序章の巻 その5 ドリタラーシュトラの百王子
「兄上、これから王宮に帰るところですか? 母上と父上によろしくお伝えくださいね」
「ああ、ドゥフシャーサナ。修行、頑張れよ」
弓を担いだ少年は軽く礼をして、また道を急いだ。
「兄上! カルナは見つかったんですね、よかった!」
「うん、ヴィカルナ。お前は?」
「僕は新しく来た戦象を見に行くところです! 他のよりずっと大きいらしいですよ!」
大きな眼をした少年は弾むような足取りで駆けていった。
「兄上、お帰りなさいませ!」
「チトラカ、ヴィーラ、ウグラ、スハスタ。ただいま」
王宮の庭で毬つきをして遊んでいた四人は、ドゥルヨーダナを見つけるときれいに声をそろえて挨拶をした。
「……ずいぶん、弟が多いんですね」
遊びを再開した少年たちを振り返りながら、カルナは言った。川端で会ってから、ここまでにドゥルヨーダナは十人以上の少年とすれ違い、兄上と声をかけられていた。
「なんだ、知らなかったのか」
ドゥルヨーダナはいささか驚いたように片眉を上げた。王宮の長い回廊を並んで歩く。
「ドリタラーシュトラの百王子、って言えば、だいぶ有名なもんだと思ってたけどな」
「いやあ、ここ数年はずっと森の中で修行してたものですから」
ふうん、と気のない返事をしたきり、ドゥルヨーダナは黙り込んだ。しばらくの間、二人分の足音だけが響いていた。
「着いたぞ」
広々として、日当たりのいい部屋だった。カルナが訪れるという話は既に伝わっていたらしく、数人の侍女が室内の片づけをしているところだった。忙しく動き回る彼女たちにかまわずドゥルヨーダナは部屋に入り、中央に据えられた二つの椅子の片方に腰かけた。カルナは入り口で立ち止まっていたが、ドゥルヨーダナに身振りで促され、彼の向かいの席に着いた。侍女が二人の間に小さな卓子を据え、果物の盛られた皿を置く。深々と頭を下げる彼女に、カルナも会釈をした。微笑を返し、そのまま部屋を出ていくのをなんともなしに目で追っていたが、向かい側から聞こえた忍び笑いに視線を戻した。
「何か?」
「いや、競技会のときとは大違いだと思ってな」
ドゥルヨーダナは面白そうに笑いながら、カルナの顔を見ていた。どういう意味ですか、と問う前に、彼は言葉を重ねた。
「おっと、気を悪くしないでくれよ。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ、あのときのお前は、なんというか、すごく、かっこよく見えた。それが、ここじゃ侍女相手に気を遣ってるんだもんな」
真面目な顔で言い訳をした後、照れたように笑ってみせる。彼のいかにも不器用な様子に、カルナは少し笑ってしまった。
「期待外れでしたか?」
「いや? こんなことで幻滅するくらいなら、王位なんかくれてやるもんか」
彼は茶の注がれた椀を侍女から受け取ると一気に飲み干し、笑みを収めてカルナと視線を合わせた。
「さっき言ったとおり、おれには弟が九十九人いる。しかも、全員母親は同じだ。ふつうありえないだろ? そんなこと。どういうことか、っていうとだな……」
ドゥルヨーダナはそこで一旦言葉を切り、部屋の入り口を横目で見た。ちょうど、片づけをしていた侍女の最後の一人が退出するところだった。足音が十分遠ざかるのを待ってから、彼は再び口を開いた。
「おれたちは、産まれたとき、ひとの姿をしていなかったんだ。大きな、手足も顔もない肉塊で、母上は最初、棄てようとしたらしい。でも、それがかけらに分かれて、いつの間にかふつうの赤ん坊に、百人の赤ん坊になった、らしい」
努めて軽い調子で語ろうとする彼の声の、微かな震えにカルナは気づいていた。
「それで……、おれが一番早く人間の形になったから、長男ってことになった。だけど、おれは、母上と父上が言ってたんだが、おれは……」
「殿下」
カルナは思わず声をあげて、彼の言葉を遮った。
「言いたくないのなら、言うのがつらいのであれば、無理をしてすべてを話してくださる必要はありません。それに」
ドゥルヨーダナは上目遣いでこちらを見つめる。彼は普段の彼には似つかわしくない様子で背を丸めていた。
「生まれは関係ないと、そう言ってくれたのは貴方です。貴方がそう言ってくれたから、俺は貴方と友情を交わすことを選びました。貴方がどんな過去を持っていようと、どんな人間であろうと、俺は貴方の味方です」
彼は俯いて、カルナの言葉を聞いていた。そしてそれが終わると、一拍おいてから不意に顎をそらし、黒い両目でカルナの顔を見据えた。
「本当だな?」
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