9.勇者は蘇る夢を見る
その日の帰りの会は地獄だった。
頑なに目を瞑り、腕を組んで教壇に立つジャージ姿の先生。教卓の上には、ある女子が図工の時間に描いた、動物の絵。
……誰かに、赤鉛筆で上からぐちゃぐちゃに塗り潰されて、もう何の動物を描いたのかも分からない絵。
「人としてやったらあかんことや。無関係の子には悪いけど、犯人が名乗り出るまで、帰られへんで」
子供ながらに、この教室内で一番辛いのが、みんなに迷惑をかけてしまっていると思って縮こまっている被害者の女子だということは、そう思考しないでも分かった。
誰も得をしない環境。ただただ無意味に時間の浪費が行われる教室。
この時、俺は3年生だったか、4年生だったか……。その日も帰ってすぐ塾に行かなければならなかった俺は、面倒ながらも立ち上がって意見を言った。
「先生。それ、ずっと教室の後ろに飾ってたやつやんな?」
「そうやけど」
「じゃあ、俺らだけじゃなくて、他のクラスのヤツでもラクガキできたんちゃう?」
当時敬語を知らなかったということを差し引いても、俺はとてつもなく生意気なガキだった。嘲笑交じりに俺がそう言うと、俺と仲のいい男子をはじめ、クラス中が俺に同意する。
「そうやん!」
「俺らがやったって証拠あんの?」
「何か犯人みたいなセリフやな」
「てかー、先生がやったって可能性もあるんとちゃう?」
十数分椅子の上に拘束されていた俺たちの不満は、それをきっかけに爆発。ゲラゲラと笑いながら、調子に乗って校長や作業員の人までも疑い始める。
『いい子』である女子数人は、被害者である女子のことも考えずに面白がる俺たちを非難していたが、大多数の生徒は俺の主張の味方をしていた。
先生が拳で机を叩く。悪ガキはびびって静まり返った。
「黙れ! 他の組ではこんなイタズラ起きたことないんじゃ、信用のないこのクラスの生徒疑うんは当たり前やろが!」
横暴だ。
……とは、流石に言わない。教師と小学生という立場上、教師が強硬手段を使ってきたら、小学生の正論は『わがまま』として握り潰される。
俺はその時からどうしようもなく、大人というものを信用していなかったし、諦めていたのだ。
手はお膝。全員大人しく着席した教室には理不尽な静寂が落ちた。
「……平原ちゃうん?」
「ほんまや。あいつ、こないだもランドセルの中にグミ入れてきてたし」
「うっわ、わっるー」
平原……なんだっけ。下の名前は思い出せないが、たしか、クラスの中で一人だけ髪を金に染めていた女の子だ。
ガキには、すぐに教師にチクるような奴は徹底的に迫害してもいいという『悪い子』と、ズルいことをしていい思いをしてる奴は徹底的に追い詰めてもいいという『いい子』とが重なり合っていた。
そんなガキの俺らが、そのズルい平原を生け贄に選ぶのに、大して時間はかからなかった。
「グミのことは関係ない、もう終わった話や。……平原、どうなんや? 違うなら違うって言いや」
「……違うし」
「嘘つけ!」
「ひらちゃんすぐ嘘つくもんなー。私の消しゴム盗んでたことあったし」
人生で最も早く、幼く、汚い愉悦だった。
ライフイズクエストを遊んで、ヒーローや勇者に憧れていた俺は、結局そこから何も学んではいなかったのだ。
どんどん縮こまって、目に涙を浮かべる平原を、俺は何もせずただ心の底で笑っていた。
「私がやりましたー」
間の抜けた声が、ざわめきの中を吹き抜けた。
突如として手を挙げ、立ち上がり、何でもないことのように気持ち悪い『空っぽな』笑顔を貼り付けた女子が、いた。
……小学生の、西澤年である。
「に、西澤? やったって……ほんまか?」
「はい」
「……なんで?」
「楽しそうやったから」
全てが嘘だと、俺には分かっていた。
あのラクガキをしたのは、上級生たちだったんだ。塾が嫌で、学校内をウロウロしていた時に、偶然犯行の様子を目撃した。
上級生たちは、確かに、「楽しそうだったから」犯行に及んだのだろう。
だが西澤は……何もしていない。全く関係がないのだ。被害者の女子とも普通の友達だし、嫌われ者の平原と仲がいいというわけでもないはずだ。
「……西澤、職員室来い」
「はい」
「今日はもう挨拶いらん。解散」
やれやれとランドセルを持ち上げ、帰ろうとするクラスメートたち。俺だけが、目の前の光景に衝撃を受け、座ったまま動けないでいた。
気持ちの悪い自己犠牲。
自己満足的正義。
それを表情ひとつ変えずに行う根性。
その日、俺の中のヒーロー像は歪んだ。
#
「よくぞ蘇られた、勇者様」
目を覚ますと、俺は見覚えのある教会で、硬いベッドの上に仰向けで寝ていた。
ゆっくり上体を起こすと、目覚めた俺を一瞥して何も言わず部屋を辞する司祭の人が見えた。すぐに、バッツとサンチャオが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「生き返ってくれて嬉しいぜ、相棒」
「一時はどうなることかと……」
「え?」
……サラリーマン・久住達也の人生は、通り魔による刺殺という形で幕を閉じた。
はず、なのだが……。
次に見る光景は天国か地獄か、或いは虚無かと思っていたが、まさか、巷で話題の『異世界転生』をしてしまうとは。
痴態だ。24にもなって異世界転生なんて恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「……何で顔隠してんだ?」
「まだどこか痛みますか?」
「いや……ちょっと混乱してて。俺、どうなったんだっけ」
こっちの世界が、俺がいた現実世界と対応しているのなら、俺は『マールを通り魔から庇って刺された』という扱いになっているはずだ。
そしてバッツは、見事にその通りのことを言ってくれた。
「マールを通り魔から庇って、刺されて死んだんだよ。その後、マールがお前をここまで運んできて、蘇らせたのさ」
「……蘇らせた?」
「勇者様の御加護と司祭様の祈りの両方があったから行えた蘇生です。本当に助からない可能性もあったのですよ」
分かったことを整理しよう。
便宜上、俺がサラリーマンとして生きていた世界を現実世界、俺が勇者として今生きている世界を異世界と呼称しよう。
まず、この異世界では、死んでも協会で祈ってもらえば蘇ることが出来る……ということだろうか。
サンチャオの言葉から察するに、御加護を持つ勇者である俺だからこそ蘇れたものの、マールなど他の人間は死んでも蘇生できないようだが。
そして、現実世界で西澤を生かすことに成功したことがこちらの世界にも影響し、マールが生存。刺された俺を助けてくれたようだ。
「マールは?」
バッツとサンチャオが、苦笑しながら2人とも床を指差した。
それに従って2人の足元を見ると、麻袋のような布を掛布団代わりにして、床に寝転んでいるマールの姿があった。
「お前が死んでから蘇生するまでの2週間ちょっと、飯食うのと便所行く時以外は、ずっとここを動かずに祈ってたんだぜ。司祭様みてーな能力もないってのに」
「まぁ、自分をかばって勇者様が一度死んだのですから……責任を感じてしまうのも無理はないかと」
静かに息をし、眠り続けるマールの顔に、西澤の顔が重なる。
達成感、幸福感、そして、言い表せない気持ち。いつ以来か、或いは人生で初めてのことか、胸がプラスの感情で満たされた俺は、久しぶりに屈託のない笑顔を浮かべることができた。
「……ありがとう」
君のお陰で、俺は人生で初めて、勇者になることができた。
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