第27話 開票~午後十時~

 午後九時五十五分。大石は、廻ってきた各候補者の票束につけられた付表のバーコードを、開票集計システムで読み込み、得票の計算をしていた。


「大石、どうなっている?」


 小笠原が声を掛けてきた。小笠原は、開票所設営後、投票本部に戻らなかったため、動きやすいジャージ姿のままだった。散々あちこち動き回ったためか、顔はうっすらと汗で輝いていた。


「小池、櫛山以外は、百で出せそうです。予想通りというか、やはり小池さんが苦戦気味ですね」


 点検係の様子も横目に入れながら、大石は開票システムに表示されている集計結果を確認した。うれしくもない予想が当たっても、どんな顔を浮かべればよいのやら。つい、苦笑してしまった。


「うーん、接戦か。嫌だなぁ」


 小笠原は顔を顰めた。大石も全く同じ気分だった。櫛山の姿を確認したせいか、バーコード・リーダーを持つ手にも、じっとりと汗が滲んできた。妙なプレッシャーが懸かる。

 開披台に置いた有効票の選挙立会人による点検も、終わったらしい。大石は午後十時現在の速報数値をプリントアウトし、天野に渡した。

 天野から速報数値を受け取った広報課長は、時計を確認しつつ午後十時を待ち、場内アナウンスを開始した。


「お待たせいたしました。二十二時現在の、開票状況を、報告いたします。木村、泰助、百。三浦、康子、百――」


 今度は具体的な数字が出てきたため、各候補の数字が読み上げられるたびに、参観席に座る関係者と思われる人物からの喚声が上がった。


「――小池、栄作、ゼロ。櫛山、英作、ゼロ。繰り返します。二十二時現在――」


 小池の前までは百で続いていたが、小池でゼロと発表されるや、ひときわ大きな喚声が上がった。十時の段階で差がつくとは、他の候補陣営も思っていなかったようだった。櫛山のゼロについては、各陣営とも想定内なのか、小池ほどの喚声は上がらなかった。


「さすがに参観席も、どよめいてますね。小池さんの状況は、各陣営とも想定外といったところですか」


 放送が終わって数分が経過したが、参観席は依然ざわついていた。完全に櫛山のみをターゲットとしていた小池陣営はともかく、他の陣営は、小池、櫛山の動向はそれほどしっかりとマークはしていなかったに違いない。実績十分の小池が優位を持って櫛山にリードをしていると考えていても、おかしくはなかった。


「櫛山に当選されては、他の陣営も困るだろうしな。小池さんは、長年の議長経験もあって、会派を問わず信頼されている人だったし。小池さんが落ちて櫛山が当選だなんて、きっと誰も望んでいない」


 小笠原は参観席を見わたした。

 今回の中間発表で、小池と、櫛山二人の今後の動向は、俄然、他の陣営にとっても要注目となった。



 森田は愕然とした。ある程度までは覚悟していたとはいえ、やはりはっきりと、接戦の状況を眼前に示されると、挫けそうになる。


 ――他の候補は軒並み百票を獲得している。逆転はまずないと考えると、最下位当選枠は先生と櫛山の一騎打ち、この構図で間違いなく固まったわね。


 若林に報告をしなければならないが、気が重かった。しかし、やらねばならない。森田は、席を立つと、廊下へと出ようとした。

 ふと、視界にニット帽が入った。


 ――櫛山……、今の状況をどう見ているのかしら。


 遠目から窺うも、ニット帽を目深に被っているため、表情は全く読めなかった。焦っているのか、はたまた、想定内だと悠然と構えているのか。


 ――得体の知れない男ね。何を考えているのか読めないわ。


 あるときは、暴力も辞さない凶暴さを出し、また、あるときは、敵対相手を陥れるための策を弄する。わからない。

 櫛山が森田の立つ方向へ顔を向ける仕草をしたため、森田は慌てて顔を逸らすと、廊下へと出て行った

 廊下に出ると、参観席の熱気とは打って変わり、冷え切っていた。深呼吸を一つすると携帯電話を取り出し、事務所へ連絡を入れた。


「悪い知らせよ。十時現在、先生と櫛山がゼロ。他の候補は全員百。やはり、櫛山と最下位当選を争う一騎打ちとなりそうね」


「そうですか……。でも、まだ負けたわけではないんです。諦めませんよ」


 返ってきた若林の声も、さすがに沈んでいる様子がわかった。


「当然よ。どんな僅差になろうと、最後に勝つのは私たち。信じましょう」


 自らを勇気付けるかのように、森田は若林に努めて明るい声を掛けた。

 携帯電話を切ってハンドバッグにしまうと、熱気の渦巻く参観席へと戻った。……櫛山が森田を見て口の端を吊り上げているのが、目に入った。


 ――なんなの……。馬鹿にしているのかしら。


 森田は敢えて無視を決め込み、元いた席へ戻って腰を下ろした。

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