4.勇者はやるせない夢を見る
「勇者様ともあろうものが、こんな仕事に半日も費やすなど……率直に言って、情けないですな」
「……すません」
勇者様、全然ダメだった。
勢い勇んで突っ込んだまではよかったが、日頃の運動不足が祟ったのか、ボスモグラの手前でずっこけてしまい。
そのまま上を見上げれば、ちゃちな人間なんか一撃で屠り殺せそうな、鎌のような爪を構えたボスモグラが鼻息荒く俺を見下ろしており。0.5CCほどチビって、腰を抜かしてしまった。
「何やってんだよ!」と、援護に回ってくれていたバッツに抱えられ、その後はずっとお荷物として、仲間の足を引っ張ってしまった……というのが、今回のことの顛末だ。
泥仕合でなんとかモグラを全滅させ、魔物退治が終了したことを依頼元の教会に赴いて司祭に報告したところ、仕事が遅すぎるとお叱りを受けるハメになって、現在もお説教の真っ最中だ。
ステンドグラスから届くカラフルな光が、司祭の前に正座する俺たちの背中をじりじりと焦がす。
「世界を救う勇者様がこのような失態をされたとあっては、民衆からの神への信頼すら揺らいでしまう。勇者様への失望はその使命を与えた神への失望と同義です。……困りますな」
「……返す言葉もありません」
あまりの不甲斐なさに平身低頭、平謝りする俺とは対照的に、バッツは説教を受けること自体が不満らしく、食ってかかっていった。
「んだよオッサン! 自分は戦いもしねぇくせに!」
「バッツ!」
が、すぐにサンチャオに窘められる。
「仲間が大変失礼なことを申しました。私からお詫び申し上げます。
……しかし、司祭様。ひとつだけ訂正させてください……勇者様は、失望されるようなお人ではございません」
「……俺もそれだけは訂正しないと気が済まねぇ。勇者は今回調子が悪かっただけだ、見くびんな!」
「……次はご期待に沿ってみせます。今回は本当に、申し訳ありませんでした」
仲間にこれだけのことを言わせてなお、自分では謝ることしかできない自分に、俺は民衆よりも司祭よりも神よりも、自分で自分に失望していた。
……畜生。
なんでファンタジーな世界でまで、現実みたいな惨めな思いをしなくちゃいけないんだよ。
#
バッツとサンチャオはそれぞれ別件の用事で行ってしまった。
暮れなずむ街の宿屋のロビーには、数人のスタッフと俺とマールだけが残される。
マールはさっきから喋らない。きっと、噂とは違って全然戦えない、使えない俺に失望したのだろう。
「今日は同行初日なのに、迷惑ばっかりかけてごめんな。部屋はサンチャオが取ってくれてるから、早く休もう」
「……勇者さん」
「な、なに?」
話の流れを遮って呼ばれたことに、少しドギマギしてしまう。
今日の第一印象、少なくとも良くはないだろうし。何を言われてしまうのか、どんな風に罵られるのか、メンタルに厳重なバリケードを設置した上で返事する。
そんな悲壮な覚悟を知ってか知らずか、マールは満面の笑みで言った。
「勇者さん。ちょっと飲みに行かない?」
#
ククルスの酒場、というらしい。
客の8割以上が武器を装備していたり、客の8割以上が筋骨隆々な荒くれ者の男だったり、客の10割が俺のことを知っていて物騒な挨拶を寄越してくること以外は、現実と同じ普通の居酒屋だ。
「何頼もうか」
「……リザードの唐揚げって、好き?」
「むしろ嫌いな人いるのかな」
あと、メニューの12割が得体の知れないものであるということも追加。
慣れた様子で、マールは店員を呼び止めて注文を言っていく。
「イエローホップの中ジョッキと、ヘルベルピッグのグリルと、カブ和えサラダください。勇者さんは何にする?」
「酒は同じので……リザードの唐揚げと、これ……トマトとチーズのサラダボウル」
「あ、じゃあ私も唐揚げ追加で」
店員を見送り、お冷を一口飲む。
面倒がなくていいのだが、動物はリザードとかファンタジックな名前なのに、野菜とかの名前はそのままなんだな……。酒の名前も、イエローホップとかジャイロスピカとか、分かりにくいものが多い。
メニュー表を卓の脇に戻して、待っている間にいじるスマホもこの世界にはない。しばらくマールと喋ることにする。
「ラージスロープから来たんだっけ? この店初めてだろうに、注文手慣れてるね」
「酒場にはよく来るからね。地元では毎晩3、4軒ハシゴとか普通だったし。今日も最低もう1軒はハシゴするつもりだよ?」
「ちょっとじゃなかったのかよ……」
「十分ちょっとでしょ?」
やっぱりファンタジー世界の住民だからか、日本人とは違って酒豪が多いのかな。酔いつぶれるまで飲んだことないけど、たぶん2軒も回ったら限界ぎりぎりだ。
お待たせしましたと、先にイエローホップが届く。名前から想像してた通り、普通の生ビールっぽい。
「かんぱいー」
「乾杯」
この世界にも乾杯はあるんだな。ちょっと感動。
おそるおそる、人生初イエローホップを口に含む。すぐに唇を泡が包んで、その泡を突き抜けるように流れてきた金色の酒が、微炭酸で舌を刺激する。
ウマい。殆どただのビールだ。
マールは一口目でゴクゴクいって、まだ料理が届いていないというのに半分飲み干してしまった。
「勇者さんって、なんか不思議な人だね」
「勇者なのに弱い、とか?」
「それもあるけど。なんか……慣れてない、っていうの? 魔法とか、私が出すたびに驚いたりして……」
バレてたのか。
今ここで、俺は実はただのサラリーマンで、気がついたら勇者になってました。とか言ったらどうなるのかな。
やめとこう。変なヤツだと思われて、関係性に亀裂が入るのは避けたい。
嘘も方便、とりあえず、本当の話に比べればまだありそうな話をでっち上げることにした。
「……言おうか迷ってたんだけど。今朝から記憶がはっきりしないんだ」
「え! 大丈夫なの、それ!?」
「大丈夫じゃない。以前の俺が、あんな恐ろしい魔物をなぎ倒してたとか、到底信じ難いし……そもそも魔法の実在自体が、信じられないんだ」
「ま、魔法も知らないなんて。うちのおじいちゃんでも魔法レンジでお茶温めるくらいできるのに……」
……もしかしてこの世界の魔法って、科学技術と同じ扱い? 魔法レンジってたぶん電子レンジのことだよな?
