぎた頃、金髪の女は男の病室へと足を運んでいた。面会をするためだった。
しかし、彼女は病室の中でベッドに横たわる男を見ると、呆れたように呟いた。
「これはまた。殺せって顔してるね」
「別に、もう生きたくないしな…」
男は既に人生を諦めていた。只でさえ面白くもない人生だったし、これからの生活のことを考えると、何もやる気がわいてこなかった。
男の考えていることが何となく解ったのだろう。それを察した女は、その手に一振りの日本刀を握り、ゆっくりと振り上げた。
あ、そ。じゃあ遠慮なく、とニヤリと微笑むと、彼女は迷うことなく、ぶすりと彼の胸に剣を突き刺す。
「……ははっ、これでお前も人殺しだ。あははっ」
この上なく愉快だと笑う男に対して、女は何ともつまらなさそうに頭を掻いた。
「じゃあ聞きます。自分が死んだらどうなると思う?」
「どうって、別にどうもしないでしょ」
「呉羽は悲しいと思うけどな」
「あはは、あの娘は…」
男が思い付く限り、呉羽はいつも無表情だった。だから、感情を露にしたらどんな顔をするのか気になったわけなのだが。
まあ、きっとこんな酷いことをした男のことを気にも止めないだろう、と男は思っていた。
「あんたは、絆なんてクソだのなんだのいうかもしれない、て言うか私もそう思ってた時、あったよ」
「へー。お前さん順風満帆そうで、小生意気なガキっぽいのに」
「あはは、そうだよね。んー、本当に君の中身、腐ってんなあ、そりゃ魔物の巣窟にもなるよなー」
金髪の女はぶつぶつと呟きながら、えいえいと胸に刺した刀をぐりぐりと回している。不思議と痛みはないのに、見ていると胸を抉られるような感覚がした。
「いたっ、いてぇ!」
「あー、ダメだ、根っこもダメだボロボロ過ぎる。修復のしようがないじゃん。うわー、ひさびさに見たなあ、こんな心の人」
それから、すぽっと音がした。胸から刀が抜かれたのだった。と同時に、重いのがとれたような感覚がした。
「んー、私の刀でかなり祓われてるはずなのになー」
代わりに刀の刺し傷がぱっくりと開いていた。
そこまで考えて男はあれ、と思う。
あれだけ大きな刀で刺されたのに、胸からは血が流れ出てない。いや最初から痛くなかったのだった。痛いと思ったのは、胸に刀が刺さっていると認識したからだ。
小さな子供に多い、歯医者でよくある歯を削っても痛覚はないはずの場所なのに、ドリルの音を聞いて『痛い』と思ってしまうあれに似ている、と男は思った。
「え、心臓に突き刺したら死んじゃうじゃん」
いやあんた、さっき殺すとか言ってませんでした?と言いたかったが、女は心底めんどくさそうな表情になった。
「そんなことしたら捕まるじゃん」
「さっきと話違うんだけどお前。生殺しとかさ、それでいいわけ?」
「てゆーかさ、あんたにもいるんじゃないの?悲しんでくれる人」
「いないって。俺ってこんなやつだし」
「仕事のひととか家族は悲しむっしょ?」
「そういう?うーわ、青くさいなあ……」
「そっかな」
明るく呟いた彼女の言葉が、ひどく眩しいものに感じた男は、思わず
「あーあ、君のようなガキはほんと…」
彼女に手を伸ばしかけた、その瞬間。
ばしん、と男の手が弾かれた。
「触るな」
手のひらに痛みは走らなかった。
敵意を露にした声は金髪の女のものとは違う。目の前には今まで居なかったはずの冷たい表情をした青年が、女の側に立っている。
「あれ、一人でいいって言ったのに」
「少しは危機感を持ってほしい」
そろそろ面会時間が終わりだ、戻ろう。そう続けると、青年が強引に女をひっばって行く。そんな光景を、男はぽかんと見送るしか出来なかった。
いやあ、ほんと。最後に現れた奴は何だったんだ。
「……んー、おはよう」
「お疲れ様です雪乃さん。どうでした?」
ありがと、と声の主である呉羽に言うと、ご丁寧に水の入ったコップを差し出された。
金髪の女はさっきまで、夢の中であの犯人の男の心と面会していた。彼は、未だにこんこんと眠り続けているからだった。
まあ、ついでにと思って心の闇を祓ってやろうと刀を使った(物理)のだが、想像以上に酷かった。
「んー、犯人の男ね。稀に見るヤバさ」
「どんな感想なんですか」
「……あの人、全く人を信じてなかった」
まさしく、男は道化のように笑いつつも、その心の中には何もなかった。心の奥底には闇もない。只の虚無が広がっていたのだから。
「ありゃ、いくら祓っても意味がないよ」
「わたしたちの領分じゃない、と」
彼女達は心の闇が作り出した怪異、事件を解決するために国家機関に雇われた異能力者である。
今回の犯人の起こした事件、怪異の危険性があると調べ始めたところだった。だが全く目的が解らずにどうしたものかと思っていたところ、犯人は呉羽をターゲットにした。それが犯人の男の運のツキ。
世間一般の成人男性なら、剣術道場の師範をしている雪乃の敵ではなかった。むしろ竹刀使ってないけど。
「お前も人のことを言えないだろう」
空になったコップをテーブルに置くと、現れた冷たい表情の青年に、はあ、とため息をひとつ吐き出した。
「君はまた別です」
彼は基本いい人だが、いまいち考えていることが読めないと思っていた。
だから、彼女はにんまりと笑う。人を楽しませようとする道化師のように。
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