エレオノーラ・バートの日記



”628年4月

晴天、少し寒い。

今日は久しぶりの客人。”



「レディ?」

 大統領夫人が不意に立ち上がったので、秘書官は不思議そうに首をかしげる。

 丁度、これから迎える午後の面会予定者リストを渡したところだった。

「申し訳ないのだけれど、このリストの2番目以降の方、30分づつ予定をずらすよう調整をしてもらえる?」

「……かしこまりました」

「無理を言って悪いわね」

「あの……何か、問題でも?」

 彼女が予定を急に変更することなんて、そうそう無いことだ。自分の組んだスケジュールに不都合でもあったのかと、秘書の声に不安が差したが、エレオノーラは苦笑して首を振る。

「違うわ、彼とはできれば、ゆっくり話をしたいのよ」

 手にしたリストの一人目には、何の肩書きもつかない「ロディス・カスタニエ」という人物の名前が記されていた。

 それが彼女にとって二人目の息子ともいえる、親しい存在の名であることを、秘書は知らなかった。

 

 

 ”ロディがひとりで公邸に来た。

 以前会った時はまだ母の面影が強く可愛らしい印象だったけれど、随分と見違えたものだ。

 春のうちにエウロへ戻るので、その挨拶だという。

 彼がひとりで私に会いに来るなんて、初めてのことだと思われる。

 


 高い日の差す公邸の玄関ホールに、行儀良く背筋を伸ばした後ろ姿がひとつ。

 今日は大きな会見も無いせいか、彼の他に人影はない。

「久しぶりですね、ロディ」

 声をかけると、青年はゆっくり振り返って、それから、少し驚いたようだった。面会客は時間になったら応接室へ案内されるのが決まりだから、そのように説明をうけていたのだろう。

「直接連絡をくれれば、ニルスにも時間を作るよう、声をかけたのに」

 慌てて立ち上がった拍子に、淡く、銀色に近い色の髪が一束、額に落ちて光る。高いヒールを履いた自分と変わらない目線。そういえば、つい先日十八歳になったばかりではないだろうか。幼い頃は少女のように可愛らしい子で、亡き母にそっくりだと思ったものだが、少し見ないうちにすっかり頼もしく成長していて――こんな時は、人間の、子供の時期は本当に短いものだと実感する。

「そんな勝手は恐れ多いですよ、大統領夫人閣下」

「まぁ、つれないこと」

 では堅苦しい応接室ではなく、サンルームでお茶にしましょう、と、言ってエレオノーラは微笑んだ。


 ”飛び級でギムナジアを卒業したことにも驚かされたが、かと思ったらあっという間に学位を取得してしまったという。

 聞けば、ギムナジア在学中にひとりで大学に進学していたとか。

 ユーリからそんなことは聞かなかったと思ったが、内緒にしていたのだそうだ。”



「あなたは優秀だと知っていたけれど、ユーリはすっかり追い越されてしまいましたね」

「そんなことはないです。斜めに飛ばして学位だけ取得するなんて、そうそう褒められたものではありませんし」

 嫌みのない調子で、ロディスは笑った。人目を引くハンサムに成長したものの、笑うと今も可憐な花のようだ。そして、次の言葉を探すように、手の中のティーカップに、ふっと目を落とす。

「それに……僕はこれから、また一からですから」

 僅かに混じる不安が聞こえたような気がした。今の彼はもう、生まれ故郷で過ごした時間より、トッカルで学んだ時の方がずっと長い。

「それで、エウロに早く帰りたかったのね」

「どうでしょう……」

 ロディスは曖昧に言葉を濁し、それから、子供っぽくはにかんで俯く。

「ここは、居心地が良すぎるから」

 彼をここに引き留めることはできない。はじめから、いつかは帰る約束なのだ。それを一番よく分かっているのが、ロディス自身なのだろう。

「セルジュは喜ぶでしょうけど、ユーリは寂しがるわね」

「ふふ、ユーリは怒ってますよ、すごく」

「寂しいってことよ」

「……分かっています。悪いことをしてしまったかな」

 子の成長を目の当たりにするのは嬉しく、また、同時に少し寂しくもあるものだ。けれど、

「悪くなんてあるものですか。あの子もすぐに、あなたの後を追うでしょうから」

 心に浮かんだ手前勝手な感傷を呑み込んで、彼の門出を肯定する。いつだって実の息子には特別厳しいこの母に、少しだけ緊張していた様子のロディスは、溶けるように苦笑して言った。

「ユーリはもう少しのんびりするといいです。僕の代わりに」

 サンルームに降り注ぐ真昼の光が、青年の滑らかな頬に落ちる。

 その儚げな丸みに、過ぎ去った少年時代の名残が引っかかっているような感じがした。


”思い返せば、我々親の思惑で二人を引き合わせたときは、気性が全く合わないことに後で気付いて、友人にはなれないのではないかと危惧したものだった。けれど、それが全くの杞憂であるのだから、幼心というのは興味深いものだ。

二人がこの先背負う荷の重さを、私は承知している。けれども未来、彼らがどんな大人同士になって、いかなる交流を育むのか、それが今から、楽しみでならない。”



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