第21話 母
「ごめん…」
藤木はきまり悪げに言った。泣きじゃくっている間中、国明が優しく抱きしめてくれていた。藤木の名前を呼び、背中をさすってくれた。一泣きして落ち着いてみると、結構恥ずかしい。俯いたまま藤木はもう一度言った。
「ごめん」
「母君が…」
ぽつっと国明の声が落ちる。
「藤の母君がおられたのか…?」
え?と藤木が顔をあげると、国明の瞳とぶつかった。ひどく寂しげな色を湛えている。
「…国明…」
「母君は…泣いておられたのか…」
つっと国明は、面を伏せた。一瞬、辛そうな表情が浮かぶ。だが、国明はそのまま立ち上がった。
「菓子を運ばせよう」
藤木に背を向けたままそう言い、部屋を出ようとする。
「国明っ。」
藤木は思わず呼び止めた。国明が立ち止まる。
「あっあの…えっと…その…」
国明が藤木のほうへ顔を向けた。微かに笑みを佩く。無理をしなくていい、そう言っているような笑みだ。悲しげな微笑だ。それを見た途端、藤木の中の何かが溶けた。
「あの…さ、一緒に食べようよ…その…お菓子…」
国明の黒い目がわずかに見開かれた。藤木は慌てた。ガキじゃあるまいし、仲直りするにしても、一緒にお菓子を食べよう、はないだろう。真っ赤になってあわあわしていると、国明が頷いた。
「秀次に運ばせよう」
そして国明は部屋を出て行った。
がらがらと音を立てて板戸が開けられる。陽が射しこみ明るくなった藤木の部屋にひょいと顔を覗かせたのは秀次だった。
「御渡り様」
「秀次」
藤木が嬉しそうに笑うと、秀次があからさまに安堵の表情を浮かべた。それから辺りを見回し、急いで藤木の側に寄ってくる。
「御渡り様、その、お加減はいかがでござりまするか」
声を潜めてそんなことを言う。ここ三日の軟禁状態のことを言っているのだが、秀次もなんと形容していいのかわからなかったのだろう。
「お加減ね」
藤木は肩を竦めた。
「いいわけないよ、暗いし退屈だし、君のご主人が張り付いてるし」
「そっそれは某も御諌め申したのでござりまするが…」
秀次は恐縮して身を縮めた。
「で、部屋が明るくなったのはいいんだけど、僕、外に出ていいわけ?」
「あ…いやっそのっ、まっまだ外はあっ安心できぬとの殿の仰せで…」
「ふーん」
藤木が横目で秀次をみると、ますます身を縮めた。
「ま、いいや。明るくなっただけでもね」
「おっ御渡り様…」
秀次はしゅん、と項垂れた。
「殿をお許しくだされませ。殿は恐れておいでなのです。あの…殿も…その…」
「見たんでしょう?国明も…」
藤木は穏やかに言った。ぎょっと秀次は顔をあげ、それからまた俯く。ここ三日、国明の態度にカッカと腹を立ててはいたが、反面、そこまで頑なな態度をとり始めた理由にも気づいていた。あの時、佐見の病室に戻った時の藤木を国明は見たのだ。砂浜で藤木が時空を超えるのを見た秀次が、体が透けたといっていた。国明も藤木の体が透けていくのを見て恐怖したのだろう。だから藤木を閉じ込めようとした。流石にそのくらいは藤木も察することができた。秀次はますます項垂れる。
「お許しくだされませ…」
「…うん、いいよ…」
悲しいような、切ないような気持ちが押し寄せてくる。
「いいよ…」
切なくて泣きたくなる。秀次が消え入りそうに呟いた。
「御渡り様…我らを…殿を置いてゆかれますな…」
全身を裂かれるような痛みが走った。ハッと藤木は秀次を見る。秀次は項垂れたままだ。ぎゅっと眉根を寄せ、礼を深くすると退出していった。藤木はその場を動けなかった。かける言葉もなかった。
秀次を、忠興を、皆を置いていく…そして国明を…
「だって僕は…」
呆けたように藤木は呟く。
「うちへ帰るんだから…」
胸が苦しい。
