第3話
「かぐや姫になってしまったかもしれない」
高校で開かれる夏休みの夏季講習の帰り道、宮古は言った。
「あの、順を追って説明してくれない?」
「これだけじゃダメか、伝わらないか、オールドタイプだもんなあ」
宮古は白い日傘をくるくると回す。
「わたしは宇宙人じゃないですか」
「うん」
「志保、覚えてる? 宇宙人のわたしが地球にやってきたのは病気療養です、転地療法です、サナトリウムです」
「うん」
「じゃあわたしの病気って一体なんなの?」
「え」
言葉に詰まった。驚くべきことに、これまで考えたこともなかった。
「ずっと日傘を手放さず、今でも差してる。降り注ぐ紫外線に人よりも気をつかわないといけない環境が、果たしてわたしにとってよい環境か?」
わたしはその言葉をよく検討する。最上宮古が地球人であれば、転地で環境のいいところに越しても、日差しというものは変わらないのだから、当然日傘を差す。けれど、宇宙人なら、わざわざ日傘を差さないとならないような場所にどうして越してきたのか。
「母星がもうダメだとか」
「それはドラマだね」
いつかを彷彿とさせるようなことを宮古は言った。
「残念なことに健在らしいんだよね。まあ、そもそも惑星に住んでいるわけじゃないらしいんだけど」
詳しくは知らないの、と宮古は首をゆるゆると振る。
「太陽光線、重力、気温、気圧、湿度、空気の濃度、ついでにゴキブリも出る。わたしが地球に住むというのは、まあまあしんどいことだったんだね。そりゃあ、季節の変わり目に体調も崩すさ」
わたしは理屈が通らないと思った。病気療養のために転地して病気になる。本末転倒どころの騒ぎではない。
「サナトリウムって、それじゃあ、どういう意味なの」
説明がつかないではないか。宮古は宇宙生まれというだけで、その背景にあるであろうSF世界のことをまったくといいほど語らない。だから全容も掴めない。けれど、地球にこっそり密入国できるくらいの技術力があるならば、当然医学も地球の水準を超えているはずだ。
「ガンは完全に克服してるらしいよ」
宮古はわたしの質問に答えたのではなかった。話が噛み合っていない。
「身体については必要に駆られて医療技術を進歩させたんだけどね」
含みのある物言いだった。宮古の言わんとするところを、わたしは推測する。
「精神医学は比較的遅れている?」
比較的という言葉を選んだのは、たとえ遅れていても地球のそれにすら遅れをとっているとは到底思えなかったからだ。カウンセリングと精神薬ぐらいもっと質のいいものが自前で用意できるはずだ。
「あはは。確かに麻薬なんか馬鹿らしくなるような幸福な薬みたいなのもあるらしいんだけど、なんていうのかな、人類はたかだか千年二千年じゃたいして成長しないんだ」
「幸福、って……あれ?」
ここでようやく、宮古はわたしの考えを完全に読み切って会話していることに思い至った。すると、何も言わず宮古が大きく肯く。
「宮古、それどうしたの」
「なんか、急に、できるようになった。話している相手、コミュニケーションを成立させようと思っている相手なら、言葉より先に何を考えているか、結構はっきり分かる」
わたしはシャツの首元のボタンを一つあけ、端を持って風を送り込むように動かした。なにもこんな農業道路の真ん中でする話題でもなかったろうに。
「あはは。冷房のきいた快適な部屋ですると、なんか深刻な感じになりそうでさ」
暑いのでもう口を開くのも億劫になっていたし、宮古はこっちの考えを勝手に読んでくれるそうだから、宮古にだけ延々喋らせようと思った。
「やめて、本当やめて。わたしも暑い。死んじゃう。コンビニでかき氷買うよ。冷凍みかんの。だからもう手早く済ます」
それで暑さが和らぐわけでもないだろうけれど、宮古は発汗と日差しで少し乱れた黒髪を一度かきあげた。
「わたしの病気は、考えを読む力が弱かったことそのもの。宇宙に出た人類にとって当然備わっているべき超感覚的知覚の欠如。ガンダムって知ってる? ニュータイプってやつ。わたしは志保たちと同じオールドタイプだった。それがわたしの病」
宮古の勘は鋭い。そんなことはこの町のこどもなら誰だって知っている。でも、それで特別扱いしたわけじゃない。だって宮古の力は、本当に勘が鋭いという程度の、大したものではなかったのだから。
「ひいちゃんがさ、わたしのこと神がかりって言い出した頃から、やばいかなって思ってたんだよ」
当然だとわたしは思った。相手の考えをトレースするのではなく、まさに見透かされてしまうのでは神がかりとも言われるだろう。
「ああ、かぐや姫って、そういう」
病気の治療のために山奥へやってきた都会のお嬢様は、病気が治れば邸宅へ舞い戻る。都が月にあったかぐや姫は月に帰ることになった。
「まあ、そういうことだよね」
宮古が宇宙に帰るかもしれない。