マールが俺の無知さに項垂れたところで、互いの料理が全て届き、テーブルが一杯になった。
試しにリザードの唐揚げをひとつかじってみる。鶏肉よりもかなり弾力が強く、衣のカリカリさと相まって楽しい食感だ。
口の中に残った油分をイエローホッパーで流し込めば、最強。この世界の人々はこの快感の為に生きているのだなぁ。
「……本当に何も知らない? 覚えてない?」
「不思議と、トマトとかチーズとか、野菜のことは覚えてるけど。リザードとかの、動物の名前はさっぱりだ」
「動物じゃなくて魔物。さっぱり分からないモノのお肉を、よく平気で食べれるね……?」
「ウマいから仕方ない」
トマトとチーズのサラダボウルにも箸を伸ばす。ていうか、何気なく使っていたけれど、こっちでも食事は箸が基本なのか。
現実の世界と同じ食べ方で、トマトとチーズを一組一緒に掴んで口に運ぶ。数回咀嚼して、酸味と乳臭さとまろやかさ、それら全てひっくるめた多幸感に、「あぁーこれこれ」と思わず呟いてしまう。
「薄々気付いてたけど……私のことも覚えてないの?」
「初対面じゃないのか?」
「あーやっぱいい。忘れて」
そっちから話を振ってきたのに。
俺が食べてばっかりいるせいか、マールも黙ってしまった。話の主導権をずっとマールに押し付けていたことを反省し、適当に話題を見繕う。
「けどさ、やっぱり勇者がこんなんじゃ、カッコつかないよな。仲間にも司祭さんにも、迷惑かけっぱなしだし」
「……うーん。記憶は早く取り戻してもらいたいけど、それは別に気にしなくていいんじゃない?」
不意に、「食べる?」と、子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべたマールが、ヘルベルピッグのグリルを、箸で掴んで一切れ差し出してくる。
異世界にも、『あーん』の文化はあるのか。
あまり意識したら失礼だから、苦笑しつつ、差し出されたそれを口で受け取る。
噛んだ瞬間じゅわっと溢れ出す肉汁。前歯と奥歯を上手く使わないと噛み切れない硬い歯ごたえ。タレの甘みとレモンの酸味。美食の暴力にしばし心を奪われる。
明らかに夢じゃ味わえないリアルな感覚だ。魔物退治の時は、このリアルな感覚が苦痛だったが、今だけはこの味覚に感謝するばかりである。
「うま」
「せやろ?」
関西弁?
はっ、と口を抑えて、何でもないような顔で話を続けようとするマール。ここであえてツッコむほど俺も鬼畜ではない。
「で、でね。さっきの続きだけど。……こんなこと言ったら罰当たりだけどさ。伝説の勇者だなんて、所詮、体のいい押し付けだよ」
「押し付け?」
「そう」
勇者を……押し付ける。
ヒーロー像に憧れを持つごく一般的な現代男性としては、そんな発想は持ちようがなかったし、持ってはいけなかった。また、持てるはずもなかった。
「生まれてきた瞬間、手に変な形のアザがあったからって、その子に魔物退治を押し付けていい理由にはならない。世界平和を押し付けていいわけない」
俺は、右手を開いて、手の甲を見た。
……翼のような形の、アザというには綺麗すぎる模様が、そこに刻まれている。
「だから、なんていうかさ。勇者だからしっかりしなくちゃとか、そんなの思う必要、ないと思うな」
「……あり、がとう」
「まぁもちろん、仕事でやってる以上、今日みたいなのはちょーっと困るけどね」
う。これが飴と鞭か。
「次こそは頑張るから!」
「あは、冗談冗談! お姉さん、中ジョッキ2杯おかわりー!」
勝手に俺の分も頼むな。
残っていたイエローホップを飲み干して、マールのジョッキと一緒に店員のお姉さんに渡す。
その後、ゲドクマッシュのバターホイル焼きとか、ローストバフルとか、美味なる得体の知れない小皿料理の数々を酒と共に流し込んだ。
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