第9話 紫煙

 ギシギシ、と音を立てて椅子をこちらに向け、男は煙管キセルをくわえて俺を一瞥した。紫色の煙だった。


「…ガキが来るところじゃねえんだよ、さっさとママんとこに帰っておねんねしな」


 そう言って立ち上がり、スラリとした手をしっしっ、とでも言うように振って、そのまま暖簾の奥に引っ込んでしまった。


「っちょ、待って…」


 これはまずい。と言うか酷い!


「ち、違います!俺は配達員です!…いや、配達員見習い?」


 もう何を言ってるかよくわからん。けど、その言葉に男は反応し、暖簾から顔だけ出した。


「ふーん…どこの会社だ?」

「え?」


 会社?なんだそれ、この世界にあるのか?

 俺が答えられないのを見ると、男はにやにやとして煙で輪っかを作って遊んでいた。


「ほら見ろ。ガキじゃねえか」


 そう言ってまた奥に引っ込もうとするので、俺は慌てて声を上げた。


「れ、レティ!レティ・スピシルトの部下です!」


 ピタ、と男が足を止めた。

 そのまま振り向き、ぼそ、とこう言った。


「へーえ。あいつ、まだ生きてんのか」

「は?」


「な、何の話っスか?」

「…ふーん、そうか。あいつの部下なら仕方ねえ。話、聞いてやるよ」


 俺の問いには答えないまま、椅子に腰掛け、長い脚を組む。


「…いらっしゃい。で、何をお求めですか?」

 男は口から紫煙を吐き出しながら言った。


 *****


 まあ俺はここで醜態を晒したわけだが、2度も話すのは嫌なので割愛する。


「ほれ、マミーグリナスの種、粉末100g。これで全部だな」


 サカリナばーさんに渡された袋全てがパンパンになった。2Lのゴミ袋が8つ分くらいだと思ってくれ。


「…持てるのか?それ」

「……ふんっ!」


 バサバサバサ!

 ダメでした。


「あのばーさん、若いやつは何でもできると思ってやがるんだ。…手伝ってやろうか」

「!…ありがとうございまs」「金貨10枚からだからな」


 守銭奴だ、この男。


 なんだかんだ、男は3つも持ってくれた。無償で。そのまま店を出て、プレートを【営業終了】に変える。


「…なんて読むんスか、このお店」

药店鴻洞ヤオディエン ホンドン。この辺じゃあ馴染みが無い言葉だろうな」


 全く知らない文字の羅列に見えたが、よくよく見ると漢字に見えなくもない。


「もしかして、中国語、とか?」

 期待を込めて聞いてみる。


「なんだそれ。俺の生まれは雨露ウロの國だよ」

「うろ…?」

「地球の真反対くらい。遥か彼方の小国だよ」


 そう言って男は階段を上り始めた。


「あ、あの!俺山下燈って言います。手伝ってくれてありがとうございますっ」


 ザリ、と音を立てて男が気だるそうに振り向く。


ホン 浩然ハオラン。ハオって呼ばれてる。その名前…お前、大和の國辺りからでも来たのか?」

「えっ…」


 そのままハオさんが歩き出したので、慌てて追いかける。


「や、大和の國って今言いました!?」


 そんな日本っぽい名前、聞き逃すわけない。


「言ったけど…それがどうかしたか」

「どんな国ですか!?」


 もうこれに賭けるしかない。そう思ったんだ。けど。


「…知らねえよ。あの国はかれこれ500年間鎖国状態だからな」

「ごひゃっ…!?」


 鎖国ってそんな長かったか?じゃあやっぱり日本じゃなくて似た存在ってだけか?


「あの…」

「ほら、着いたぞ」

「え?」


 話し込んでいる間に、俺たちはサカリナばーさんの家の前に辿り着いていた。


「んじゃ、俺は帰るからな」


 そう言って俺の返事も待たず、ハオさんはくるりと背中を向けて行ってしまった。


「じゃあな、次はおつかいじゃなく、お前の用事で来ても相手してやるよ」


 引き留めようとしたそのとき、扉が開いた。

「ん、おかえりーアカリ。お疲れ様」

「あ、ただいま…」


 もう一度目をやると、ハオさんの姿はもうなかった。


 *****


「よくこんなに持てたね」

「いや、手伝ってもらったんだ。…そう言えば、レティはなんの用事だったんだ?」

「ん?用事?」

「え、だって確かちょっと用事あるみたいなこと言ってなかったか?」


 するとレティは目をぱちくりさせてから、急に不機嫌そうな顔になった。


「ど、どうした?」

「…それはねえ、アカリ。私はあの店の店主…ホン 浩然ハオランが……大っっっっ嫌いなんだよ!」

「はい?」

「昔色々あってね…。それに、すぐ小さいってバカにしてくるし!!」


 きっと後半が理由の八割くらいを占めているんだろうな。

 しばらくして、サカリナばーさんが奥からお代を持ってやって来た。


「お疲れ様。ありがとうねぇ」

 優しく笑いかけられて、ちょっとじーんとくる。

「いえ、全然そんな…」

 ぎゅ、とお代の入った封筒を握らされる。


「初仕事成功、おめでとう。アカリ」


 レティに背中をパシッと叩かれた。


「…うん」


 どうにか、初めてのオツカイ、完了です。


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