第17話 違反と取締

 大石が、開票時に候補者の票を分類するために使用するイチゴパックに、候補者の名前の書いたラベルを貼っていると、不意に電話が鳴り響いた。

 作業の手を止めると、大石は電話を受けた。


「XX町付近の民家の壁に、小池の三連ポスターが貼ったままになっている。違反だろ」


 ひどく針を含んだ、冷たく響く男の声だった。櫛山だった。

 候補者の氏名の入った、政治活動に使用する個人ポスターは、任期満了日の六ヶ月前から選挙期日までは貼付を規制されていた。規制を回避するため、各候補者たちは、個人ポスターの規制期間に入ると、一斉に剥がし、替わりに政党等の政治活動用のポスターへと貼り替えた。政党等の政治活動用ポスターは、規制には当たらないためだ。

 張り替えられた政党等の政治活動用ポスターは、政党等の記載部分と、複数の弁士――通常は政党党首と候補者の二人――それぞれを記載する部分とで、全体で三分割されているために、便宜的に〝三連ポスター〟と呼ばれていた。

 天野は、三連ポスターについても、選挙運動期間中は貼れないため、告示日中に剥がすよう立候補届出受付時、候補者全員に対し注意喚起をした。どうやら、小池の三連ポスターの剥がし漏れがあるという話だった。


「わかりました、我々でも現場を確認し、至急、剥がさせます」


「さっさとしろよ。不公平だからな」


 櫛山は、いつものぶっきら棒な物言いで用件を伝えると、電話を切った。

 政党に所属しない櫛山は、三連ポスターを使う機会がなかったため、余計に気に障っているのだろう。

 自身の後援団体以外の政治団体を使用すれば、政党に属していなくても三連ポスターの貼付は可能であったが、一匹狼的な櫛山に協力してくれるような政治団体は、おそらく存在しないに違いない。

 大石は、小笠原に剥がし漏れポスターの件を話し、一緒に現場確認のため同行してもらった。デジカメにきちんと証拠を取っておかなければ、後々、訴訟等になった場合に困るおそれがあった。

 櫛山の通報どおり、ポスターの剥がし漏れを発見した。細い路地の奥の奥、ほとんど人目に付かないような場所だったため、剥がし忘れたのだろう。


 ――櫛山も、よくこんな場所を見つけたな。


 だいたいの場所を知らされていた大石たちですら探すのに迷ったくらいだ。櫛山は、執拗に剥がし漏れポスターでも探し回っていたのだろうか。本当に不思議な人物だ。


「確かに剥がし漏れだな。大石、事務局へ戻ったら、小池陣営の選挙事務所に一報を入れ、至急剥がしてもらうようにしろ」


 小笠原の指示に、大石は頷いた。

 小池陣営は選管の通報に素直に応じ、直ちに剥がすとの回答を得られた。

 あとは、時間を置いてもう一度、現場を確認し、剥がされている状態を確認できれば大丈夫だ。

 通常であれば、選管が剥がし漏れを指摘すれば、皆、素直に撤去に応じてもらえる。だが、中には撤去に応じない場合もあり、応じない時は、警察と連携を取り、最終的には選管が撤去命令書を発令する結果となる。

 事前に、ある行為について問題があるかどうかの問い合わせがあれば、止めたほうがよい等とアドバイスは可能であったが、すでに行われた選挙違反については、もはや選管で取り締まれるような権限もなく、基本的に警察が受け持った。通報してきた市民から、選管は何をやっているとよく叱責を受けるが、非常に悩ましいところだった。

 しかし、ポスターの撤去命令については、選管が行える唯一の取り締まり的機能であり、違反ポスターについては、能動的に動けた。

 夕方、ポスター掲示場の巡回に合わせて、剥がし漏れのあった場所を再度確認すると、綺麗に剥がされていた。


「先輩、どうやらきちんと剥がしてもらえたようですね」


 小笠原も、すっかり撤去されているのを確認し、満足そうに頷いた。櫛山も、不平を鳴らしはしまい。



 大石らがポスター掲示場の巡回――定期的に、掲示場に異常が生じていないかを確認する必要があった――をしていると、櫛山が街頭演説を行っている場面に出くわした。


「思いのほか、櫛山さんの演説に人が集まっていますね」


 大石は車を脇に寄せて停車すると、櫛山の様子を窺った。


「なぁに、物珍しさで人が集まっているだけだろう。すぐにボロが出てくるんじゃないか?」


 小笠原は車のウィンドウを開き、つまらなそうに演説に耳を澄ませていた。


「今、古島の市議会は、長年に亘って続いた馴れ合いの政治で、沈滞をしてしまっています。市の財政状況をぜひ皆さん、ご自身の目で一度ご覧ください。破綻寸前です。にもかかわらず、市議会は全く市当局を追及しようともしない」


 熱のこもった櫛山の演説だった。昨日までの、怪しさを醸し出す奇怪な服装はしていなかった。濃紺のスーツで身を固め、頭髪もかっちり固め、大石のパッと見では、まるでどこぞのエリートサラリーマンのようであった。

 変われば変われるものだ。本当に櫛山だろうか、などと馬鹿な疑念すら浮かんだ。


「現状のままでよいのでしょうか! いいえ! 私は、変えたい! 私なら変えられる! 変えられるのは、私しかいません! なぜなら、私はしがらみが一切ないのだから! 島外出身者という利点を最大限に生かし、市議会に一石を投じたい!」


 大石は、小笠原と顔を見合わせた。小笠原は、櫛山のあまりの変貌振りに、あんぐりと口を開けていた。大石も同じ気分であった。


 ――まるで別人だ。いったいどうしたんだ?


 櫛山という人物が、ますますわからなくなった。昨日までの支離滅裂な櫛山と、今、目の前でひどく真っ当な主張をしている櫛山、どちらが本当の櫛山の姿なのだろうか。

 聴衆の反応も、まずまずだった。最初は余所者が来たと、色物を見つめるような様子の有権者たちだったが、演説も終盤に差し掛かる頃になると、皆が真面目に聞いている様子だった。


 ――もしかしたら、想定以上の混戦になるぞ。


 湧き上がる不安感を払拭するように、大石は、櫛山の演説が終わる前に車を出すと、ポスター掲示場巡回を再開した。

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