第27話 結ばれる
ふわふわと足が宙を歩んでいるようだ。足下が覚束なくて、藤木は自分を支えている腕に縋った。たくましい腕、国明の腕だ。わいわいと飲み騒ぐ声が遠ざかっていく。館の薄暗い廊下を過ぎ、国明に抱きかかえられたまま藤木は自分の部屋へ戻った。平仄は灯されておらず、明かりといえば板塀の間から射し込む庭の焚き火と松明の反射だけだ。
部屋へ入るか入らないかのうちに、藤木は国明に抱きすくめられた。首筋に国明の吐息がかかる。ぞくぞくと得体の知れない感覚が藤木の背筋を這いのぼってきた。
「くにあき…」
熱に浮かされたように藤木は男の名を呼んだ。首筋から耳に、頬に、国明の唇が触れる。
違う、もっと…
藤木は自分から薄く唇を開け、ねだるように国明の方へ顔を向けた。
「藤…」
国明が唇を合わせてきた。僅かに開いた隙間に舌を差し入れ、はじめから深く吸ってくる。
「…ん…ぅ…」
藤木は息を漏らした。激しい口づけだ。昨日とは比べ物にならない。明らかに情欲を滲ませた口づけだった。だが、不思議と恐怖はない。藤木は国明の背に手をまわしてしがみついた。ぐっと背骨が折れそうなほど力強く抱き返される。国明はいっそう深く唇を重ねてきた。
「…ふ……」
口づけの角度を変えるたびに吐息が漏れる。藤木は国明の舌に翻弄されて朦朧としてきた。腰のあたりに熱が集まり、一人で立っていられない。必死で国明にすがりつく。ふわっと体が浮いた。と思うまもなく、背中に固い感触があたった。目を開けると天井が見える。板張りの床に敷かれた畳の上に藤木は横たわっていた。国明が覆い被さってくる。暗闇を僅かに照らす炎の影を国明の真っ黒な瞳が映していた。
綺麗だな…
藤木は引き込まれるようにそれを見つめた。国明の瞳はいつも澄んでいる。様々な感情がその瞳に浮かんでも、時に怒りや哀しみだけでなく情欲が浮かんですら濁ることはなかった。今、この男は自分を欲している。全身で藤木を求めている。
僕を欲しがっている…
国明の目に燃えているのは情欲の火だ。国明は藤木を抱こうとしている。藤木とて健全な男子だ。人並みに欲もある。だが、初めてなのだ。しかも男同士の交わりだ。自然と体が竦んだ。
「…く…くにあき…」
戸惑いと恐れが声に滲んだ。無意識に体が逃げようとしてずり上がるのを、ぐいっと国明が胸の中に引き戻した。片手で藤木を抱き込み、もう片方の手で頬を包んだ国明はじっと藤木を見下ろしてくる。藤木は動けなかった。自分が小刻みに震えているのがわかる。小娘のようで嫌だと思ったが、どうにもならない。国明の体の下で身を固くしていると、ふっと国明の目が柔らかい色を浮かべた。藤木の額や髪、目元に唇が優しく降りてきた。国明は唇同士が触れ合う寸前まで顔を寄せてくる。
「おれのすべてをおぬしにやる」
熱っぽい囁きが唇に触れた。
「命もやろう。おぬしの望むものは何でも…」
ついばむように唇を吸われる。
「おれには藤だけだ」
吐息が熱い。
「藤しかいらぬ…」
たとえようもない歓喜が藤木の中にわき上がってきた。ここまで自分は求められているのか。他には何もいらないと、唯一は藤木なのだとこの男は言う。男でありながら同性に抱かれる戸惑いや恐れを、国明に求められる喜びが凌駕した。それと同時に全身がかぁっと熱くなる。下半身に甘い疼きがうまれた。
「国明…」
自分を見つめる黒い瞳に吸い込まれそうだ。藤木は国明の体に手を伸ばした。
「好きだよ…国明…」
唇を寄せながら藤木は囁くように告げた。
「君が好き…」
気がつけばいつも藤木は国明の腕に包まれていた。藤木にとって国明に抱かれることは自然なことなのだ。自分が他の誰かを、女を抱くことはもう想像すら出来ない。鍛え抜かれた刀のようなこの男を藤木は守りたいと思った。一族を率いる重圧と責任と、常に張り詰めているこの男の心を包む鞘となりたい。
「ずっと一緒だから…」
男の黒い瞳からひとしずくの涙が落ちた。静かに夜が二人を包み込んでいく。甘い吐息だけが部屋に満ちていった。
僕って…
藤木は固い木の枕を胸に抱きしめた。
淫乱だったんだ…
言葉にするとずーん、と音がするほどの衝撃が来た。藤木は全身、拭き清められ夜着に着替えて横になっている。
