第26話 ここで生きる

昼過ぎには戻りますからなぁ、と大騒ぎをして、忠興が使いに立ったのは朝食を終えすぐのことだった。馬の稽古はおあずけだ。夕べよく眠っていないせいか、藤木もなんとなく気が乗らず、畳の上でごろごろしている。気持ちのいい風が部屋の中まで潮の香りを運んできた。


ここで生きていく…


藤木は目を閉じる。気持ちは自分でも不思議なほど穏やかだった。


こうして生きていくのだ…


人々の立ち働く声が聞こえる。生きるために労働するたくましい人々だ。藤木は思う。神様として榎本家に縁があったというのなら、人々の心の支えになれるよう、神様として生き抜こうと。そしていつか、どんな時でも一人で立っていられるよう、生きる力を身につけたいと。ことり、と音がした。うっすらと目を開けると、国明が立っていた。


「眠いのか…?」

「ふふ…」


藤木は微笑む。


「国明、こんなとこにいていいの?」

「かまわぬ」


国明は藤木が横になっている畳の脇までくると腰を下ろした。わずかに逡巡したが、国明は藤木の手を握った。くすくすと藤木は横になったまま笑う。


「心配性だね、国明は」


国明はむすっとした顔で握る手に力を込めた。


「大丈夫だよ、国明」


藤木もしっかり握り返した。


「大丈夫」


心地よい風が流れてくる。


「しばしこのまま…」


国明が低い声で言った。


「うん…」


再び藤木は目を閉じる。国明の手の温もりに安心する。とろとろと藤木は眠りにおちていった。






藤木が眠りから引き戻されたのは、それから二刻ほど後だっだ。来客を告げる郎党の声に国明の気配が動く。衣擦れの音がして、国明が立ち上がったのがわかった。左手がすーすーする。今までずっと、国明が手を握っていてくれたらしい。目を擦りながら藤木は体を起こした。


「国明?」

「朝比奈の伯父上がおいでになられたそうだ」


国明が廊下から藤木へ振り向く。




「出迎えてまいる」


「あ、待って待って、僕も行く」




慌てて藤木は起きあがった。義秀にあうのは十日ぶりだ。

藤木はあの豪傑が好きだった。丁度、義秀の見立ての赤地錦で拵えた直衣を着ている。その礼も言いたかった。









庭にでてみると、大騒ぎだった。今回、義秀は十数人の供回りをつれていた。いつも数名の郎党を連れるだけで榎本へ駆けていたことを考えると、仰々しい数だ。義秀は国明と藤木の姿を認めると、大きく破願した。




「これは御渡り様、今日もまたお美しゅうござるなぁ」




それから、藤木が着ている直衣に気づくと、ますます上機嫌になる。




「おぉ、やはりわしの見立てに間違いないわ。ここに忠興がおらぬのが残念じゃ」




ライバルに自慢したい、というのがありありだった。国明が呆れたように肩を竦める。




「大人げのうござりましょう、伯父上」


「なんじゃ、国明、おったのか」


「おれのことは目に入っておられませなんだな」


「拗ねるな、可愛い甥御を忘れるわけがなかろう」


「呆れておるだけでござる」




二人のやりとりに藤木は吹き出した。忠興のときといい、本当に彼らは仲がいい。笑っている藤木に義秀が嬉しそうな顔を向けた。




「御渡り様、よい土産をお持ちいたしましたぞ」




指さす方を見やれば、立派な猪が丸太に吊されている。首に傷があり、血抜きされていた。




「すごい、大きいっ」




藤木は目を丸くして猪の側に寄った。和田の郎党達があわあわと平伏する。神様を間近に見るのは彼らにとってまだ畏れおおいのだ。だが、すっかり猪に気を取られた藤木は、郎党達を立たせてやるのもわすれて獲物に見入った。




