第38話 実態調査 その2
翌日。大石たちは、初穂市役所へと足を運んだ。
事前に小笠原と確認したとおり、文書開示請求の状況を調べようと、総務課窓口に向かった。
「先日お電話にてアポイントを取りました古島市選挙管理委員会の大石ですが――」
総務課窓口で大石は用件を伝えた。
「伺っております。櫛山さんの件ですよね」
総務課の職員に、奥の応接室へと案内をしてもらった。
大石と小笠原はソファーに座ると、さっそく本題に入った。
「古島市さんも、大変ですよね。櫛山さん、しつこいですから。窓口に来れば、ほぼ毎回怒声を上げますし、ね」
総務課職員は苦笑を浮かべた。相当に櫛山に苦労をさせられていたであろう状況が、表情から読み取れた。
「櫛山さんからは、一月に五件の請求をいただいています。最後の請求は、一月二十八日付ですね」
「郵送ではなく?」
「えぇ、窓口に直接です。どちらかというと、開示請求がついでで、窓口で怒鳴り散らすほうが主だったのではないかと……」
――とんだ迷惑行為だな。公務員なら何を言っても大丈夫だと、特に用もないのに頻繁に市役所に足を運び、喚いていたわけか。
「まぁ、我々は弱い立場ですしね。そういった方は多いですから。ただ、櫛山さんは、ちょっと度が過ぎていました」
雑談も交え、いろいろと話を聞いた限りだと、どうやら櫛山の親は、ギャンブルで身を持ち崩し、相当に困窮している時期もあったらしい。ところが、運よく投資で一山あてて、一気に資産家になったそうだ。その親もすでに他界し、息子の櫛山が資産を丸々相続したため、相当のお金を持っていると思われ、また、親が困窮している時期に親戚付き合いは完全に絶たれており、まさに、天涯孤独の身という話だ。
――かなり変わり者の親だったんだな。櫛山のおかしな行動、性格は親譲り、といったところかな。
総務課の職員に話を聞いた後、櫛山がよく顔を出していた市民課、税務課にもいろいろと情報を貰った。櫛山は、住民票の登録を『皇帝』にしろと迫ったり、納税通知書等も、『皇帝』名で出せと無茶を言ってきていたらしい。
やはり、両窓口にも、一月下旬までは姿を見せており、両課とも、櫛山については課長対応となっていたため、来訪日時と時間がしっかりと記録されていた。最後が、一月三十一日だったようだ。
「初穂市役所での状況を見ると、立候補予定者説明会の日前後が境界と踏んでよさそうですね」
初穂市役所の喫茶室で、大石と小笠原は聞き込んだ情報の整理を行った。
「オレたちの権限で調査できそうな部分は、ここまでだな。ま、調べられる範囲は調べたんだ。十分じゃないかな」
――櫛山は、単に嫌がらせをしたいだけなのかな。初穂市の様子を見ても、特に政治的に何かこだわりを持っているようにも見受けられない。
全く謎の男だった。ただの暇潰し、鬱憤晴らしに利用されているだけなのだろうか。付き合わされるほうも堪ったものではない。
初穂市での調査を終え、大石たちは古島に戻ってきた。事前に依頼していた初穂市での光熱水費の明細も届いており、さっそく確認をした。
「電気、ガス、水道とも一月までは、毎月、結構な量を使用していますね。二月に急激に減り、三月以降は、ほぼ使用していないみたいです。それにしても、櫛山は部屋の契約自体は解除していないんですね」
古島に生活の本拠を移したと思われる二月以降も、契約自体はされていたため、大石は首を傾げた。
――住みもしないのに、初穂市の部屋に家賃を払って、何の意味があるんだろう。古島に生活をしないのに部屋を借りていた件は、住所要件を満たすためだとわかるんだけど。初穂市のマンションを借り続ける意味が、よくわからない。
櫛山の行動は、大石にはまったく理解しがたかった。不可解すぎる。
「大方、市議選に負けたときに逃げ帰れる場所を残しておきたかった、そんなところじゃないか? 『皇帝』の名のつくマンションが、惜しかったんだろうさ」
侮蔑の表情を、小笠原は浮かべていた。
――なるほどね。市議選に勝とうが負けようが、古島に骨をうずめる気でやってきたわけではない、って話か。先輩が怒るのも、わかる気がする。
「櫛山としては、住民票も移したし、光熱水費も、おそらく水道の蛇口を少し捻って水を出し続けたり、冷蔵庫などの電化製品を使用したりと、使用状況を操作したから、大丈夫だと思ったんだろう。でも、両地の光熱水費の日々の使用実態をよーく見ろよ。初穂は日々の使用量に動きがあるのに対して、古島はほぼ一定だ。古島の使用状況は、意図的な工作臭がプンプンだよ。それに、生活音やゴミ出しなどの対策も難しかったようだな。都市部でならまだしも、古島みたいな余所者に厳しい、地縁でガチガチのド田舎で、下手な小細工は、まぁ、無理だろう。ご近所づきあいが大変な土地柄だからな。小池陣営が気付けたのも、田舎ならではのコミュニティの濃密さに助けられたからだろう」
――知らない人間がコミュニティに入り込んだら、即、自治会長なりが飛んでくるはずだし、ゴミ出しのチェックも厳しいからなぁ。
