応援コメント

作品作りのため甲斐武田家が滅んだ理由についての調査をした、その結果報告」への応援コメント

  • 武田と織田の経済力の違いで、長篠の戦に武田は2万貫の軍資金を用意するのに、全領地に臨時課税を行った。今までは非課税の未亡人にまで課税しており、常識外の課税だった模様。
     一方織田家は、いざとなれば1つの町で2万貫を出せる堺や京都など大都市を複数擁しており、広く薄く課税することで、無理なく軍隊を動員できる。

      長篠で武田家が簡単に撤退せず、損切できず大損害を受けたのも、無茶な課税までして行った戦争なのに、手ぶらでは帰れないという内実もあったのかもしれません。
     長篠の武田家は、金払って旅行に来たのだから、悪天候でもスケジュール変えて帰るのは勿体ない、という心理に似てるのかもしれません。

  • 長篠は信長と勝頼の経済戦争だったと本で読んだ事あります。戦は金がかかる 前準備でなんでそんな金かかるんか言うくらいかかる。だから、信玄は信濃戦で甲州金をばら蒔いた。おかげで勝頼は金ない状態で戦に行かなければならず大変でした。長篠の近くの鉛鉱山もですが、吉田城には大量の火薬があったと言う情報もありあの無謀な戦があった。勝頼は色んな信玄のつけを払わされた感じがします