「僕、こんなに近くで本物の猪見たの、はじめてだよ」




手を伸ばして毛を撫でてみる。




「結構固いんだ、猪の毛って。ブタ毛の歯ブラシってあるけど、猪もいけちゃうね」
「はぶらし…と仰せらるるは…?」




きょとんとする義秀に国明が笑った。




「伯父上、海神様の世界の話でござりましょう」




それを聞いた和田の郎党達はますます畏まる。だが、榎本の郎党達は心得たもので、口々に藤木に話しかけた。




「御渡り様、この大猪、丸焼きにいたしますぞ」


「毛を焼いてから詰め物をいたしまする。楽しみにしてくだされませよ」




わいわいと騒ぐ榎本の郎党達に義秀が目を剥いた。





「なんじゃ、わぬしら、不敬であろう。かように馴れ馴れしゅうするでないっ」




義秀の一喝に郎党達が縮み上がった。だが、藤木自身が取りなした。




「いいんだ、義秀。僕、みんなと色んなことするのが楽しいから、いつもは平伏したりしないよう頼んでいるんだよ」


「そういうことだ、伯父上」




国明もどこか楽しそうだ。義秀はむむっ、と唸ったが、それきり何も言わなかった。国明は郎党達に指示して、大きなたき火の準備にかからせた。秀次が側へ駆け寄ってきた。




「義秀様、支度にまだかかりましょうから、中で湯などあがられてはいかがでござりまするか」




国明も頷いた。




「そうだな。そうなされよ、伯父上」




それから、あちこち猪を突いている藤木に呼びかけた。




「藤、焼き上がるまで時間がかかる。館へはいってはどうか」




だが、藤木はもう猪料理の準備に夢中だった。




「えぇっ」




素っ頓狂な声で返事をする。




「嫌だよ。ここで見たいから、僕にかまわないで」


「………」




国明と秀次は顔を見合わせた。藤木の目が煌めいている。こんなとき、何を言っても無駄なのだ。義秀がまた嬉しそうな顔になった。




「御渡り様、お気に召されましたか。ならば庭に床几を並べさせましょう。義秀が猪を狩った話などお聞かせいたしましょうぞ」




それから側にいる榎本の郎党をつかまえて命じた。




「御渡り様に床几を持て。いや、天幕を張り座をしつらえよ。夕刻には焼き上がろう。宴の用意じゃ」




郎党は一礼すると、きびきびとした動作で駆け去った。すぐに数名の郎党達が座の用意を始める。義秀は国明の背をばしばし叩いて豪快に言い放った。




「国明、猪で飲もうぞ。今宵は宴じゃ」




上機嫌の義秀は、早速藤木の手をとって猪の側へいき、あれこれ説明を始める。国明は渋い顔でそれを見やったが、しかたなく宴の支度の指示を出しに館へ入っていった。苦笑しながら秀次がそれに続く。藤木が猪狩りの話を聞いているうちに盛大な焚き火がおこった。和田の郎党達が猪をそれに投げ込む。藤木は驚いて目を瞬かせた。




「毛を焼き切っておるのでござりますよ。」




義秀が言う。直火で焼き切らないと口触りが悪いのだ。榎本の下人達が野菜やおおびるをざるにいれて運んできた。竹の皮で包まれた米も運ばれた。毛を焼き切った猪をとりだし、腹を裂いて内臓を出す。藤木には珍しいことばかりだ。下人達は藤木の目の前で作業できることが嬉しいらしく、にこにこと機嫌良く立ち働いていた。内臓が全てとりだされると、野菜やおおびる、竹皮で包んだ米が中に詰められた。腹を縫い合わせていく手際に藤木は感心した。




「御渡り様には、猪は初めてでござりますか」


「食べたことないよ、こんなの、初めてみる」




頬を紅潮させて答える藤木に、義秀はひげ面を扱いて相好を崩した。




「美味にござりますぞ。腹に詰めた米がまた格別でござります。おおびるをたんと入れましたゆえ、楽しみにしてくだされませよ」




郎党達が焚き火の上に丸太を組んでいる。今度は吊して焼くのだそうだ。
座が設えられるまで、藤木は床几に腰をかけて義秀の話を聞いた。狩りのこと、弓矢のこと、山の獣のこと、山の民のこと、興味はつきない。宴の支度が整い、後は猪が焼き上がるのを待つばかりとなった頃、忠興が帰ってきた。