古島の現状を思うと、小笠原の言うとおりだった。
「ま、何はともあれ、調査結果としては、櫛山の古島市での居住実態は、客観的に見れば、立候補予定者説明会以後である、と結論がつけられるな」
小池の主張が裏付けられた形だ。櫛山は古島に形だけの転入届出をしただけで、実際にすぐに住み始めたわけではなかった。再逆転で、櫛山の議員就任を阻止できる可能性が出てきたため、大石は相好を崩した。
「櫛山に有利に見積もって、二月頭から古島に居住を始めた、と考えたとして、被選挙権の住所要件を判定するのは、選挙期日の四月二十四日。どう考えても、三ヶ月は満たしていないな」
小笠原もほくそ笑んでいた。してやったり、といったところだろうか。
「クロですね」
「あぁ、アウトだな」
大石は、さっそく調査結果を天野と児玉に報告した。
「櫛山は一月以前に古島に居住をしていた様子はありませんでした。どんなに古く見積もっても、二月頭以降に住み始めたと思われます」
天野も、顔をほころばせた。
「そう! なら、三ヶ月は満たしていないわね」
――局長はかなり櫛山とやりあったからな。ずいぶんな喜びようだ。
大石は、思わず苦笑した。まぁ、気持ちはわかる。
天野は立ち上がって窓を開くと、両手をサッシに置き、体を表に乗り出しながら、藪から棒に叫んだ。
「ざまーみろっ!」
天野はよほど鬱憤が溜まっていたのだろう。子供じみた行動だったが、天野らしいといえば天野らしい。
溜まった負の感情をすべて吐き出せたのだろうか、天野は会心の笑みを漏らして、自席に座った。
――ま、なんにせよ、局長の機嫌がいいと助かる。最近は、不機嫌にしているときが多くて、話しかけにくかったし。
天野と小笠原は、とにかくご機嫌で、二人してニヤニヤが止まらなかった。いつもはウマが合わない場面も多い天野と小笠原だったが、今日に限っては、意気投合するかのように、顔を見合わせ笑いあっていた。
――珍しいな、局長と先輩が笑い合うなんて。記念に、写真でも撮っておくか。
馬鹿な考えが大石の脳裏に浮かぶほど、今の事務局内の雰囲気は明るかった。ずっと張り詰めた空気が支配していたため、緩んだ空気が心地よかった。
――被選挙権がなかった……。櫛山はたとえ票数で小池さんを上回っても当選無効だ。そもそも、候補者として不適格なんだから。
これで枕を高くできると、胸を撫で下ろし、大石は窓辺に立った。
局長が開いた窓を閉めつつ、空を仰ぎ見ると、雲一つない青空が視界に飛び込んできた。まるで、櫛山の逆転が決まって以降、大石の心に垂れ込めていた不安の雲が、綺麗さっぱりとなくなった今現在の心境を、映しているかのようだった。
「彰ちゃん、さっそく、都選管へ調査結果の報告をお願いね」
天野の指示に児玉は応じ、都選管へ電話をかけた。
「はい、そうです。古島市と前住所地の初穂市の実態を調査しました。一月まで両地で光熱水費の使用が見られたので、実際にどちらで寝起きをしているのか、周辺の住民の聞き込み等を行ったところ、古島市で姿を見たという者はいませんでした。また、初穂市でも、近所との繋がりが薄いマンションのためか、住民の目撃情報が得られませんでした。しかし、古島市での光熱水費の日々の使用量がほぼ一定で生活感がなく、何らかの工作の疑いが持たれます。さらに、状況の補強として初穂市役所での目撃情報も確認しました。一月末までは頻繁に初穂市役所に姿を現していたと確認が取れています。一月末に、文書の開示請求を行おうとした形跡も認められました。以上から、古島市に実際に居住を始めたのは立候補予定者説明会の二月上旬前後ではないかと思われます。古島に二月に住み始めたという話であれば、三ヶ月の住所要件は満たさないですよね」
児玉は要点を説明していく。
「以上から、古島市選管としては、櫛山さんについては、古島市議選に立候補をするための被選挙権は有していなかったと結論付けました」
――都選管も、今の説明で納得はしてくれたかな?
結論を下すに十分な理由付けはできたと思う。あとは、都選管がどう判断をするか。
「では、光熱水費の明細書をFAXするとともに、原本を郵送します」
用件は済んだのか、児玉は電話を切った。
「大石さん、悪いけれど、光熱水費の明細書を、都選管にFAXしてもらえないかな」
大石は頷くと、自席に置いておいた明細書の束を手に取り、FAXへと向かった。
「誰宛に、送ればいいんですか?」
「関口さん宛てに頼むよ。あと、原本も必要らしいので、同じく関口さん宛てに郵送しておいて」
大石はFAX送付状に用件を書き込み、送信した。
――あとは、裁判が終わるのを待つのみだ。
大石は大きく伸びをした。のしかかっていた肩の荷が下りた感覚を覚える。やるだけの調査はやった。事ここに至っては、もはや、人事を尽くして天命を待つ、の心境だった。
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