「帰るんだ…」
久しぶりに板戸を全開にした部屋には、春の陽射しが満ちている。藤木は俯いてポケットの中のスマホを握った。藤木を現代に繋いでいる唯一の人工物だ。滑らかな感触を指でたどる。
「藤」
突然声をかけられ、藤木は顔を上げた。国明が黒塗りの四方盆を片手に立っている。藤木の様子に一瞬、戸惑った顔をしたが、そのまますたすたと部屋に入ってきた。藤木の横にどすんとすわり、盆を置く。鎌倉土産の菓子と干し柿が載せられていた。
「国明…」
藤木はぼんやりと国明を見上げた。国明はどこか居心地悪げに視線をそらす。
「その…相伴にあずかるがよいか。」
よいか、とたずねておきながら、藤木が答える前に細く切った干し柿を口に放り込む。そして難しい顔をしたまま飲み下した。それから指で干し柿を摘むと藤木の口元に突き出す。
「甘いぞ」
相変わらず眉間には皺が寄ったままだ。だが、それが照れ隠しなのだということはよくわかっている。
「国明…」
じわっ、と温かいものが湧き上がってきた。千々に乱れた心が落ち着いてくる。何故、この男の側はこんなにも安らげるのか、藤木は国明の差し出した干し柿を手にとり、口に入れた。
「うん…甘い」
国明が微かに笑った。盆の上の炒った豆を摘む。国明は何も言わなかった。そよ、と暖かい風が吹き込んでくる。穏やかな空、穏やかな春の陽射し、甘い小さな菓子、二人だけの穏やかな時間。藤木もまた、小さな菓子を口に運びながら、ただ黙って外を眺めていた。
下弦の月がかかっている。藤木は板張りの廊下に座っていた。湯浴みも終わり、部屋の中にはすでに夜具の支度がしてある。
今日の国明は、どういう風のふきまわしか、日中から日暮れまで、板戸を開け放すのを許していた。相変わらず藤木を部屋の外に出すことには首を縦に振らなかったが、それでも藤木にとっては嬉しいことだった。薄暗い部屋に辟易していたのだ。
まぁ、国明もいい加減、うんざりしたのかもしれないな。
藤木はここ三日の国明を思い返した。どこへも行かず、薄暗い藤木の部屋でひたすら執務に励んでいた。そしてやることがなくなると腕組みして瞑目する。藤木にしてみれば、よく三日もあんな退屈な生活が出来たものだと思う。
僕は強制的にやらされたけどね。
それを思うとムカッとくる。が、同時に心も痛むのだ。
『我らを…殿をおいてゆかれますな…』
秀次の声が耳から離れない。国明の想いが藤木の胸を切り裂く。
『りょうすけ…?』
泣いている母親の顔が浮かんだ。あの時、母は確かに藤木を探した。健太や裕子がぽかんとしていたということは、藤木の姿が見えたわけではないのだろう。だが、確かに母は藤木を呼んだ。
『涼介の声が…』
母はそう言って藤木の立っている方へ手を伸ばした。藤木の存在を感じ取って名前を呼んだ。
母さんはわかってくれたんだ、僕がいるって…
藤木の中にぽっと希望の灯がともる。藤木は確実に現代へ近くなっているのだ。
母さん…
「藤」
呼びかけられてどきんとした。
「国明…」
「白湯だ」
国明は藤木の横にどかりと腰をおろすと、白湯の入った碗をつきだした。藤木はふっとため息をこぼす。
「いきなり声かけないでくれる?毎回毎回、心臓に悪いよ」
「しんぞう?」
「……あ、いい、気にしないで…」
藤木は国明の手から碗を受け取って口に運んだ。湯上がりの体に水気はありがたい。
あ~、炭酸飲みたい…
それでも、現代っ子の喉は冷蔵庫から取り出す様々な味の飲み物を恋しがった。時折無性に炭酸が飲みたくなる。
もう、贅沢いわない、氷水、冷たい氷、味しなくていいから氷水…