「なんじゃあ、何事じゃあ」




大音声で呼ばわりながら庭に入ってくる忠興に、義秀が答える。




「この義秀が御渡り様の御無聊をお慰め申しあげておるのよ」




これみよがしに義秀は藤木の肩を抱く。忠興がむぉっと唸った。




「こりゃ、義秀殿、無礼がすぎよう」


「なんの、御渡り様のお許しあればこそよ」


「義秀めが、戯れ言を申すわっ」


「えぇい、わぬしが何を言うっ」




強面の武者二人に挟まれた藤木は、思わずわ~っと悲鳴を上げる。




「いい加減になされよ」




そこへ国明の声が割って入った。




「伯父上、御渡り様は昼にも少し召し上がられまする」




国明は藤木の手を取って引き寄せた。




「伯父上は忠興叔父とここで飲みながらお待ち下され。ただいま、酒を運ばせましょうほどに」




仏頂面のままそう言うと、国明は藤木を館に引っ張っていった。義秀と忠興はぽかん、とその後ろ姿を見送っている。郎党が酒の瓢と杯を二人の前に運んできた。藤木が振り向くと、二人はまた、何か言い合いをはじめながら早速酒を飲み始めていた。


国明はずんずんと藤木を引っ張り、部屋へ入る。藤木の部屋にはすでに昼の膳が用意されていた。




「別にあそこで食べてもよかったのに」




不満そうに藤木が言うと、国明はますますむっつりとなった。




「焼き上がるまでにまだ二刻ほどかかる」


「だから、外で待っていたかったんだってば」




むっとして藤木が言い返すと、国明はぷいっとそっぽを向いた。




「…おれは藤と二人でいたい。」




ぼそり、と国明が漏らす。




「え…?」




思わず藤木は国明の顔を見つめた。




もしかして、やきもち…?




かか~っ、と顔に血が上った。赤くなった顔をごまかすように、藤木は昼の膳に向かう。




「ばっバカだね、国明」


「…悪いか」




赤くなったまま、藤木は黙々と昼餉を食べる。国明も耳まで赤くして、黙って藤木の側に座っていた。





日が西に傾く頃、肉の焼けるいい匂いが庭に満ちた。和田と榎本の郎党達全員、焚き火の周りに陣取り、下人下女達も肉のおこぼれに与るべく集まっていた。義秀が今夜は無礼講で騒ぐと宣言したとおり、皆に酒が振る舞われている。


天幕を張った座の中央には赤地錦の直衣姿で藤木が座っていた。その隣には国明が座し、義秀と忠興がその横に陣取った。昼過ぎから飲み始めた義秀と忠興はすっかり出来上がっている。

藤木の横ではなく国明の隣なのが不満で義秀はぶぅぶぅ文句をたれていた。だが、国明は藤木の隣を譲る気はなく、義秀の文句にかえって体をぴったり藤木に寄せ、抱き込む始末だ。藤木といえば、こういう騒ぎは毎度のことなので気にもとめない。藤木の関心はもっぱら焼き上がりつつある猪に向けられていた。目の前には様々な食材で膳もしつらえてあるのだが、猪が楽しみなので食べるのを我慢している。国明等三人はひたすら酒を呷っていた。


焚き火には大量の熾きができて、周囲を赤く照らしている。寒い季節ならまだしも、四月の下旬では汗ばむほどの熱気だった。熾き火と西日で猪が赤く染まっている。時折、肉から落ちる油がじゅっと音をたてて火の中に落ちた。


