第37話 実態調査 その1
数日後、大石らが請求した、櫛山に関する光熱水費の明細が手元に揃った。
「さて、使用状況だけど、大石、どうなっている?」
大石は、手近にあった水道料の明細を確認した。
「あれ? 水道料金は、契約された十二月以降、コンスタントに使用されているようですね。二月から若干、使用量が上がっていますが、これは、本格的な選挙準備に入ったためとも考えられますし、不自然ではなさそうですね」
期待していたものとは異なっている使用状況の明細書に、大石はがっかりした。
小笠原も、別の明細に目を通し、首を捻っていた。
「そうだな。電気も、毎月それなりの使用実績がある。ガスについては、一月まではほぼゼロで、二月以降の使用量が一気に増えているが、一月までは電気で賄っていたと言われると、反論も難しい。また、ガスを使用し始めた二月以降は、電気の使用量が減ってもよさそうだけど、水道同様二月以降に増えている状況が気になるといえば気になる。ただ、大石の言うとおり、選挙の準備に入ったために使用量が増えたとも考えられるから、どうにも決め手に欠けるな」
集めた資料だけでは、とても櫛山が古島に生活の本拠がなかったとの証明は、難しかった。
「これ、十二月と一月の使用実態をよくよく見ると、毎日の使用量がほぼ一定なのも、妙なんだよな。意図的に工作している雰囲気、とでもいえばいいのか……。でもなぁ、証明しろといわれても、無理だよなぁ」
明細書の細かい部分に気になる点があったのか、小笠原はじっと書類に目を凝らしていたが、最後には力なく首を振った。
天野に、結果を報告すると、
「うーん、光熱水費では、櫛山さんに生活の実態がないとは、言い切れないのね」
唸りながら、天野は考え込んだ。
「局長。では、初穂市での生活実態について確認するのは、どうですかね?」
児玉が口を挟んできた。
「どういうこと? 彰ちゃん」
「選挙では、あくまで住所は一つと考えなければならないですし、であれば、初穂市に古島での実態以上に確固たる生活実態があると証明できれば、古島は一時的な居所であり、住所とは認められない、といった形で、住所要件を否定できるのではないかと思うんですよ」
――なるほど、古島での実態と、初穂市での実態を比較して、客観的にどちらに生活の確固たる本拠があるかで、判断しようってわけか。
確かに、単に社交上、経済上、政治上の活動を営んでいるだけで、実際に寝起き等をしていなければ、住所とは認められないってされているもんな。
児玉の意見に大いに納得がいき、大石はしきりに頷いた。
「いい意見ね。じゃあ、その線で改めて攻めてみましょう。大石さん、小笠原さん、悪いんだけど、初穂市まで飛んでもらえるかしら。初穂市での実態を、調査してきてもらいたいの」
――本土まで出張調査? ずいぶんと大事になってきたぞ。
「特にね、櫛山さんが、いつごろまで、どの程度の頻度で初穂市役所に入り込んでいたのか、確認してほしいのよ。頻繁に現れている様子なら、生活の本拠は古島ではなく、初穂市といえるわよね。何しろ、本土と古島の間には荒れ気味の海があるわ。気軽に何度も行き来ができるような距離ではないですもの」
――確かに、本土から古島へはフェリーで来る必要があるし、天候の状況次第で、ちょくちょく欠航もあるんだよな。フェリーが欠航したとして、ヘリコプターも予約が殺到してすぐに乗れるとは限らないし。気軽にほいほい行き来は、やはり難しい。
思いがけない出張命令に、意表を衝かれた大石だったが、天野と児玉の説明が十分に得心のいく話であったので、腹を据えた。
「わかりました、明日、さっそく初穂市に向かいます」
大石は頷くと、すぐさま小笠原と明日以降の打ち合わせを始めた。
――わざわざ時間とお金をかけていくんだ、調査漏れのないよう、事前準備はしっかりとしておかないと。
「櫛山は、議会の傍聴席から摘み出されたり、頻繁に文書の開示請求をしていたらしい。住所要件に関わりそうな時期には議会は開かれていないから、文書の開示請求の頻度と時期について、調べてみるか」
「あとは、初穂市での住居周辺の聞き込みですかね。近所の目撃情報や、ゴミ出し状況がわかれば、よさそうですね」
「初穂市での光熱水費については、今日のうちに照会文書を出しておけば、調査を終えて古島に戻る頃には、全部、揃っているだろう」
必要と思われる事項を、次々と出し合った。この調査で、どうにか古島での住所要件の否定に繋げられればいいが。
――めったにできない経験だ。やるぞ!