冷蔵庫を開けただけで手にはいる冷たいゼリーやヨーグルト、冷凍庫のアイスクリーム、ましてや氷の存在など、当たり前だった。実はそういう生活がいかに贅沢なものだったのか、この時代にいると身をもって思い知らされる。藤木はどんよりした気分で白湯をのみほした。
「ありがと」
礼を言って国明に碗を返す。国明は碗を受け取り、だが、立ち上がる気配はない。じっと碗に目を落としたまま黙りこくっている。
「国明?」
「母上は…」
唐突に国明はぽつりと言った。
「母上は贅沢を言わぬ方であったが、ただ一つだけ、唐渡りの茶碗を大事になされていた…」
何の話をはじめたのかと、藤木は目を瞬かせる。国明は目を伏せたままぽつぽつと語りはじめた。
「薄青い色の、美しい茶碗だった。時折母上は、その茶碗で白湯を飲まれた。父上が茶を点てて飲めばよいと言われても、白湯のほうが茶碗が美しく見えると…母上なりに身を慎まれていたのだな」
国明はふっと寂しげな笑みをはくと夜空に目をやった。細い三日月が青白い光を投げかけている。星々が銀色に瞬いていた。藤木はじっと話を聞いた。
「おれはその茶碗にさわってみたくてたまらなかった…おれは八つだったか、当然、高価な茶碗に触れることは許されていない。だが、結構な悪戯者だったおれは、ある日、その茶碗を持ち出すことに成功した」
藤木は国明を見つめる。国明は空を仰いだままだ。
「すぐ返すつもりだったのだ。ただ、その茶碗で遊んでみたかった。色々な物を入れてみた。水、葉っぱ、貝殻…綺麗な茶碗だった。陽にかざすと、不思議な模様が透けて見えて、そしておれは、いつのまにか茶碗の縁を欠いてしまっていた」
このくらい、と国明は手にした茶碗の縁を指でなぞる。
「おれは怖くなった。家宝にも等しい、唐渡りの珍しい茶碗だ。父上に知られたらどんなお叱りを受けるか、母上もさぞや落胆なされる。おれは館を逃げ出した」
「逃げたんだ、国明」
藤木はくすっと笑った。いつも自信に満ちて強気なこの男が、と思うと可笑しかった。国明がわずかに肩を竦める。
「八つだったからな」
「うん」
クスクス笑いを収めて国明を見ると、国明は微かなほほえみを浮かべ、手に持った茶碗の縁を撫でていた。愛おしげなその仕草に藤木の心がざわめく。
「逃げ出すといっても、行く当てがあるわけではない。おれは海神様の祠に潜り込んだ。浜辺にある、あれだ。祠の神棚の裏に隠れてじっとしていた」
国明はいつしか顔を上げ、庭の先を見つめていた。浜辺の先の祠を見晴るかすような目は遠い日の自分に向けているのだろうか。
「だんだん日も陰り、腹も減ってきた。だが、おれは怖くて出ていけなかった。おれを探す郎党や叔父上や、年の離れたいとこ達の声が聞こえたが、おれはじっと隠れていた。心細かった。そのうち、日が暮れてあたりは真っ暗になった。波の音だけがやたら耳について、今度はそれが恐ろしくなった」
「海の音が?」
藤木が怪訝そうに首を捻る。国明は苦笑した。
「海神様がおれを怒っておられるように聞こえたんだ。」
藤木はぽかんと国明を見つめた。国明はきまり悪げに言う。
「まだ八つだ、しかたあるまい」
「…国明って…」
吹き出しそうになるのを藤木は堪える。ここで笑ってはちょっと気の毒だ。国明は話し続けた。
「波の音が海神様の怒る声に聞こえて、おれはもうどうしていいかわからなかった。真っ暗で、恐ろしくて、そうして震えていると、いきなり祠の扉が開いたのだ。おれは飛び上がった。海神様がおれを捕まえに来たのだと思った。悲鳴を上げて逃げようとしたが足が動かぬ。竦み上がっていたのだな。海神様は足音荒く神棚のところまでやってきた。おれは頭を抱えて床に蹲った。悪いことをした子供は取って食われるのだ、そう聞かされていたから、もうだめだと思った。海神様はおれの襟首を掴んで持ち上げた」