「ささ、御渡り様も一献、いかがでござりますかな」


義秀が身を乗り出して、藤木に酒を勧めてきた。


「伯父上、御渡り様は酒が苦手だ」


国明が藤木の代わりに杯を受け取り飲み干すと、義秀に返杯する。


「むむぅ、国明、ぬしゃさっきから御渡り様を独り占めしおって」


注がれた酒をぐっと空けて義秀が唸った。忠興もその横から顔を突き出す。


「わしなぞ、朝から使いにたって働いたというに、ろくに御渡り様と話もさせてもらえんっ」

「忠興はいつも僕と話してるじゃない」


藤木がくすくす笑った。


「それに、明日こそ弓の的を遠くに置いて稽古させてくれるんでしょう?」

「おぉ、おぉ、そうでござります。明日は楽しみにしてくだされよ」


忠興の機嫌が一挙に上向く。そこへ義秀が鼻息も荒く吠えた。


「なんと、なればこの義秀めも加わらずばなるまいよ」

「そこもとには関わりあるまいに」

「ふん、忠興の肝の小さいわ」


互いに酒を注ぎ交わしつつまた言い合いをはじめる。藤木はにこにこそれを眺めた。


「ほんとに仲がいいね、二人とも」

「まったくだ」


国明も微笑む。夕焼けに照らされて国明の顔は穏やかだった。そのうちに猪が焼け、秀次が指揮をとって下人達が肉を切り分けはじめた。秀次は大忙しだ。昼過ぎから郎党達や下人達の采配をひとりでとって立ち働いている。その秀次が、藤木や国明達の前に切り分けた肉と竹皮で包んだ飯を運んできた。火の側で作業をしていたせいか、秀次は額に汗をかいていた。


「ありがとう、秀次。もう君もここで食べたら?大変だったでしょう?」


藤木のねぎらいに秀次は嬉しそうな顔をした。


「ありがたきお言葉。なんの、それがし、こうして立ち働くことが楽しゅうござります」

「獣料理の采配は家中随一だからな、与三郎は」


国明にも誉められ、秀次は照れくさそうにまた笑う。ほかほかと湯気をあげる竹の皮包みを秀次は藤木の前で開いた。ほっこりと良い香りがした。猪の肉汁がたっぷりと染みこんだ飯だ。


「美味でござりますよ、御渡り様。」


そういいつつ秀次は、竹の皮ごと陶皿にのせ、藤木に差し出す。藤木は飯をほぐして一口たべた。


「…ほんと、おいしい…」


藤木は目を見張った。本当に美味しかった。野菜やおおびるが猪の臭みを上手い具合に消している。竹のいい香りもする。いつもならば噛みにくい玄米も、猪の肉汁と油のおかげでかえって食べやすい。腹も減っていた。藤木は一心に食べ始めた。


「汁をご用意いたしまする」


一礼すると秀次は下がった。結局、あっという間に藤木は竹の皮に包まれた飯をぺろりと食べてしまった。国明が肉と塩の皿を引き寄せてくれた。肉は藤木が食べやすいように、かなり小さく切り分けられている。箸で肉を摘むと塩をつけて口に入れた。


……固いっ


流石に野生の獣肉は歯ごたえがある。柔らかい牛肉や豚肉に慣れた藤木は、目を白黒させた。この世界での食事が歯ごたえ満点なのだとわかっていても、実際に口にすると改めて驚くことが多い。だが、これからはそういう生活が日常となるのだ。藤木は口の中の肉を噛みしめた。じゅっと汁が溢れる。


美味しい…


噛めば噛むほど、肉の味がじわりと口の中に広がる。これもまた美味かった。


「おいしいよ、これも」


そう言って藤木は肉も飯もおかわりをした。茹でた野菜と肉を食べる藤木の様を義秀と忠興が上機嫌で見ている。


「たんと召し上がられませよ、御渡り様。まだまだ肉も飯もたくさんござりますぞ。」


義秀も肉を口に放り込みつつ瓢をかかげてみせた。忠興も酔いで赤くなった顔をさすりながらにこにこしている。いつのまにか陽は落ち、西の空は真っ赤に染まっていた。熾き火に薪が足され、赤々と燃え上がる。あちこちに松明も焚かれた。パチパチと火がはぜている。藤木の腹はだいぶくちくなってきたが、美味いので肉に箸を伸ばしていた。


「藤」


国明が酒を杯に注いだ。神様専用なのか、朱塗りに金銀蒔絵を施した見事な杯だ。それを藤木に差し出した。


「少し飲んでみるか?悪酔いすることもなかろう」


義秀と忠興も目を輝かせた。


「そりゃあ、試してみられませよ。酒で口をすすぐと、また肉が美味に思えまする」

「おぉ、そうじゃそうじゃ、たまには義秀殿もまともなことを言われる」

「たまにがよけいじゃ、口の減らぬ御仁よ」


二人とも、藤木と一緒に酒を酌み交わせるのが嬉しいらしい。


「…う~ん、そうだね」


ここまで期待されると断るのが申し訳なくなってくる。それに好奇心もあった。前回、悪酔いしたときは空き腹だったが、今回はたっぷり食べてもいる。


「じゃあ、試してみようかな。」


受け取った杯には白く濁った酒が揺れている。ぺろり、と舐めて、それからくっと一飲みにする。喉の奥がかぁっと熱かった。だが、脂っこい猪肉を食べた後のせいか、なんとなく美味く感じる。


