7.サラリーマンはやるせない現実を見る
会社から駅まで帰る道のりの、ほぼ中間地点にある居酒屋、『かりめろ』の暖簾を2人横並びに潜る。だいたい同僚と帰りに立ち寄るといえばここで、バラエティ豊富なメニューがウリの店だ。
いらっしゃい、と威勢のいい挨拶に迎えられる。黒っぽいエプロンをかけた女性店員が駆けつけて、「カウンター席でもよろしいですか?」と尋ねてくるので、大丈夫だと答えた。
とりあえず席に通され、お冷が出てくる。佐藤さんは迷いなくメニューを取ってぱらぱらめくり、即決で注文した。
「中ジョッキと、豚のグリルと、大根サラダください。久住さんはもう決まった?」
「俺も中ジョッキ。んで、カプレーゼと……鶏の唐揚げ頼むけど、佐藤さんもいる?」
「あ、いるいる!」
「以上で」
佐藤さんが唐揚げを欲しがることは、夢の中ですでに分かっていた。店員が注文を繰り返すのを聞き流し、俺はこの店を出たあとのことを考える。
もし本当に夢と現実が連動してるとしたら、あの夢の中での『マールが刺された』という場面は、この現実において、『佐藤年が刺される』という場面に変換されて再現されることになるが……。
冗談じゃない。治安の悪いファンタジーならともかく、法治国家日本でそんな簡単に通り魔殺人が起こってたまるかよ。
でも、今日起こった出来事は、偶然では済ませられないほど夢と類似している……。
「ふふっ」
思案顔の俺を、佐藤さんが笑った。
ちょうどそのとき中ジョッキが届いて、二人で慎ましく乾杯を済ませる。
「変わらないね。考え事してるとき、めっちゃ眉を寄せるクセ」
「……変わらない?」
「右眉なんか、いっつも寄せてるせいでシワ出来てたもんね。小学校の頃から」
「小学校の頃から?」
……年という珍しい名前を聞いた時から、ちょっとだけ引っかかってはいたけど。もしかして。
「まさか……小五で転校した、西澤?」
「また会えるなんてね」
顔が熱くなったのは、店員によって今届けられてきた料理の湯気が顔にかかったせいではないだろう。
俺の……初恋を捧げた相手である。
「……分かってたんなら言えよな」
「あはは。むしろ、小学生のときキスまでした相手を思い出されへん方に問題があるんちゃう?」
「うっさい。告白したら『次の日に返事する』とか言うて、そのままどっか転校してまう方に問題あるやろ」
自然と、話し方が地元にいた時に戻る。上京してから6年経ってもまだ慣れない標準語の殻を脱ぎ捨てた、それだけで気が楽になった。
冗談を言い合って笑う。夢の中と違って食い慣れた料理を食い、合間に酒を傾ける。
変に取り繕った状態から解放された口は、自然と愚痴を零した。
「……最近俺思うねんけど。人生、小学生の頃がピークやったなって感じせーへん?」
「そう? 常に今がピークやと思うけど」
「西澤……どんだけポジティブやねん……」
「もう西澤じゃないんやけどね」
「あーごめん。えーと、佐藤?」
「別に、呼びやすいなら西澤のままでええよ。会社では佐藤って呼んでほしいけど」
そりゃそうか。大阪から出張してきた佐藤さんを西澤と呼ぶなんて、混乱を招く。
「久住くんは小学生の時一番賢かったし、余計そう感じてしまうだけちゃう?」
「みんなが放課後サッカーしたりしてる間、俺だけ塾行かされてたんやから、当たり前やけどな」
親父はまだ若いのに警察のお偉いさんで、ほとんど家にいなかった。そのせいかは知らないけれど、母親はいつも俺にあれこれと口出ししてきた。
小学校低学年から学習塾とそろばん塾に通わされ、友達みんながやっているゲームも成績が下がるからと買ってもらえず、たまに塾がない日でもすぐに帰ってこないで遊んだりしていたら怒られた。
ではその勉強がいまのトシになって役立っているかといえば、まぁつまり、言葉に表すまでもなく、このザマである。
「……小学生のときも、ピークっていうほどじゃなかったわ」
「じゃあ、まだまだピークはこれから先にあるってことやろ」
「ピークなんか一生ないってことじゃない?」
「芯からネガティブやな、久住くん……小学校の時はそんなんちゃうかったのに」
頬杖をついてこちらを向き、困ったように笑いかけてくる西澤。こう見ると、小学校の時の面影がなくもない。
「私思うんだけどさ。『オレはまだ本調子じゃない!』なんて思うから、ずっと、もどかしい思いさせられるんだよ」
「本調子、ってか、ピークって言ってんだけど」
「目に見えないパラメータって意味では似たようなもんでしょ」
ううん。なんかえらく安直な括りに入れられた気がするが。
西澤は構わず続ける。
「私はいつも、風邪引いたりしてる時以外は、常に今がピークで本調子で絶好調だと思ってるからさ。それでできへんものはしゃーないやん?」
「……それ、下手したら俺よりネガティブな考え方ちゃう?」
「いい言葉教えたげるわ、久住くん」
「無視かよ」
ずいっ、と俺の口元に豚のグリルを突き出してくる。
まさか、こんな細部まで夢の内容と合致するなんて。せめてもの抵抗として、いまこの現実においては、遠慮しておくことにする。
美味しいのに、と拗ねたような小声を発して、西澤はその肉を勝手に俺の唐揚げの皿に置いた。そのまま箸を自分の皿に置いて、カチャ、と音を立てると、俺に向かって得意げな顔になり、人差し指を立てる。
「『自分で育てたリンゴを愛せ』」
「…………?」
「遠回しな言い方で鼻につくやろ? 要するに、自分の頭で考えたことを、自分自身が間違ってるとか責めたらあかんよ、ってことやねんて」
自分の頭で考えたことを……自分で間違っていると責めるな……。
名言や金言というものはいつでも、当たり前のように思えることだ。それでいて、なかなか誰も教えてくれないことだ。
西澤はジョッキを豪快にあおって、カウンターに静かに置いた。僅かに残った泡がゆっくりと底を目指して落ちていく。
「自分で考えたら、まずは人にそれが正しいか聞く。それでも自信がなければ別の人にも聞いてみる。何人に聞いても判断がつかなければ、自分を信じてみるべきって。私にその言葉教えてくれた人は言うてたで」
……俺は、自分を責めすぎているのか。
つまらない愚痴を聞いてもらって、励まされて。喉元まで出かかった感謝の言葉は、照れくささと昔の情念が邪魔をして、上手く形にならなかった。
ふと思い立って、俺も、西澤に倣ってジョッキをあおる。まだ多く残っていたけれど、なるべく急いでジョッキを空にする。
夢の中と同じなら……。
「お姉さん、中ジョッキ2杯おかわりー!」
……やっぱりお前は現実でも、人の分まで勝手に頼むんだな。
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