5.勇者は血塗られた夢を見る
「2軒目行こーう!」
「マジすか……」
……この夢の中の世界に誰が俺を連れてきたのか知らないが、ヘンテコな勇者のコスプレ衣装なんか全くいらないから、アルコール分解能力をつけてほしかった。
先ほどのククルスの酒場を出た時点で、もうこれ以上飲んだらヤバいと脳が危険信号を発している俺と、やっとウォーミングアップが終わったとでも言いたげなマールは、路地を歩いて2軒目に相応しい店を探していた。
これ、現実世界にまで酔いが残ったりしないよな……?
「勇者の食べてたトマトとチーズのサラダみたいなやつ、食べたいなあ」
「とうとう『さん』付けもやめやがった……呼び方がバッツと被ってるんだけど?」
「バッツが『勇者』って呼んでてー、サンチャオが『勇者様』って呼んでるんだよね」
「お前が『勇者さん』って呼べばちょうどいいんだけど」
「……『ゆうゆう』」
「ゆるキャラみたいな呼び方をするな!」
ゆるキャラ? と愉快そうに首を傾げるマールを無視。また失言をしてしまった。
魔法が科学の代わりをしているから、電灯がなくて灯りが足りない、というようなことはない。火の灯ったランタンがあちこちに浮遊していて、なんだかテーマパークのホラーイベントみたいだけど。
この世界では、こういうテーマパークみたいな世界観が常識なんだよな……。こっちに来てすぐは、夢を見てるだけだと思ってたけど……ちゃんと帰れるんだろうか。
明かりがあるとはいえ、夜は昼の影。ランタンの柔らかな光が届かない裏路地の奥などは闇に包まれ、俺たちの歩く表路地から様子を伺うことはできない。いちいち細い路地を見るたび警戒していては気が持たないので、この街の治安が良いことを祈るばかりだ。
「そういえば、記憶が無くなってるなら……じゃあ、ラージスロープとかイーストキャピタルとかの地名も分からない?」
「ラージスロープは、マールがここに来る前にいたとこだよな。でも、イーストキャピタルって?」
「………………」
ものすごい眉を寄せて、ものすごい目尻を下げられて、ものすごく溜め息を吐かれたあとで、ちょんちょん、と地面を指差された。
「ここ」
「…………」
この世界のことを何も知らないと、マールに打ち明けておいてよかった。仲間のみんなの前でここの地名が分からないなどということが判明してしまったら、大惨事だ……。
「仲間のみんなには、しばらくは記憶が無いこと、黙ってるつもり?」
「……まぁ、そうだね。色々と混乱を生むと思うし……」
「分かった。何かあったら私がフォローするから、いつでも頼ってね?」
そう言って、こちらを見上げて微笑むマールに、俺は上手く微笑み返せなかった。
……可愛い、などと思ってしまった。俺は本来、現実世界で生活するサラリーマンだというのに……あろうことか、夢の中の異世界の女の子のことを。
何がまずいとか、上手く説明出来ないけど……ダメだろう、色々と! 24歳にもなって魔法使いを好きになるとかは!
「悩むなー。あっちのポリーンいっぱい飲めるとこもいいんだけど……」
「ポリーン?」
「……それもか。ポリーンはぶどうを使って作るお酒だよ。飲むと魔力も高まったりするの」
「あぁ、ワインか」
「ワイーンじゃなくてポリーン!」
ワイーンって。昭和のギャグかよ。
さっきの酒場を出てから、何本目かの細い路地の入口を通り過ぎたところで、目の前の道路を馬車が横切った。
「あれも魔法で制御してるの?」
「そうだよ。御者は手綱を通して、ウマを魔力で操るの」
……ウマはウマなんだ。
「やれやれ、勇者くんは私が教えてあげないと、何にも知らないねー」
「くん付けに落ち着いたのか」
「正直、勇者さんよりしっくりくるでしょ?」
「……まぁな」
「ふふふ。私も、タメ口なのにさん付けって、ちょっと変だなと思っ…………」
ナイフ。
脳内に、突如として、その単語が浮かんで、すぐに次に続く言葉に打ち消された。
血。
血が。
……血が。
「……………………え?」
いつの間にかマールの背後に立っていた男が、引き抜く。
引き抜く?
何を? ……ナイフを。
どこから? ……背中から。
背中? 誰の?
血で真っ赤に染まった、マールの、背中。
汚い身なりの男がナイフを抜いて、荒い息で「やった……」などとぶつぶつ言いながら走り去る。マールは、その場に、ベチャッ、と致命的な音を立てて崩れ落ちた。
「うぁああぁぁあああぁあぁああ!!」
後ろ向きに倒れ、尻餅をつく。
うつ伏せに倒れたマールの体からどくどくと流れ出た血が、地面を真っ赤に染めて、広がる。
尻餅の状態から、無様に這って、マールに近寄る。荒い呼吸音、咳、咳とともに酷い喀血。
……助からない。
素人だけど、この世界なら魔法で治せるのかもしれないけど、そう悟った。
それでも喉が勝手に声を絞り出す。
「誰か! 誰かぁぁーーっ!!」
しかし、市民は遠巻きにその血溜まりを見て悲鳴をあげ、走り去るだけだ。
「しゃ……くん」
マールが、うつ伏せのまま、顔だけを横にして何かを言おうとしている。
その顔色は明らかに……生きるには、薄すぎる。暗すぎる。白すぎて、青すぎる。
瞬発的に、マールの口元に耳を寄せる。
「マール!?」
「……わたし…………死ぬ?」
死ぬ。
こんな血の量、絶対に助からない。死ぬ。
「大丈夫だ、死なせない! 絶対に助けてみせる!」
無責任にも、俺はそう言った。
いつの間にか目から溢れていた涙が、マールの頬に落ちた。
「……よかった……」
「絶対に……!」
マールは、ゆっくりと目を瞑ると、唇をほとんど動かさずに。
「……やっぱり……『勇者』だね……」
最期に、そう言った。
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