第5話

 翌日の夏季講習を宮古は欠席した。わたしは気にせず、宮古の分のプリントを確保して、コンビニでノートをコピーした。用事があったので公民館には寄らなかった。

 その次の日には宮古はちゃんと学校に来た。随分とつやつやとした表情をしているが、少し肌が荒れているようにも見えた。

「おとといお泊りいったんでしょ。どうだった」

「ひたすらひいちゃんと将棋指してた。おかしいよね、まるでわたしまで将棋がとても好きな人みたい」

 そこそこ将棋が好きな人どまりでいいのに、と宮古は嘆いた。

 実を言うと、あの夜二人で何をしていたかわたしは既に知っていた。ひいちゃんから聞いたのだ。

「地球対宇宙の将棋代表戦だからね。地球人代表として全力で叩きに行ったよ」

 ひいちゃんの戦略はしたたかだった。休日のママさんバレーで汗を流すひいちゃんと、日傘のお嬢様である宮古とでは基礎体力に歴然たる差がある。夜通し将棋を指し続けることで宮古の体力を消耗させ、眠気と疲労で思考を徹底的に曇らせるようというのだった。

「作戦は成功。分かってるのに間違えていくんだよ。将棋ってそういうものだからね」

 生クリームの乗ったプリンをスプーンでつつきながらひいちゃんが言う。夜の浅いうちはひいちゃんは防戦一方だったが、日付が変わる頃から徐々に形成を逆転し、ひいちゃんが言うところの「ぼこぼこ」にしてやったという。

「ミャーク、超能力があっても将棋で圧勝もできない、って悔しがってたよ」

 と、ひいちゃんはいたずらっぽく笑った。別れ際、将棋サークルの活動が盛んな大学を本格的に探してみようと思う、と話していた。

「昨日は何してたの。寝てたの?」

「うん、昼まで寝てた」

 そういって宮古は黒髪に手ぐしを通す。向こう側が透けて見える。まるでヴェールのようだ。

「髪切ったね」

 宮古の髪を指差して言った。全体的な長さは変わっていないが、少し重さが取られていて、毛先にも鋏が入ったのが分かる。

「すげえ、よく見てる。美容院行ったよ、昨日の午後。お母さんにどこ切ったのって言われたのに」

「分かるよ」

 白い日傘に黒髪。飽きずにずっと見てきたのだから。

「お褒めいただきありがとうございます」

 超感知能力が消え失せるということもなく、わたしの内心は宮古に筒抜けのようだった。

「本当はばっさりやるつもりで行ったんだけどね、美容院。夏だし、暑いし、鬱陶しいし」

「それでこの髪?」

「美容院のお姉さんが『失恋?』って言ってたから、ちょっと決意が揺らいで」

 美容師さんは直接言ったのではなく、心の中でそう思っただけなのだろう。それを聞いて怖気ついた宮古。わたしは、へたれ、と笑った。宮古はむっとした表情でわたしを指差し、

「へたれと言うなら、志保だってそうなんじゃない」

 と指摘した。痛いところをつかれた。わたしはカバンの中から筒状のケースを取り出す。その中に収まっているのは青のオーバルフレームだ。

「メガネデビューおめでとう。コンタクトはやっぱり怖かったね」

 自分の視力が下がっていることに気付いた翌日、わたしは学校帰りにメガネ屋によって、すぐさまメガネをあつらえた。最初は視力を検査してコンタクトレンズを作るつもりだったけれど、目の中にものを入れるのに若干の恐怖心があったのと、店員が「あなたにはメガネが似合うから」と熱心に勧められた結果、メガネを購入することになったのだった。

「いや、似合うよ本当に。委員長って感じ」

「できる女?」

「肝心なところでドジっ子っぽい」

 メガネをかけてみたいというので宮古に渡す。宮古は目をこらしながら、そんなに度強くないから景色変わらないね、と言った。

「今度、お母さんと旅行行くよ。種子島」

 メガネをかけたままわたしの顔をじっと見て言った。

「宇宙センターを見に?」

「宇宙センター見て、 安納芋食べて、温泉入って。志保も行かない?」

「温泉ならすぐそこにあるのにわざわざ。暢気な受験生だな。……いつ頃?」

「八月の下旬くらい。暢気ですよ。言っちゃなんだけど、志保の志望校ぐらいわたしなら余裕だからね」

 自信満々といった様子で薄い胸を張る。おや、と思う。その言葉はわたしにとって意外なものだった。

「宮古、大学行くの?」

「ああ、お母さんと相談したんだけど。星に帰るのと進路は別問題だからちゃんと決めなさいって言われて。仕方ないから、受けようかなあと」

 宮古はポケットの中から折りたたまれた進路調査票を取り出した。三つの空欄のうち、第一志望だけが空白のまま。第二志望と第三志望には、それぞれ東西の国立大学の名前が書いてあった。

「東大と京大……」

「法学部に行って、外交官になって、来るべき宇宙人との対話に備えるのだ」

「怒られるよ」

「またおいしいお菓子を食べるチャンスだね」

 性懲りもなく宮古は言う。そのうちリクエストでもしはじめるのではないかという勢いだ。

「どうして第一志望は空いたままなの」

「志保と同じ学校書こうと思って。進路変わってない?」

 わたしは、うん、と、小さく返事をして、それから、思い出したようにこくこく、と肯いた。

「え。どうしたの。なんか嘘ついてない?」

 わたしの内心を読んで宮古が怪訝な顔をする。嘘はついていない。志望校は変わっていない。

「そう。ならいいんだけど。出しに行くから一緒についてきてよ」

「職員室の前までね。一緒にいったらお説教食らっちゃう」

 そう言ってわたしは立ち上がった。次の講習は宮古とは別々の授業だ。教室を移動しなくてはならない。

「分かった。それじゃ昼休みに」

 よろしく、と腕を突き出す宮古に、わたしはひらひらと手を振った。

 廊下に出て、数歩歩いてから息を吐く。背中を汗が一筋伝うのを感じた。

 宮古はまったく厄介な力を持ったものだ。頑張れば内心を誤魔化すことはできるようだが、悟られないようにするには神経を遣うのだ。

 顔が赤くなっていやしないか。鼻の穴が膨らんでいやしないか。トイレに行って鏡を見てくるべきかもしれない。

「勉強に集中」

 わたしは自分の頬を両手で軽く叩いて次の教室へ向かう。この一時間が終わるまでは目の前の参考書とノートにだけ目を向けよう。

 お昼休みになったら職員室へ行って、帰りは公民館に寄る。汗をかいたし、たまには温泉に浸かりにいくのもいいかもしれない。

 作ったばかりのメガネを慣らしたくて、廊下の窓から空を見る。青と白だけがある空。まだ八月にもならないのに夏そのもの。受験勉強はここからが佳境だ。

 宇宙船よ、邪魔してくれるな。目をこらしても昼間の月すら見つけられない空に向かって、らしくもなく、わたしは小さく願う。

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真昼の星 @heynetsu

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