国明はその時の感触を思い出したのか、首の後ろに手をやってさすった。無意識なのだろう。藤木はじっと耳を傾けた。
「たわけ、と怒鳴られてはじめて、それが父上だとわかった。父上はかんかんに怒っておられた。海神様に食われる心配はなくなったが、今度は父上だ。この様子だと茶碗のこともばれている。おれは観念した。だからと言って恐怖がなくなったわけではない。どんなにひどく叱られるのだろうと…」
国明はふっと辛そうに口元をゆがめた。
「父上に引きずられておれは館へ帰った。叱責を覚悟して、それでも恐ろしくて、忠興叔父や郎党達が何か騒ぎ立てていたが目にはいらないほどおれは緊張していた。庭先から動けなくなって、いや、笑うな、本当なのだ」
上目遣いで藤木が信じられない、というふうに笑うと、国明はまた困ったように肩を竦めた。
「父上は戦場で鬼と異名をとられた方だ。父上の怒りは子供心には心底恐ろしかった。その上、普段なれば優しい母上までお怒りかと思うと、おれは竦み上がって動けなくなったのだ。その時、館の奥から母上が飛び出してこられた。母上は…」
国明は再び遠くを見つめた。その目は優しく、また哀しみの色をはいている。
「飛び出してこられた母上は、素足のまま庭に降りられ…泣いておられた…泣きながらおれを抱きしめた。泣きながら、おれが無事でよかったと、心配したと…おれは初めて己のしでかしたことに気づいた。悪いことをしたのだ、ひどく母上や皆に心配をかけたとやっとわかった。涙が出た。気づいたらわぁわぁ泣きながら母上に謝っていた。母上の大事になされていた茶碗を欠かしてしまった、叱責されるのが恐ろしくて隠れていた、そうおれは泣きながら許しを乞うた。母上は泣いているおれを抱きしめたまま、茶碗をもってこさせた…」
国明はふっと息をついた。切ない吐息に藤木はどきっとする。
「おれはもうどんな罰でも受けようと思っていた。おれの浅はかさが母上を泣かせてしまったのだから。母上の大事なものを壊してしまったのだから…」
国明はじっと空を仰ぎ見たまま呟いた。
「おれは罰を受けねばならぬのだ」
「国明…」
藤木は思わず隣に座る男に手を重ねた。国明がゆっくりと藤木を見る。それからひどく優しい笑みを浮かべた。
「だがな、母上は茶碗をとりあげると、地面にたたきつけて割ったのだ」
「えっ、割ったのっ?」
藤木は声を上げた。国明は頷く。
「そうだ、粉々に茶碗は砕けた」
「えええーっ、もったいないっ」
悲鳴を上げた藤木に国明は肩を揺らした。
「父上も藤木と同じ事を叫ばれたな」
「だって、だって、唐渡りの高級品でしょ、なにも割らなくったってっ」
国明はくっくっと声を上げて笑った。
「そう仰せられたよ、父上も」
愉快そうに笑う国明が癪にさわって藤木はむくれた。その藤木の手を今度は国明が宥めるようにぽんぽんと叩く。
「とんできた父上は粉々になった茶碗を見て肩を落とされた。それはそうだ、家宝とも言うべき茶碗だったからな。なにも割らずともよいのに、ここまで粉々にせずともよいのに、そう父上は嘆かれた。その途端、母上が…」
国明はまたふっと笑った。嬉しそうな、無邪気な笑みだ。
「母上は泣き濡れたまま、父上を睨み据えられたよ、かような茶碗一つ、国明に比べていかほどのものであろう、いや、くらべることすら出来ぬ、こんなもののために国明が大変なことになったのだ、今回は無事だったからよいものを、榎本国忠ともあろう者が未練がましいことを言われるな、そうきっぱりと仰せられた。母上にきつく諫められて父上は慌てて言い訳をしていたな。あんなにおろおろとなされた父上を見たのは初めてだ」
おろおろって、鬼とよばれた男をおろおろさせたのか、国明の母上様って…
