第4話 現代っ子、食事に四苦八苦


部屋へ戻っても所在がなかった。椅子やソファがあるわけでなく、板張りの床ではどこに座ればいいのか見当もつかない、というより、座りたくない。ただでさえお尻が痛いのに。

しかたなく藤木はごそごそと上座の畳の上に這い上った。国明はその斜前の床の上にどかりと腰をおろす。藤木がむっつり黙っていると、国明は膳を運ぶよう廊下に声をかけた。


「あれだけ怒れば腹も減っただろう」

「君ねぇ、面白がってない?」


藤木はムッと言い返した。


「こんなとこに来てね、僕は落ち込んでるの、絶望してるの、だのにオマルなんか持ってきて、もう、信じられないっ」

「そう怒るな、あれで忠興叔父は真面目におぬしを敬っているのだ。少し融通のきかぬ御仁ではあるが」


言われて藤木は思い出した。目覚めた時国明にまず意見したのが鼻の下と顎に立派な髭を蓄えたあの強面だった。


あの時も白湯じゃなく酒をだせとすっごく的外れな事言ってたような…


「…頭痛くなってきた…」


うんざりした藤木に国明は苦笑をもらす。


「父上が病床にあるゆえ、叔父上もおれをもりたてようと必死なのだ。気を抜くとどこから付け込まれるかわからんからな」


藤木はふと、国明を見つめた。そういえば、年はそう違わないようなのに、国明は榎本水軍の長なのだ。一族を担う責務の大きさはどれくらいなのだろう。


「…君もけっこう、苦労してる?」


国明の目が和らいだ。


「案ずるな、おぬしを守るくらいの力は持っている」


優しく見つめられて藤木はどぎまぎする。

と、廊下から声がして、秀次が膳を運んできた。


「御渡り様、御前失礼つかまつりまする」


恭しく黒塗りの膳を捧げ持って入ってくる。食べ物の匂いをかいで、流石に藤木のお腹がなった。しかし、目の前におかれた膳をみて藤木は固まる。


「………」

「…あの…御渡り様…」


おそるおそる声をかけてきた秀次に、藤木は慌てて微笑んだ。


「あ、ありがと。うん、いただくよ」


藤木が箸をとると膳の上のものを眺めた。


ど…どれ…食べよう…


とりあえず、無難に汁碗を取り上げた。貝の汁で、塩味だった。空腹に暖かい汁が沁みる。ほっと藤木は息をついた。


「おいしい」


秀次が嬉しそうな顔をする。それが面映くて藤木も微笑んだ。


しかし…


藤木は次に食べる皿を決めかねていた。黒い漆塗りの碗に茶色い塊がのっている。どうやら米の飯のようだが、白くない。しかもぎゅっと楕円形に握られている。その上には何やら青菜のゆでたものと焼き魚がある。小さな皿にもられているのは塩と茶色いわけのわからないもの。意を決して、藤木は青菜を口に入れた。


固っ


一応好き嫌いはない。少々マズくても何でも食べる。だから灰汁の強い青菜の味にも耐えられたが、なんとも歯ごたえがありすぎる。やっとの思いで青菜を飲み込み、もそもそと焼き魚を突ついた。小骨の多い魚を食べるのにまた一苦労だ。だが、空き腹にはかえられない。しかも側で秀次がじっと藤木の食べる様を凝視している。


そういえば、国明の前にも膳がない。青菜をもごもご咀嚼しながら藤木は尋ねた。


「ねぇ、君たちは食べないの?」

「いや、我らは後でいいのだ」


藤木は不思議そうに首をかしげた。


「え?一緒に食べればいいのに」


国明が何か答える前に、秀次ががばりとひれ伏した。


「もったいなきお言葉ーっ」


驚いた藤木が目をぱちくりさせていると、国明が笑った。


「まぁ、そういうことだ、御渡り様」


あ、と藤木は気がつく。

自分は神様なのだ。ということは、この膳も特別なのだろう。


ぜ…全部食べなきゃ…


藤木は案外と義理堅い。ぐっと箸を握ると、茶色いお握りらしきものを睨み付けた。そしてガブリと頬張り、目を白黒させる。とにかく、何もかも歯ごたえがありすぎるのだ。しかたなく、噛まずにごくりと飲み込もうとして、今度は喉に詰まらせた。


「むぐっ。」

「おっ御渡り様っ」


慌てて秀次が白湯の碗を差し出す。一気にあおった藤木は悲鳴を上げた。


「あちっ」

「ああ~っ、もっ申し訳ござりませぬ~っ」


ますます秀次は取り乱し、藤木の膝に白湯がこぼれてまた悲鳴をあげる。堪えきれず国明が笑い出した。


「なっ何笑ってンのさっ」

「殿っ」

「ああ、すまぬすまぬ」


国明はまだ笑いながら、藤木の膳を秀次に渡す。


「秀次、飯は湯漬けにしてまいれ。それから汁のおかわりだ。御渡り様の着替えも用意せよ」


それから藤木に顔を向けた。


「まだ腹はふくれておらぬのだろう?」


くっくっとまだ笑っている国明を藤木は睨むが、当たっているので何も言わなかった。





湯漬けにすると、何とか飯は食べられた。一番たべやすく、おいしかった汁をおかわりして、やっと藤木は一息ついた。


「…で、あの人達、何?」


秀次を筆頭に若い郎党が数人、着替えの後ろに平伏している。


「おぬしの着替えを手伝う者たちだ」


国明はこともなげに答えた。藤木はがっくり肩を落とす。濡れたジャージは気持ち悪い。だから着替えるのに異存はない。だがしかし、何がかなしゅうて藤木涼介十七才、ごつい男達に着替えさせられなければならないのか。


