クソリプが存在する理由
昔、うちの爺様が生きていた時代の話だ。
こんな寒い日は、爺様は仕事から帰ってくると日本酒を婆様に温めさせて、一升瓶の注ぎ口を指で七割ぐらい塞ぎながらスルメイカに日本酒をチャッチャとふりかけ、それを石油ストーブの上で炙り、テレビ前の一等地に陣取り野球中継を見ていた。
孫がいようがお構いなしにチャンネルを独占し、大して強くもないのに熱燗をチビリチビリと舐め、いつものように阪神タイガースが負けてくだを巻く。
「そこで打たんかい!」
「なにしとんじゃ!」
「ちぇっ!」
「まーた負けよってからに」
爺様から分けてもらったスルメイカは旨かったが、はっきり言って子供にとっては退屈な時間だったのを覚えている。
酒臭いわ、テレビ見れないわ、爺様はなにか叫んでるわ、機嫌悪いわ、子供にとっては良い事がなかった。
そして酔っ払った爺様は階段を上って寝室へと消えていくのだった。
さて、この当時、阪神タイガースが負けて爺様の文句を聞かされるのは、自分と両親と婆様など親戚一同ぐらいなもので、我々にとっては「まーた始まった」ぐらいの話。その他に文句を聞かされるのはたまに寄っていた飲み屋のお姉さんぐらいで、被害は軽微なものだと言える。
この当時はたしかインターネットがあるかないかという時代。爺様が発信する言葉が広がるのは家庭内と爺様の行動範囲ぐらいなもの。
しかし、もし今の時代に爺様が生きていて、スマホやインターネットを使いこなすデジタル爺様だったらどうだろうか。
今の阪神タイガースは昔と違って万年最下位争いをするような弱小球団ではなくなっているけど、それでも負ければ爺様はテレビの前でくだを巻いただろう。そして酔っぱらいながらTwitterを眺めて敗戦報告をする球団公式アカウントに腹を立ててクソリプを放ったかもしれないし、もし選手が「今日は打てませんでした!明日は頑張るぞ!」などとツイートしていたら「『今日は打てませんでした!』とちゃうぞ!」とキレてクソリプしていたかもしれない。
実際のところ野球場に行けば、打てなかった守れなかった選手にヤジを飛ばすオッサンたちはいるわけで、しかしそういうオッサンたちと選手はフェンスというATフィールドを隔てて完全なる別空間にいて、そこには物理的な距離よりももっと大きな隔たりがある。彼らのヤジは球場の空気感を構成する要素の一つでしかなく、単体では大きな意味を持たず、選手にはほぼ届かない。
しかし今はインターネットやSNSというツールがその距離を限りなくゼロにしてしまっていて、それらの声も公平に届けられてしまうようになった。
フェンス越しにヤジっているオッサンたちも実際に選手を目の前にするとヤジれなくなる人が大多数だろうが、SNSでは空間というフェンスなど飛び越えて相手にダイレクトにヤジを飛ばせてしまう。
そりゃクソリプ飛ばしちゃう人も出てくるだろう。
インターネットは本来繋がるはずのない人と人を繋げてしまったわけで、この人と人が繋がりすぎる状態は本当に幸せなんだろうか? と最近少し考えてしまう。
そろそろ、もう少し新しい形のSNSが生まれないかと願っているのだけど。
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