激しい情交だった。初めてだというのに乱れまくってしまった。ぐったりとなった藤木の世話を国明はどこか嬉しげにやいた。湯で全身をくまなく清められたまではよかったが、中を掻き出された時には本当に驚いた。抵抗しようにも全く力が入らない。やっとのことで拒絶の言葉を吐いたが、かえって国明にさとされてしまった。
『出しておかぬと腹が痛むぞ。』
そういうものなのか、と恥ずかしいのを我慢して大人しくしていたのに、国明は至極上機嫌でこう抜かしたのだ。
『おれが入れたものゆえおれが出すのが筋であろうな』
殴ってやろうかと思った。だが、もっと殴りたいのはその後の自分だ。事後で敏感になっていたとはいえ、掻き出される刺激に感じてしまうとは。当然、国明もそのことに気がついた。にっと口元を上げると、耳元に息を吹きかけるように囁いてきた。
『まだ足りぬようだな』
国明の手が伸びてきて不埒な動きをするにいたって、本気で怯えた藤木にまた男は囁いた。
『案ずるな、もう入れぬ』
入れなかったけど擦ったじゃないかっ。
再び散々喘がされ、せっかく拭いた体をまた二人のもので汚した。そして今にいたる。
バカバカ、僕のバカっ
藤木は羞恥でいたたまれなかった。う~っ、と藤木は唸ってまた枕を抱きしめた。
この世界に留まると決めたときから、いつかは国明と抱き合うことになると思っていた。藤木とて健康な男子で、人並みに性欲もあり、しかも惚れた男のために帰るのをやめたのだ。その国明と情をかわすのに不満や不都合があろうはずもない。ただ、あれほど快楽に溺れるとは思わなかった。
なんかもう、僕っていったい…
己の痴態を思い出し一人顔を赤らめているところへ、国明が戻ってきた。喘ぎすぎて声が掠れた藤木のために水を取りに行っていたのだ。
「藤、水だ」
上機嫌だ。藤木を抱き起こし、水の入った碗を口にあてがってくる。
「…自分で飲めるよ」
藤木が手を出すが、国明は碗をわたそうとしない。どうやっても自分の手から藤木に飲ませるつもりらしい。
「…君…嬉しそうだね…」
「そうか?」
恨めしげに見上げる藤木の口にまた碗をあてがってきた。しかたなく、藤木は国明に水を飲ませてもらう。飲み終わってほっと息をつくと、国明はまた優しく藤木の体を横たえた。そして自分もその隣に寝そべる。左腕で頭を支え、右手で藤木の髪を梳いた。
幸せそうな顔しちゃって。
いつもの仏頂面が今は弛んでいる。藤木はおかしくなってくすっと笑った。
「ん?どうした」
藤木をのぞき込んでくる仕草がなんとなく可愛い。あんなにいやらしいことを藤木にしてきた男とは思えないほど邪気のない目で見つめてくる。
僕は恥ずかしくって死にそうなのにっ。
少しムカついた。国明が髪に手を差し入れながらまた聞いてくる。
「なんだ?」
「ううん、なんだか君、すっごく手慣れてたなって思っただけだよ」
僕は初めてだったけどね、とむくれ顔をして見せると、途端に国明の顔がとろけた。
「そうか、初めてか、藤は」
「……そこで喜ぶかな…」
反応のしどころが違うだろう、と突っ込みたかったが、なにせ相手は鎌倉人、性に対して認識のずれは大きい。
つまり、男も女もいっぱい経験済みってことか。
これには真剣にむかついた。にやついている男の頬をぎゅっと抓む。
「もう他で遊んだらだめだからね」
この時代では無茶な要求だとわかっていたが、藤木は言った。だが、思いの外、国明は真剣な目になった。
「おぬし以外はいらぬと言ったぞ」
頬を抓んだ手を取られる。国明は藤木の指に口づけた。
「おれには藤だけだ」
それが真実なのだと、熱の籠もった吐息が告げる。
「藤…」
国明が顔を寄せてきた。藤木はぽぅっとその端正な顔を見つめる。
「藤…口吸いを…」
互いの吐息がからんだ。しっとりとした口付けだった。横たわったまま二人は抱きしめ合う。庭の方から飲み騒ぐ声が聞こえてきた。宴はまだまだ続いているようだ。国明は仰向けになると、藤木を胸に抱き込み腕枕をした。
「疲れたであろう」
開いたほうの手で藤木の体を優しくさする。
「ゆっくり休むといい…」
さする手に色めいたものはなく、感じられるのは慈しみだった。とろとろと瞼が降りてくる。満ち足りて藤木は眠りについた。
ふっと意識が浮上した。ちゅんちゅんと鳥の声が聞こえる。
もう朝…?