大石は、気合を入れ、頬を両手で叩いた。
東京都初穂市、多摩地区南部の人口十万程度の中規模自治体だ。大石たちは、櫛山が住んでいたと思われるマンションにやってきた。
聞き込むには、住人が家にいる可能性が高いであろう休日を狙ったほうがいいと、日曜日を調査日に当てた。明日は市役所を調べる予定だ。
「先輩、このマンションですよね。住民票が置かれていたのは」
大石は周囲を眺め回した。小笠原は、近辺の地図をプリントアウトした紙に目を落としていた。
「あぁ、間違いないな。《カイザー・ハイム南初穂》……カイザー、ね」
小笠原は苦笑した。
「マンション名まで、『皇帝』にこだわっているんですか。それにしても、よくこんな名前のマンションを探し出してきましたね、櫛山のヤツ」
大石は問題のマンションを見上げた。皇帝の名に恥じない、高級感溢れる賃貸タワーマンションであった。櫛山は、上層に住んでいたらしい。結構な資産家なのだろうか。
「さっそく聞き込みをしよう。オレは櫛山の部屋と同じフロアを当たる、大石はマンションの管理人に話を聞いてみてくれ。あ、怪しまれないように、ちゃんと職員証は身に着けておけよ」
「もちろんです。じゃ、ぱぱっと済ませちゃいましょう」
頷き合うと、大石らは入口の管理人室に一声掛けて許可を貰うと、小笠原はエレベーターに向かい、大石はそのまま管理人から話を聞き始めた。
――有意義な話が聞ければ、いいんだけど。
「伊豆諸島、古島市の選挙管理委員会職員、大石と申します。実は、以前こちらのマンションにお住まいだった櫛山英作さんについて、選挙の資格の調査をしておりまして。二~三、確認させていただいても、よろしいでしょうか」
大石は職員証を提示しながら、櫛山の生活状況について、管理人に確認した。
「なるほど。二月以降は見かけなくなったような気もすると。お時間を取らせてしまい、すみませんでした。ありがとうございました」
――ふぅ、あまり実のある話は聞けなかったかな。
思わず渋面を浮かべてしまう。わざわざ初穂市まで来たんだ、何らかの結果はほしい。
聞き込みを終え管理人室を出ると、一息つきたくなり、コンビニで買ってきたお茶を飲もうとバッグからペットボトルを取り出した。蓋を開き、一気に渇いた喉を潤す。
七月、真夏の日差しが容赦なく大石を照らし、体力をじわじわと奪っていた。早く冷房の効いた商店に逃げ込みたいとの誘惑に駆られるも、グッと我慢する。初穂市は、古島よりも北に位置してはいるが、古島と比べてもかなり暑い。都会の、ヒートアイランド現象のためだろうか。アスファルトの照り返しも、強烈だった。
飲み終えたペットボトルをバッグに戻そうとしていると、小笠原も聞き込みを終えたのか、戻ってきた。決して明るい表情を浮かべているようには見えなかった。駄目だったのだろうか。
「どうだった? 大石」
近所の喫茶店に逃げ込み、キンキンに冷えたアイスコーヒーを飲みつつ、聞き込みの成果を披露しあった。
纏めると、管理人によれば、二月以降櫛山の姿を見かけなくなったような気がするという話だった。しかし、住人も多く、長期に旅行に出る者もちらほらといるため、あまり気にしていなかったらしい。証言は全く当てになりそうもなかった。
近所の住人も、都市部のマンションという環境のため、普段からご近所付き合いをするような関係ではなかったらしい。元々、お互い顔を合わせるような機会が全然なく、わからないという。
どうやら、調査は空振りだったようだ。
「まいったな。役に立ちそうな証言は全く得られなかった。せいぜい、櫛山がお金を持っていそうだとわかったくらいか」
渋い顔を浮かべ、小笠原はストローでアイスコーヒーを乱暴に掻き回した。
「そうですね。あとは、請求している資料で光熱水費の状況の確認をするくらいしか、住居に関する調査は無理そうですね」
――うーん、外堀すら埋められなかった。あとは、明日の市役所での聞き込みで、なんとかして櫛山を追い込む証拠を見つけたいな。
日に焼かれながらも懸命に歩き回った結果が、まったく芳しくなく、大石は肩を落とした。
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