第19話 森田の焦り

 水曜日、選挙戦四日目。今日も森田らは櫛山のネガティブ・キャンペーンを中心に演説を行っていた。しかし、なぜか今日は、聴衆の反応は芳しくなかった。


 ――どういうこと?


 森田は訝しがり、腕を組んで考え込んだ。昨日は確かに手ごたえを感じたはずだ。だが、今日の聴衆の反応のなさは、いったいなんなのだろう。


「森田さん、大変です!」


 若林が血相を変えて走り寄ってきた。


「どうしたの?」


「く、櫛山が街頭演説で、とんでもない主張をしています。ポスター掲示場に貼ったポスターを、我々に悪戯された、と。慌てて櫛山の言っていたポスター掲示場を確認したのですが、確かに櫛山のポスターの顔に、悪戯書きがされていました」


 森田は狼狽し、目の前が真っ暗になるかのような感覚を覚えた。


 ――何を言っているの? 私たちがポスターに、悪戯をした?


 森田は頭を抱え、必死に思考の整理を行った。


 ――聴衆の反応が悪かったのは、私たちが櫛山のポスターに悪戯をし、妨害をしているという櫛山の主張を、有権者が信じてしまっているからなの?


「我々も反論の演説をしましょう。今のままでは、せっかく手繰り寄せた風をヤツに持っていかれてしまいます」


「そ、そうね……」


 声が震えた。完全に想定外、考えもしていなかった事態だった。


 ――お、落ち着きなさい。私がしっかりしていないと、支援者にも動揺が広がるわ……。


 思い切り両手で頬を叩くと、気合を入れ直し、若林を見やった。


「若林君の言うとおり、今から作戦変更よ。まず、櫛山の主張は全くの出鱈目だと反論し、続いてネガティブ・キャンペーンを張る手順で行きましょう」


 若林は頷くと、森田の言葉を他のスタッフにも伝えに回った。


 ――面倒な話になったわ……。



 木曜日、選挙戦五日目。森田は焦っていた。火曜日のような熱狂を得られず、必死でもがく手も、ただ虚しく空を掴むだけであった。どうすればよいのか、わからなくなっていた。頭の中は、もうぐちゃぐちゃである。

 しかし、支援者に動揺を与えるわけにはいかない森田は、とにかく気丈に振舞っていた。


「大変です、大変です、森田さん!」


 若林が選挙事務所に駆け込んできた。


 ――また、トラブル? いったい、なんなのよ……。


 泣きそうになりそうな程の弱気が擡げかかってきたが、何とか振り払うと、汗で額を濡らしている若林を見やった。

 若林は、弾む息を整えると、森田へ顔を向けた。


「実は、昨晩張り替えられた櫛山のポスターにまた悪戯がされたと、櫛山が演説で我々をなじっているとの情報が入りました」


「なんですって!」


 息も止まらんばかりに森田は愕然とした。思わず天を仰いだ。


「連日です。これは、偶然に起こった悪戯に便乗しての主張などではなく、おそらく、櫛山自身が何らかの関与をし、ポスターに悪戯をさせているのではないかと思われます」


 若林の推測も、もっともだった。偶然の出来事にしてはあまりに不自然すぎる。きっと、裏に何かがあるに違いない。小池の演説の成功を見て、焦って何らかの策を講じてきたに違いなかった。

 それにしても、こうもあっさりと有権者が櫛山の主張を信じるとは……。森田にとって思いもよらない事態であった。

 櫛山のポスターが悪戯されて利を得るのは、客観的に見れば、櫛山と接戦を繰り広げていると思われている小池だ。

 考えるに、櫛山は言葉巧みに聴衆を煽り、悪戯の首謀者が小池であると上手く印象付けているのだろう。

 敵ながら、見事なものだ。思っていたよりも頭の切れる男なのだろうか。


「わかったわ。選管に連絡して、ポスター掲示場の巡回の強化を要請しましょう。私たちは、とにかく、愚直に今までの主張を繰り返し、支持を訴える以外にないわ。頑張りましょう」


 頷く若林に満足すると、森田はすぐさま選管へ電話を入れた。


「小池選挙事務所の森田です。実は、ポスター掲示場について――」


 ポスター掲示場に貼られたポスターの悪戯が増えているので、巡回を強化してほしい旨を掻い摘んで説明し、選管の了解を得られると、森田はホッとして受話器を置いた。


 ――犯人が捕まればいいけど……。随分と不利な状況になったわね。


 選挙戦も終盤に差し掛かり、果たして挽回ができるのかと、不安に胸が押し潰されそうになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る