「よきかな、よきかな」


義秀が白い素焼きの徳利をかかげた。藤木の杯をまた満たす。藤木はまたくいっと杯をあけた。それから、肉を食べる。義秀が言ったとおり、酒の後の獣肉はまた旨かった。


「今度はそれがしが」


いそいそと忠興も酌をしに手前にいざりよる。忠興の注いだ酒も藤木は空けた。なんだか気分が良かった。薄闇が辺りを包み始めた。西の空の縁はいまだ朱にそまっていたが、中天は暗い藍色に変わっている。焚き火がはぜた。海から吹く風がほてった頬に心地よい。交互に酒と肉を口に運びながら、藤木は焚き火の炎を見つめた。赤々と火に照らされ、郎党達が騒いでいる。不思議な高揚感を藤木は感じた。


これからはここにいる人々とともにあるのだ。


今更ながら実感がわく。この人達と同じ物を食し、同じ物を着る。同じ時代を生きる。柔らかい肉も冷蔵庫もないけれど、榎本の人々と一緒にいられるのならばそれでいいと藤木は思う。藤木はちら、と国明を伺い見た。相変わらず藤木を抱き込むように座して酒を飲んでいる。焚き火の炎が国明の横顔をより精悍に浮かび上がらせていた。藤木はじっと見つめる。


あぁ、この男が好きだ…


ふいに熱いものが胸にこみ上げた。


好きだ…


炎が揺れ、国明の横顔の影も揺れた。ぽすん、と藤木は国明の胸にもたれる。


「藤?」


国明が上からのぞき込んできた。


「酔ったのか?藤」


黒曜石の瞳、愛しい眼差し…


「ううん…」


直垂の固い布地の感触と、その奥から伝わってくる温もりに藤木は酩酊した。


「ううん、酔ってないよ…」


国明の胸にもたれたまま、藤木は飲み騒ぐ人々を眺めた。国明の右手が前に回り、藤木の体を抱く。


「酔ったのだな…」


こめかみに唇を寄せ、国明は囁いた。吐息が耳に熱い。ずくり、と藤木の体の奥に疼きが生まれた。国明の大きな手が、さするように藤木の体を這う。疼きは熱にたやすく変わった。ふっ、と小さく藤木は息を漏らす。体が熱い。国明の触れるところから、全身に甘い痺れが走る。


「…くにあき…」


吐息混じりに藤木は国明を呼んだ。国明の目がすっと細められる。


「義秀伯父、忠興叔父」


国明は藤木を見つめたまま、隣に座る二人に言った。


「御渡り様は酔われたそうだ。部屋へお連れするが、伯父上方はゆっくり楽しまれてくだされい」


そして国明は藤木を抱えるように座を立った。その様子を義秀は真面目な表情でじっと眺めていたが、にっと破願する。退出に文句をつけようとする忠興を手で制して、大声で呼ばわった。


「そうじゃなぁ、御渡り様、ゆっくり休んで下されい。今宵は無礼講ゆえ、しばらくは郎党、下人どもまで館の外で騒ぎまする。用向きはこの榎本当主をこき使われるがよろしゅうござりましょう」


それから、飲み騒いでいる郎党、下人達に言い放った。


「榎本に蓄えてある酒をすべて出せ。飲み尽くそうぞ。何、案ずるな。飲んだ酒の倍、この義秀が届けさせよう。遠慮はいらぬぞ。たんと飲め」


おおーっ、と歓声が焚き火の周りから起こった。早速下人達が何人か蔵へ走る。


「おおいに楽しむべし、のぅ、忠興殿」


あ~、う~、と唸る忠興の背を豪快にはたくと、また並々と酒を注いで飲み干した。


「楽しむべし」


焚き火が音をたててはぜた。すでに国明と藤木は館に入って姿がない。とっぷりと暮れた空に、一番星が瞬いていた。



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