第28話 開票~午後十時半~
午後十時二十五分。次の開票速報に向けて、大石はひたすら積み上がった票束のバーコードを読み込んでいた。
「今ので、完全有効票は終わりかな?」
計算係からの票の流れは止まった。どうやら、有効票が流されるルートでの票束は、全部が大石のところを通過し終えたようだ。残りは、疑問票審査係に回された白票や、有効か無効かの判別がつかない票のみとなった。
「大石さん、どうなってる?」
天野が開票集計システムの画面を覗き込んできた。
「ご覧の通りですよ。小池さん、櫛山さん以外は当選。逆に、残りの二人は、疑問票次第で、どちらが当選してもおかしくない票差です」
天野の顔が歪んだ。覚悟はしていたが、大揉めに揉めそうな展開が予想される現在の状況に、苦笑いを浮かべるしかないのだろう。
大石も、モニターに映る各候補者の票数に、顔を顰めた。当たってもらいたくもない予想どおりの、歓迎できない展開であった。
大石は横目で開披台を見つめ、今まさに廻している完全有効票の点検状況を確認した。どうやら、選挙立会人の点検は済んでいるようだった。
「点検が済んだようです。十時半現在として、集計用紙を打ち出します。開票率は九十パーセントを超えているので、これ以後の中間発表はしない旨を、付け加えるようにお願いします」
システムから打ち出した集計用紙を、大石は天野に手渡した。
開票の中間発表は、三十分置きに行うのを原則としていたが、開票率九十パーセントを超え、残りが疑問票のみとなった段階で、以後の中間発表は行わず、最終の確定報告のみを行う手筈にしていた。
広報課長が時計を注視していた。間もなく十時半、中間発表の時間となる。
「会場の皆様、お待たせいたしました。これより、二十二時三十分現在の開票状況を、報告いたします。木村、泰助、七百。三浦、康子、六百――」
さらに票差がついたため、参観席のどよめきも、ひとしおであった。
「――小池、栄作、百。櫛山、英作、百。繰り返します。二十二時三十分現在――」
この時点で、参観席の関係者たちにも、小池、櫛山以外の当選は決定だとわかり、あちこちで喜びの声を上げている様子が、アリーナの大石の耳にも聞こえてきた。
――落ちる事態はまず絶対ないとわかっていても、選挙は水物。やはり、どこの陣営も不安だったんだろうな。
参観席を見やり、抱き合う関係者を視界に収め、大石は「おめでとうございます」と、小さく呟いた。
森田はしきりに首を振った。開票率九十パーセントを超えたにもかかわらず、今なお櫛山と同数で並んでいる現在の状況。最悪のパターンだった。
――アリーナの様子を見ると、残りは、疑問票の審査を残すのみ、ね。
投票率の伸び悩みが、やはり響いたのか。十時半には、わずかでも櫛山とは差をつけられる、そんな淡い期待を抱いていなかったといえば嘘になる。
だが、今ここで、現実を突きつけられ、実際に数票を取り合う状況になると、心中は穏やかでいられなかった。
櫛山の様子を窺った。櫛山は自席を立ち、手摺に乗りかかるようにアリーナを見下ろしていた。森田に挑発の表情を向けていた櫛山も、この混戦模様にさすがに興奮してきたのか。
廊下に出ると、森田は携帯電話を取り出して事務所へと電話を入れた。
ますますもって、気が重かった。だが、報告は森田の義務だ。森田の知らせを、事務所関係者一同は待っているはずだった。
「一騎打ちも一騎打ち、最悪のパターンよ。疑問票審査待ちの、残り数票を取り合う厳しい状況になったわ」
「で、でも。先生の勝利は、間違いないんですよね」
動揺気味の若林の声に、森田はしばし答えられず、沈黙を返した。
――こと、ここに至っては、もはや、無責任な楽観論を話しても、駄目かもしれないわね。
「も、森田さん? 聞こえてますか? 先生は――」
声の震えている若林を、森田は遮った。
「若林君。正直に言って、もう、先生は勝つと、軽々しくは口にできなくなったわ。ただ、だからといって、負けたわけでもない。覚悟は、しておいてほしいけれど、希望も、捨てずに待っていて」
――……我ながら、支離滅裂な言動ね。私自身が、一番混乱しているのかもしれないわ。
森田は自嘲した。
「我々は決して諦めていません。いつまでも、吉報を、待ち続けますから」
森田の混乱気味の会話内容から、逆に若林は冷静さを取り戻すと、努めて元気に、森田を励ますかのように告げた。
励まされた森田は、肩の荷が少し下ろされた感覚を覚えた。
――そうよ、私は、一人じゃない。
参観席へ戻り、森田は最終結果が出る瞬間を、固唾を呑んで見守った。
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