第23話 投票速報~午前九時~

 午前九時、一斉に電話が鳴り響き、各投票所からの現時点での投票者数の報告が上がってきた。応援職員たちは、電話を受けると、速報記録用紙に、次々と速報数値をメモしていった。

 大石は、速報記録用紙を元に、ノートパソコンで集計を行い、速報集計表を作成すると、プリンターでプリントアウトをした。打ち出された速報集計表は、コピーして選管委員に配布し、また、電話で各候補者陣営から投票率の確認の電話が入る場合も多いため、電話対応の職員にも渡した。


「出足としては、まずまずですかね? 今まで市議選は無投票だったので、前回選挙との直接の比較はできないですけれど、同じ市政選挙の市長選と比べても、悪い数字ではない感じですね」


 天野にも速報集計表を渡し、大石は所感を伝えた。九時現在の投票率十八%、前回市長選の同時刻が十七・五%であったので、若干ながら上回っていた。四十年ぶりの投票で、注目度も高かったからだろうか。

 都市部の選挙では、市の選挙となると最終の投票率が三割台となるのは珍しくなかった。争点のない選挙であれば、ひどいと二割台という状況もあるほどだ。

 しかし、田舎の古島市では、市長選挙は注目度も高く、最終的な投票率はいつも八割に迫る勢いであった。出足を見る限りでは、今回の市議選も、同程度の投票率は見込めそうだった。

 投票率の向上も、選管の大事な使命だ。少しでも前回を上回っていれば、やはりうれしかった。


「悪くない数字ね。四十年ぶりの投票、しかも、櫛山さんのポスターの件で啓発キャンペーンも縮小せざるを得なかった想定外の事態の中で、この数字なら、御の字ね」


 天野は、渡された速報集計表を凝視すると、しきりに頷いた。


「ただ、他地区と比べると、北地区の投票率の低さが、やや気になるわね」


 天野の言うとおり、他地区が軒並み市長選と比べて率を伸ばしていたにもかかわらず、北地区だけは大幅に率を下げていた。北地区を除けば、市長選と比べ二%も上回っていたのだが、北地区が足を引っ張り、市全体としては市長選よりも〇・五%上回る程度に収まっていた。


「北地区ですか……。例の、スーパー前での櫛山さんと小池さんの批判合戦が、有権者離れを引き起こしたんですかね。スーパーの周辺、ちょうど北地区でしたよね」


「可能性は、あるかもしれないね」


 児玉が口を挟んできた。これから開票所の設営があるために、児玉はスーツ姿ではなく、ラフなジャージを着用していた。小笠原は先行して、すでに開票所の設営の準備を行っているはずだ。

 開票所は、市営スポーツセンターの体育館を使用していた。冷暖房完備であったので、選挙に使用するには願ってもなかった。


「まぁ、単に出足が鈍いだけで、最終的には落ち着くべきところに落ち着くような気も、するけどね」


「そうね。どちらにしても、もう今さら私たちがあれこれと議論をしたところで、どうにかなる問題でもないわ。成行きを見守りましょう」


 大石と児玉は頷いた。


 ――あとはもう、天気が崩れないように祈るぐらいしかできないよな。


 窓の外に視線を送ると、空は綺麗に晴れわたっていた。今のところ、大きく崩れる様子はなさそうだった。

 わずかに開いた窓から微かに風が吹き込み、大石の髪を揺らす。季節は春真っ盛り、市役所前に咲き乱れた花々の甘い香りが、スッと大石の鼻腔についた。投票本部に篭りっきりなのが、惜しいくらいだ。表へ飛び出したくなる誘惑に駆られてしまう。

 児玉は、小笠原の後を追うため、ロッカーから出してきた体育館履きを持ち、開票所の準備へ行くと告げると、投票本部を出て行った。



 森田は腕を組んで考え込んでいた。選挙運動はもはやできないので、支援者は皆、選挙事務所に詰めていた。

 午前九時半、先ほど支援者が市役所へ問い合わせをし、九時現在の投票速報値を確認したのだが、気になる結果になっていた。


 ――北地区の出足が鈍すぎるわ……。


 北地区――小池の元々の地盤であった。小池は北地区に居を構えており、支援者も北地区の者が多かった。


 ――まずいわね。


 森田の考えていた小池の票読みは、北地区を中心に考えていたため、北地区の投票率が低い現状は、非常に好ましくなかった。かといって、もはや投票日当日だ、選挙運動は行えない。下手に北地区で独自に投票啓発を行ったりしたら、違反を問われかねなかった。もう、運を天に任せるしかない。


「情勢、どう読みますか?」


 投票率の書かれたメモ用紙を凝視している森田に、若林が声を掛けてきた。森田は横目で若林を見やると、やはり若林も、決して明るい表情は浮かべていなかった。


「よくないわね。北地区のスーパー前で、櫛山と政治とは直接関係のないポスターの件で批判合戦を繰り広げた状況を、有権者は相当嫌ったようね」


 森田は眉を顰めた。ポスターの件さえなければ、もっと有利に選挙戦を進められたはずだった。櫛山に、してやられた。


「ま、過ぎ去った話よ。あれこれ思い悩んでいても、運に見放されるだけ。腹を決めて、もう開き直りましょう」


 森田は、窓に手を掛け、勢いよく開いた。入り込んできた風を受けながら、頭を振り、気持ちを切り替えた。


 ――やれるだけの努力は、やってきたはずよ。


 隣に若林も立った。片手を窓のサッシに置き、半身で外を見やっている。


「この、晴れわたる空のように、すっきりとした勝利を勝ち取れれば、いいですよね」


 横目で、呟く若林を一瞥すると、森田の言葉を受け入れてくれたのか、吹っ切れたように、笑顔を浮かべていた。


「本当に、そう思うわ」


 森田は空を仰ぎ見ると、一回ふーっと大きく息を吐ききり、両腕を広げながら新鮮な空気を吸い込んだ。

 あと十三時間もすれば、すべての結果が出る。二月、立候補予定者説明会に現れた櫛山の出現から、かれこれ二ヶ月半。長い長い選挙戦も、今日で終わる。受け入れがたい結果が出ないよう、祈るばかりであった。

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