第9話 委員会後

 天野に意見はないかと促され、思案している選管委員たちを、大石は、しばし流れる沈黙の中で見つめた。


「市長は、櫛山さんの件はご存知なの?」

「いいえ、まだ市長の耳には入れていません」


 長谷川の問いに、天野は首を横に振った。


「それなら、市長に、櫛山さんの件について相談してみませんか」


 他の三人の委員も一様に首を縦に振っていた。


 天野と児玉は顔を見合わせた。どうしたものかと、思案をしているようだった。

 大石は、若輩者が口を挟むような話題ではないと思い、黙って聞いていた。下手な意見を言って、天野の大目玉を食らいたくはなかった。


「市政の将来に関わる重大事になるかもしれないんです。それに、何かよい案を提案いただけるかもしれませんよ」


 長谷川は、思案している天野と児玉を諭した。


 天野は、市幹部に余計な心配を掛けさせたくないようだが、しかし、長谷川の言うとおり、市政の今後に関わる話だ、市長に相談を持ち掛けるのは間違いではないだろう。大石も長谷川に賛成だった。


 ――さて、局長は、どう対処するつもりなのかな。


 大石は、天野と児玉を交互に見やり、成行きを見守った。


「局長、委員長の言うとおりですよ。市長の耳に入れて、今後の方針を相談しませんか」

「彰ちゃん……」


 児玉も賛同したのを確認し、天野は腕を組んで考え込んだ。


 ――局長、迷う必要なんかないですよ。市長に相談しましょうよ。


 口に出す勇気がない大石は、心の中で天野に呼びかけた。


「そう、ね。みんなの言う通りかもしれないわね」


 天野は組んだ腕を解くと、席を立った。長谷川以下全員が、天野に注目をした。


「わかりました、さっそく市長にアポイントをとります」


 天野は委員会室を足早に後にした。



「今から委員会室にいらっしゃるそうです」


 委員会室へ戻ってくるや、天野は全員に報告した。


「局長、我々は退室していたほうがいいですか?」


 重要な話になるだろうと、大石は天野に確認を取った。なにしろ、幹部の話を下っ端も一緒になって聞くという状況は、あまりよろしくないのではないかと思ったからだ。


「いえ、大石さんも小笠原さんも、同席してちょうだい。いつも言っているけれど、情報の共有は、しておきたいの」


 天野の口癖だ。情報の共有。

 入庁一年の大石にとって、市長を交えた話し合いを間近で見るチャンスなど、まずない。ここは、お言葉に甘えて同席させてもらおう。


「選管にいる間に、いろいろな仕事を経験して、将来あなたたちが課長、部長となっていくための肥やしにしてもらいたいのよ」


 管理職を含め四名体制、また、行政委員会という、市長部局とは独立した特殊なポジションである選挙管理委員会事務局。特殊性のため、新人の大石にも、予算の作成や、事務事業の効率性の評価など、人数の多い部署では係長クラスがやるような仕事もよく任された。

 市議会の動向にも常に注意を払い、また、選挙になれば、他課からの応援職員を割り振る人事のような仕事まで任された。おかげで、市役所全体の動きが非常によくわかるようになり、同期入庁の仲間たちに羨ましがられたりもした。


 ――常に、一つ上のポジションに成ったつもりで行動しなさい、か。


 天野のもう一つの口癖を思い出した。係員なら係長、係長なら課長に成ったつもりで行動しろ、と。

 上からの視点で仕事を進めていく大変さはもちろんあった。しかし、一つ一つの経験が、確かに大石の血となり、肉となっていき、充実感に満たされていく感覚も、また、事実であった。


 大石があれこれ考えていると、委員会室の入口の扉が開き、市長と副市長が入ってきた。


「すみません、ご足労いただいて」


 長谷川は手を差し出した。市長も手を差し出すと、両者笑みを浮かべながら握手をした。


「いえ、なにやら重要な話と伺ったので、構いません」


 天野は市長らを席に案内し、着席してもらった。天野も、着席すると、櫛山の件について切り出した。


「市長、実は――」


 天野は櫛山に関して、説明会の翌日のトラブルの件、以前に本土でも多くの問題を起こしてきた件を、掻い摘んで説明した。


「要注意人物、と言うわけか」


 市長は苦々しい顔を浮かべ、呟いた。平和な古島に唐突に投げ込まれた爆弾に、心中かなり穏やかではないのであろう。


「櫛山が当選すれば、市政に大きな混乱を招く事態は、必至だと思われます」


 児玉が横から補足した。

 市長、副市長とも、腕を組み、目を閉じ、思案をしているようだった。


 ――何か、よい案でも出てくるのかな。


 考え込んでいる二人の様子を、大石は固唾を呑んで見守っていた。思わず、ゴクリと一つ生唾を飲み込んだ。


「議長……」

「え?」


 副市長がぼそりと呟くと、天野はよく聞き取れなかったのか、気の抜けた声を上げた。


「そうか、小池議長か」


 市長も、しきりに肯く。


 ――小池議長が、どうしたんだろうか?


 大石は首を傾げ、市長らの意図を探ろうと、思考を集中させた。


 ――小池議長は引退のはずだよな、どういうことだ。


「引退を表明している小池議長に、もう一度、出馬をお願いする案は、どうだろうか」


 市長は長谷川を始め、委員全員と、天野、児玉へ順に視線を送った。


「なるほど、議長なら、どこの馬の骨ともわからない新人に負けるような事態には、ならないですよね」


 天野はポンと一つ手を叩くと、なぜ気づかなかったのだろうといった風に苦笑を浮かべていた。


 ――つまり、引退を撤回させて再登板を促す、という話かな。


 市長らの話を纏め、なるほどと大石は納得した。小池の再登板が、事態を丸く収めるのには一番いいのだろう。


「それが、よろしいんじゃないですか」


 長谷川も賛同すると、他の三人の委員も首肯していた。


「よし、わかった。では、私から議長を説得してみよう。選管が直接あれこれ動くのは、いろいろとまずかろうし、な」


 市長は微笑を浮かべて立ち上がると、副市長とともに委員会室を駆け足で退室していった。巻き起こる微風に混じり、爽やかな柑橘系の匂いが、大石の鼻腔をくすぐった。市長の香水に違いない。些細な行動一つをとっても無駄のない市長に、ふさわしい香りだと思う。

 いささかの躊躇も感じさせない立ち居振る舞いに、即断即決で市民の信頼を集めている市長らしいなと、大石は毅然とした後姿を見やった。

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