藤木は呆気にとられていた。今まで抱いていた国明の母親のイメージは、はかなげな女性だったのだ。
だって、一人しか子供産めなかったとか、早死にしたとかいうから…
藤木の内心ぐるぐるしているのがわかったのか、国明は苦笑した。
「母上はお体こそ弱かったが気性のきっぱりしたお方だったからな。父上はまったく頭があがらなかったのだ」
かかぁ天下だったんだ、国明のとこって…
こいつ、どっちに似たんだ、と藤木は国明をマジマジと見た。頑固で強気な気性は案外母親似なのかもしれない。
「それだけ父上は母上のことが大事であったのだな。今ならが父上のお気持ちがよくわかる」
「…え?」
ひた、と見つめ返され、藤木の心臓がどきっと跳ねた。だが、すぐに国明は視線を庭にうつし、話続けた。
「茶碗を砕いたあと、母上はおれをまた抱きしめて泣かれた。榎本の家宝は国明だと泣かれた。母上は…」
何かに耐えるように国明は唇を引き結んだ。しばらくそうしていたが、ふと、力を抜くと藤木を見た。
「母上とはありがたいものだな…」
国明の顔が辛そうに歪む。
「藤の母君も…藤を…」
藤木はハッと国明を見上げた。国明は苦しげな目で藤木を見つめる。
「おぬしも母君に…母君のもとへ…」
「…あ…」
言いしれぬ切なさが藤木の胸に溢れた。母親への思慕に涙が滲んでくる。俯いた藤木の目元を国明の指がそっと拭った。
「藤…」
「…ずるいな…」
藤木は顔をあげないまま小さく言った。
「国明はずるいよ…」
頬に当たる国明の手が温かい。この温もりに何もかも許してしまいそうになる。心を預けてしまいそうになる。国明は藤木の頬をすっと撫でて涙をふき取ると、懐へ手をいれ何かを取り出した。目の前で広げられた手のひらには、薄青い小さな陶片が乗っている。角は丸く削られ、艶やかな色を放っていた。
「これ…」
藤木は涙が滲んだままの顔をあげた。目の前の国明の瞳は優しい色を湛えている。
「母上の茶碗だ」
「え…?」
国明は目を細めた。
「父上がおれに持っていよと、母上のお気持ちを忘れるなと言うてくだされた。まぁ、茶碗に未練もあったのであろうが」
「大殿さんが…」
それから国明は薄青い陶片を藤木の手に握らせた。
「くにあ…」
「藤にやる」
「えっ」
目を見開いた藤木が何か言う前に国明は繰り返す。
「藤に持っていて欲しい」
「だっだめだよっ」
藤木は慌てた。
「だってこれ、大切なものじゃない」
「だから藤にやる」
「そんな…」
この陶片はきっと国明の宝物だ。大事な思い出の品なのだ。自分なんかが貰って良いものじゃない。
だって僕は国明の想いに答えられない。
「僕は…」
「ただ、貰ってくれるだけでよいのだ…藤…」
藤木の言葉を遮って、強引に陶片を押しつける。だが、その声音がひどく寂しげで、藤木は何も言えなくなった。
いつもそうなんだ…
押しが強くて好き勝手やっているように見えて、国明はどこか哀しい。藤木は手の中の薄青いかけらを見つめた。破片の優しい色合いに国明は母親の面影を重ねていたのだろう。遠い日の温かな記憶のつまった陶片、それを貰って欲しいと、他には望まぬからただ持っていて欲しいと願うのか。
「国明…」
あらたな涙が滲んできた。藤木は手の中のかけらを胸に抱き寄せた。
「ありがと…国明…」
後は言葉にならない。泣くのを堪えて藤木は俯いた。
「藤…」
両肩に手をかけられ引き寄せられる。藤木は国明の胸に体を預けた。
「…すまぬ…」
国明がぽつりと言った。
「…すまぬ…藤…」
藤木は黙って、ただ国明に身を寄せていた。夜空にかかる三日月が滲む涙でぼやけて見えた。
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