「進路調査票、宇宙って書いたら、お説教ついでにまたなんか食べられるかな」
宮古はにこにこと笑っている。わたしにエスパーみたいな力はないけれど、虚勢を張っているぐらいなら分かってしまうのだった。
わたしは宮古とコンビニに行き、アイスとお茶を買った。溶けてしまう前に宮古の家まで全速力で走った。リビングは涼しく、たちまちかいた汗が冷えてシャツが背中に張り付いて妙な感じだった。アイスを食べ終えた後、二階にある宮古の部屋に上がって二人でそれぞれ目的なくだらだらと過ごした。宮古のお母さんは氷の入った麦茶を出してくれた。立て続けに冷たいものを摂り続けたからトイレに行きたくなったのだけれど、宮古も同じタイミングで立ち上がったものだから、じゃんけんで順番を決めることになった。チョキを出したわたしが負けて、宮古の部屋でもじもじしながら、そわそわしながら、宮古の帰りを待っていた。宮古が戻ってきたのですっくと立ち上がり、トイレへ向かった。部屋に戻って、退屈なので棚に並んでいた映画のDVDから気分に合うものを見繕って二人で観ることにした。ジェイソン・ステイサムはやっぱりかっこいい、アウディ対ベンツの場面はにやりとする、と喋りながら観ていると、わたしの母からメールが届いた。まだ学校にいるのかとの内容だったので、宮古の家にいるから晩ごはんの前には帰ると返信した。映画を観終えて、ちょうどいい頃合なので宮古のお母さんに挨拶してから家に帰った。晩ごはんはそうめんと天ぷらで、ナスの天ぷらを多めに食べた。お風呂に入って汗を流し、パジャマに着替えて、ベッドに寝転んだ。
考えるまでもなく、わたしにできることはなんにもなかった。
宇宙人が母星に帰るかもしれない。それをどうしようがあるというのだろう。
宇宙に進出した人類の超認知機能や宇宙船を相手どったゲリラ戦を取り扱った書籍は、あるにはある。ただそれらは例外なくサイエンスフィクションであるし、実際に応用して活かすことはできない。
宮古の超能力でできることとできないことを把握し、いざ迎えの船が降り立った時に交渉の切り札として使う、というのは少し考えた。が、わたしは詐欺師でもネゴシエーターでもないので、その場にいたとしても役に立ちそうもない。
いっそ、宮古の言っているのは全てでたらめ、狂言、妄想だと言えればよかったし、一番現実的な対応ではないかとも思った。しかし、十五年の積み重ねは重かった。いまさら疑う余地がわたしには残されていないのだった。
お母さんにはわたしから話をすると宮古は部屋で言っていた。
宮古の母は血の繋がった母ではないし、そもそも人間とも言えないのだという。生体ヒューマノイドだとかそういった類なのだと。小さい頃、確かに宮古がそんなことを言っていた覚えがある。
麦茶を出してくれた彼女のお母さんのかわいさは確かに人の理を越えているとも思えた。なにしろ、宮古と並ぶと宮古が姉に見える。
血縁もなければ人間でもないというその人を、それでも宮古はお母さんと呼んでいたし、喧嘩をして我が家に家出してきたことも一度や二度ではない。よく二人で旅行に行くのでその度にお土産をもらう。家族関係は良好だ。
宮古がお姫様ならお母さんは養育者であると同時に監視者なのだろうけれど、あの人が宮古の敵に回るとは思わなかった。きっと、どうにかしてくれる。
心配することではない、自分の出る幕はないと、宮古といる間ひたすら自分に言い聞かせ続けた。宮古はわたしの心の動きを動揺と受け取っただろうか。
仰向けのまま首だけを動かして、自室を見渡す。殺風景な部屋だ。ポスターやぬいぐるみ、インテリアの類はない。宮古との写真を写真立てに入れて飾るなんてこともしていない。
なのにどうして、わたしは宮古が宇宙に帰るかもしれないと言った時、心中をすればいいのでは、とぼんやりと思い浮かべてしまったのだろう。
宮古に対して恋愛感情があるかもしれないと考えたことはある。わたしがこだわる十五年という数字。人生の六分の五。百分率では、ええと、大体八十パーセントちょっと。思い返せる最初の記憶は宮古との出会いで、斜向かいに住んでいた彼女とはどこへ行くのも一緒。自分でもどうかと思うぐらい、宮古にべったりくっついている。
潮崎志保という女の子を客観的に見て、ああこの娘は最上宮古のことを性愛として好きかもしれない、と考えることは不思議ではないのだ。それでも。
「好きかもしれない、で無理心中はダメだって……」
自分の短絡ぶりに恥ずかしくなって、枕を持ち上げて顔を埋めるように押し付けた。
水の中で目をつぶり息を止め、泡の一つも浮き上がらないようじっとしている気分だった。これがもし宮古にばれていたら、すぐに立ち直る自信はなかった。
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