第26話 開票~午後八時~

 午後八時五十分。大石は、開票所に足を踏み入れた。

 百人以上が忙しなく動き回るアリーナは、熱気に包まれていた。各投票所から投票箱が運び込まれてきている。期日前投票所の投票箱も、天野が持ち込んでいた。どうやら、開票開会宣言の午後九時前に、すべての投票箱が揃ったようであった。

 大石は、得票計算係が陣取るテーブルへと向かい、設置されたノートパソコンを起動させた。ノートパソコンが起動するまで、各投票所から持ち込まれた投票録に、おかしなところはないか、ざっとチェックを入れた。


 ――投票録は、特段、問題なさそうだな。当日有権者数、投票者数、残票……、計算などにも齟齬はなさそうだ。


 ノートパソコンが起動すると、フロッピー・ディスクに入れて投票本部から持ち込んだ速報集計表を立ち上げた。電話で報告のあった速報数値と、投票録の数値とに誤りがないかの最終チェックを行い、どうやら修正すべき部分はなさそうだと確信した。これで、投票確定を打てる。

 大石が投票の最終集計をしている間に、開票開始となる午後九時を迎えた。

 開票管理者兼選挙長たる長谷川が、マイクを握りしめた。

 市の選挙は、開票と選挙会――開票の結果を受け、当選人を最終的に決定する会――を同時に行うため、開票管理者が選挙長を、開票立会人が選挙立会人を兼ねる手筈になっていた。


「只今より、古島市議会議員選挙の開票を開始いたします」


 ざわついていた会場も、一旦そこで静まり返り、長谷川の開会宣言の声だけがアリーナに響き渡った。宣言と同時に、長谷川は手に持った振鈴を大きく振り、澄んだ音が開票事務関係者たちの気を引き締めさせた。

 開会宣言を待つと同時に、開票事務のうち、判断業務の伴わない開披係を委託しているシルバー人材センターの会員が、一斉に投票箱をひっくり返し、開披台の上に投票用紙を広げた。


 古島市の開票の手順は、次の通りとなっていた。

 まず、開披係が投票箱から投票用紙を取り出し、投票用紙の天地表裏を揃える。

 次に、揃えられた投票用紙を、投票用紙読取分類機に掛けて分類をする。

 分類が済んだ投票用紙は、各候補者別、白票、および判別不能票――リジェクト票という――に分けられており、白票およびリジェクト票は、疑問票審査係へ回送される。

 正常に分類された投票用紙は、各候補者別に点検係に回され、人間の目で間違いがないか確認をする。

 おかしな票を見つければ、疑問票審査係へと回送される。点検は、二回を要求されているので、二人一組で二回点検をする形となっている。

 点検の済んだ票は、計算係へと回され、投票用紙計数機に掛け、枚数をカウントする。百枚単位で輪ゴム止めし、誰の票かを判別できるよう、付表を表に貼りつける。

 計数済みの票束は、得票計算係に回され、開票集計システムにて各候補者の得票数をカウントしていき、最後に、空いた開披台の上に載せられ、選挙立会人たちの点検を受ける。

 選挙立会人らは、載せられた票を自由に点検し、問題がなければ、三十分単位で袋詰めをし、封印、各選挙立会人たちの承認の印を貰う。

 完全有効票については以上の手順となり、並行して、疑問票審査係に回された疑問票は、事前に研修を受けた職員が判例等を参考に、有効・無効を判別し、完全有効票とは異なり、台に平積みはせず各票束単位で選挙立会人に回示し、個別に承認の印を貰う。また、無効票については特に、疑問票審査係が理由を説明し、選挙立会人の意見を求めた。ここで時間を食う状況が多いらしい。

 天野が念押しした、各候補者への人員の配置に注意を要する係とは、点検係であった。開票従事者を遊ばせないで有効活用する理由もあるが、他に、各候補者の得票の点検が、得票の比率に応じて均等になされないと、中間発表と最終確定で候補者の順位が逆転する事態も起こり得る。票読みを誤り、当落ぎりぎりの順位の候補者を、中間発表と最終確定で逆転させると、一大事だ。

 選挙無効などといった話にはならないが、選挙後に、間違いなく逆転負けを喫した陣営から怒鳴り込まれる事態になる。

 特に、選管委員や、天野のような管理職は強く責任を問われるため、胃の痛くなる思いをしているようだった。


「投票確定、出ました!」


 事務局長の待機席に座る天野に、大石は声を掛けた。最終の投票結果が纏まったので、場内にアナウンスを行う必要があった。


「ありがとう。うん、問題ないわね。じゃあ、九時十分、投票確定で放送するわ」


 天野は立ち上がり、詰めていた広報課長へ投票確定用紙を渡した。場内アナウンスは、広報が担当していた。また、選挙長、選管委員、選挙立会人、マスコミ各社に、紙で、投票確定を知らせた。


「只今より、確定いたしました投票状況について、ご報告いたします――」


 場内に、広報課長による投票確定の放送が流れた。確定した投票率が七十六パーセントと流れると、二階の参観席から喚声が上がった。歓喜、悲嘆、いったいどちらだろうか、と大石は参観席に目をやった。

 四十年ぶりの投票で、注目度自体は高く、参観人は五十人は下らないように見受けられた。櫛山の姿も大石の目に入った。


 ――櫛山、見に来てるのか……。


 背中に悪寒を感じた。気にしすぎだろうとは思うが、櫛山の姿を見ると、どうしても負の感情が頭を擡げてくる。大石を凝視しているのではないかと、つい疑心暗鬼に駆られてしまう。


 ――いけない、いけない。


 頭を振り、雑念を振り払った。開票作業に集中しなければ。



 午後九時半。森田は腕時計を確認した。そろそろ、第一回の中間発表がなされる時間のはずだった。

 オペラグラスでアリーナの状況を覗き見ると、先ほど投票確定報告をした広報課長が、マイクを持とうとしているのが目に入った。発表が始まりそうだ。


「二十一時、三十分現在の、開票中間報告を、いたします――」


 広報課長が次々と各候補者の得票数を読み上げていった。しかし、全員ゼロであった。どうやら、どの候補者の票もまだ点検が終わっていないようだ。


 ――お楽しみは、三十分後にお預けね。


 森田は、一旦そこで席を立ち、廊下へと出ようとした。


 ――櫛山、英作……。


 黒いニット帽を被った男の姿が森田の目に入った。特徴的な黒尽くめの服装、間違いなく櫛山本人だった。開票を見に来ていたのか。


 ――勝つのは、私たちよ。


 櫛山に一瞥をくれると、森田は廊下へと出た。若林に、中間報告が出たら随時報告すると伝えていたため、連絡を入れる必要があった。ハンドバッグから携帯電話を取り出し、選挙事務所へと電話を入れた。


「九時半現在の中間発表が出たわ。全員、今のところ、ゼロ。動きがあるのは、十時からになりそうよ」


「わかりました。こちらも、先生がお見えになり、また、支援者の方々も集まってきています。吉報を、お待ちしていますね」


 肯定の返事を返し、森田は携帯電話を切った。


「さて、午後十時、どうなるかしらね」


 足早に参観席へ戻りながら、森田は独りごちた。

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