「一人で着る。だから出てってよ。」


つややかな絹の直垂を手に持って、藤木は皆を追い出した。

そして五分後、藤木はつまらない矜持や独立心と決別する。


「国明ーっ。」

「だから手伝いの者を…」

「国明がやってっ。国明じゃなきゃダメだよっ」


秀峰の仲間達が見たら卒倒しそうな程、藤木涼介が穏やかな己を完全に捨てた瞬間だった。





午前中、藤木は国明の後ろをついてまわった。

藤木は紫がかったエンジ色に金銀の縫い取りのある直垂と薄水色の袴を着せられていた。廊下に控えていた秀次や郎党達がぼうっと見とれていたようだから、おそらく似合っているのだろう。折烏帽子は邪魔なので断った。忠興「叔父」がとんできて、「このように粗末なもので恐縮至極」とかなんとか騒いでいるのを国明が苦笑いしながら宥めていた。

午後、国明は館の外の用に出かけることになり藤木もついていきたがったが、二人で脱走した昨日の今日では許されるはずもなく、藤木は自分の部屋に戻った。

正直、国明から離れるのは不安だった。異質な世界ですがれるものといえば国明しかいないのだ。

国明だけは藤木を藤木としてみている。神などではなく、異なった世界から来たただの人だと認識しているのだ。しかも、藤木の世界の、恋しい男の顔をして。


「佐見…」


ぽつりと藤木は呟いた。自分が過去へとばされたというのなら、一緒に居た佐見はどうしたのだろう。もしかしたら同じ世界にとばされているかもしれない。

そうだったらいい、でも無事でいてほしい、そして…


「会いたいよ…佐見…」


孤独だった。寂しかった。自分の居場所のない世界は辛い。


「佐見…」


こそり、と袂にいれたスマホが布に擦れる。藤木はそれを取り出した。このスマホが藤木と元の世界をつなぐ唯一のものに思えてくる。藤木はバッテリ-残量を確かめた。散々目覚まし音を鳴らしたにしては昨日とまったく変わっていない。ほっとした。それから少しためらってアドレス帳の自宅の電話をタップする。何も反応がない。


「…当然だよね…」


自嘲気味に笑うと、ふと思いついて留守録画面をあけた。藤木の家族は部活中によく電話してきて留守電に入れるのだ。面倒くさいからメッセージにしてよ、というのに何故か皆、直接電話派だ。今はそれがありがたい。まとめて削除しようと放置していたのもラッキーだった。留守電再生をタップするとなつかしい声が流れてきた。弟の健太だ。


『アニキー、明日から合宿だろ。オレ、三十日に家、帰るから』


三十日って、今日か…


藤木は微笑んだ。弟は全寮制の高校に進んだので家を出ているのだ。その弟が今日、家に帰ってくる。


「健太、僕、鎌倉時代にきているんだよ」


スマホを見つめ藤木はぽつりとつぶやいた。その前の録音を再生する。


『涼介、帰りにス-パ-寄ってケチャップ買ってきて。切れちゃってるのよ』


姉さん、結構年頃の男の子には恥ずかしいんだよ、その買い物。


『藤木~、今日の部活、お疲れ。でさ、今夜電話してー』


中丸、結局、合宿に持って行くゲームソフトの相談だったじゃない。っつかその用事、LINEでよくない?


『藤、出発時間が変更になった。七時半に校門前集合だ。…また明日』


「佐見っ」


佐見の声だった。そういえば、合宿の出発時間変更の連絡があったのだ。藤木はもう一度再生する。


『藤、出発時間が…』


懐かしい声、佐見の声


『…また明日』


また明日…


「佐見…佐見佐見…佐見…」


藤木はスマホに頬を寄せた。何度もリピートする。


『また明日』


涙が流れた。胸が潰れそうだ。


「さみ…」


声を殺し、藤木はスマホを胸に抱きしめて静かに泣いた。








もそもそと藤木は箸を動かしていた。行儀が悪いとはわかっていたが『教育委員会監修、郷土の歴史と文化』を片手に藤木は昼食をとっている。

部屋でメソメソしていたら、秀次が膳を運んできたのだ。藤木はもう少し泣いていたかったのだが、泣き顔を見られるのも癪で慌てて本で顔を隠した。そしてそのまま読みながら食事をとるはめにおちいっていた。

今、口に運んでいるのは蒸した芋、といってもジャガイモやさつまいもではない。あまり馴染みのない芋だ。貝の煮物やゴマをまぶした小魚も膳にのっている。


あ~、これって、素材の味が生きてますって奴だよねぇ…


藤木はしみじみと噛みしめた。出汁と塩味以外は食材の味なのだ。それでも、朝食よりはずいぶんと食べやすかった。

噛むのに時間がかかるので、その間、本に目を落とす。折よく『鎌倉時代の食事』という項目があった。


『この時代はまだ昼食の習慣がなく、1日2食が基本でした。しかし、武士や農民など、体を激しく使う人々は、空腹になると軽く何かを食べていたようです』


マジ?