温もりが自分を包んでいる。藤木はそれに頬をすり寄せた。
気持ちいい…
大きな手が髪を撫でている。再び睡魔に襲われて、うとうとしはじめた藤木は、ハタと気づいた。
あれ…?
しぱしぱする目をあける。藤木は白い夜着を身につけた胸の中にいた。
「目が覚めたか?」
声に目をあげると、国明の黒い瞳とぶつかった。ひどく優しい光を宿している。国明は藤木を抱いて横になっていた。髪を梳いてくれていた手も国明だ。
「国明…」
藤木は国明の腕の中で身じろぎした。その途端、体の奥がずきん、と痛む。
「あたっ」
筋肉痛とも違う、経験したことのない痛みに藤木は呻いた。あたたた、と顔を顰めていると、国明が心配顔でのぞき込んできた。
「辛いか?その…すまぬ…」
「あたた…え?何で君が…」
そこまで言って、藤木は突如痛みの原因に思い至った。昨夜のことがまざまざと脳裏に蘇る。
「あ…」
ぼん、と耳まで赤くなった。国明が困ったようにまた言った。
「だから、すまぬ…と」
「わぁぁぁっ、言うなーーっ」
がばっと体を起こしたはずみに激痛が走った。
「っっっっっ」
四つんばいのまま藤木は固まる。
事後にこんなオプションがついていたなんて…
国明が申し訳なさそうに腰をさすってくれた。それすらも情けない。
「今日は弓も馬もやめておけ。その…響くであろうから…」
くっそーっ、誰のせいだと。
そろそろと力を抜いて座り直した藤木はぎっと国明を睨みあげた。だが、当の国明はとろけそうな顔で藤木を見ている。うっとりと国明が口づけてきた。柔らかく唇が重なる。触れるだけの口付けのあと、国明は親指で藤木の唇をなぞり微笑んだ。その顔を見ると、もう腰が痛いのもどうでもよくなってくる。国明はもう一度、軽く藤木の唇にふれると立ち上がった。
「朝餉の支度をさせよう」
白い夜着を着て立つ国明を後ろから射し込んだ朝陽が照らした。春の陽が端正な顔に柔らかな陰影をつける。国明は穏やかだった。凪いだ春の海のようだと藤木は思う。そして、国明にゆったりとした風情が生まれたのは間違いなく自分の影響なのだと思えた。嬉しかった。国明の側を選んでよかったと心底感じた。
「国明」
自然と藤木の口から言葉が零れた。
「好きだよ、国明」
「う…うむ…」
国明は狼狽えたようにもごもご返事をして部屋を出ていく。後ろから見える耳が真っ赤だった。幸せな気持ちで藤木は国明の後ろ姿を見送り、それから身支度を整えるために立ち上がろうとした。その途端、ずきん、と痛みが走る。呻きながら藤木はまた座り込んだ。
絶対インターバルおこう。エッチは週一だ、週一っ。
畳に座り込んだまま、藤木は固く決意する。海風が柔らかく藤木の頬を撫でていった。
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