藤木は本から顔をあげて秀次を見た。秀次は邪魔にならぬようにと少し下がって控えている。


「あ…あの…秀次」

「ははっ」


藤木が声をかけると、秀次はいつものごとく平伏した。何度もされていることなのだがどうにも落ち着かない。だが、とやかく言っても始まらないので、藤木はそのまま話しかけた。


「秀次はお昼御飯、食べた?」

「お…おひるごはん…にござりますか?」


だめだ、通じてない…


藤木は質問を変えた。


「これ、誰が用意しろって?」


膳を指差す。秀次が恭しく答えた。


「はっ、殿が出かけられます折、御渡り様はおそらく召し上がられるだろうと下女共に申し付けましたる由、また、よく煮込んで柔らかくするよう念をおされたとのことでござります」

「国明が?」


藤木はぽかんとした。朝食の時、人が四苦八苦していたのを可笑しそうに眺めていた男の顔を思い出す。


面白がっていた癖に…


なんだか胸がじんとしてきた。


気、使ってくれたんだ…


国明の気遣いが嬉しかった。本を閉じて藤木は膳に箸をのばす。口元に自然と笑みが浮かんだ。


「秀次」


にこっと秀次に笑いかける。


「ありがとう、って伝えて。国明に…それから、これ、作ってくれた人達にも」


秀次はしばらくぽかっと口を開けたまま藤木を見つめていたが、はっと我に帰り真っ赤になって平伏した。


「もっもったいなきお言葉、いたみいりまするっ」

「うん、君もありがとう」


ますます這いつくばる秀次にくすっと笑いをこぼすと、藤木は煮付けた貝を口に放り込んだ。塩味だけれど、素直においしいと思った。






昼食を食べ終わった藤木はやることもなく、部屋でごろごろしながら『郷土の歴史と文化』を読んでいた。『人々の暮らし』だの『当時の武士の生活』だの、いちいち、わ~、本に書いてあるとおりだ~、などと感心している。

書いてあるとおりもなにも、藤木が体験している姿が真実なのだから、よく調査している本の著者を褒めるべきなのだが、どうもピントがずれていた。

空が茜色に変わる頃、館の中が慌ただしくなった。藤木が部屋を出てみると、なにやら皆がばたばたと走り回っている。侍姿の郎党達以外にも、下働きの者なのだろう、粗末な身なりの男女が広間と思しき部屋へ何かを運び入れていた。


「藤」


呼ばれて廊下の玄関口の方をみると国明だった。手に今朝洗った藤木のジャージを持っている。


「国明、帰ってたの?」

「藤、すまぬがお主に頼みがある」

「…?」


出会ってから常に余裕のある態度の国明が今は妙に切羽詰まった顔をしている。藤木が首を傾げているとどたばたと足音荒く忠興が駆けてきた。


「若殿、いきなり無理じゃ。御渡り様をお迎えするにはそれなりの準備が必要じゃというに」

「だから、おれの婚礼用に揃えたものがあるだろう。あれを使うよう申し付けた」

「ありゃ婚礼用ですぞ。京の姫君を嫁にお迎えするため特別に」

「叔父貴、御渡り様と嫁とどっちが大事だ」

「うっ…そりゃあ…若…」


言葉に詰まった忠興に国明は厳しい顔を向けた。


「三浦の本家が御渡り様に興味を持った」


忠興の表情が強ばる。国明は続けた。


「いいか、叔父貴。雛の節句に瑞兆があったのだ。ゆえに我ら榎本は一月かけて海神様の御使いを迎える支度を整えた。あくまで御渡り様は我ら榎本水軍にお渡り下された、今宵はその、榎本の祝いの宴だ。内輪の宴ではあるが、御渡り様に目通り申し上げたき輩あらば、我ら榎本は拒むにあらず」


忠興が口を引き結び頷いた。


「委細承知」


それから踵を返し早足で広間へ向かう。その背中を見送った国明は藤木にジャージを渡した。


「これに着替えてくれ。今夜はお主のための宴だ。何もいわずともよい。ただ、父の盃だけ受けてくれぬか」

「あの…国明…」


事情がのみこめずきょとんとする藤木に国明はやっと微笑んだ。


「いや、たいしたことではない。案ずるな」


後で秀次に呼びに来させる、そう言い残すと国明も慌ただしく広間の方へ行ってしまった。



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