兼業勇者の松本さん

炭井 ユタ

第1話 松本ですが、勇者になりそうです。

 そこに佇むのは巨大な蜥蜴。いや、蜥蜴と呼ぶには余りにも纏う覇気も、圧倒的なまでのその風格もただならぬものだった。

 その正体はドラゴンである。

 体を覆う鱗は鋼鉄のように、所々に刻まれた僅かな傷が歴戦をうかがわせる。


 対するは、そのドラゴンの正面に立つには余りにもこの場にふさわしくない、二十代後半くらいの黒髪黒目の銀色のフレームのメガネを掛けたスーツの男だ。

 さながらサラリーマンと言ったところだろうか。


「勇者よ、よくぞここまで来た!さあ、この我、竜王と相まみえようぞ!」


「手っ取り早く終わらせたい。俺はやらなければならないことが多いからな」


「がはは!その余裕の面、今ここで絶望に表情で染めてや──」


 突如、ドラゴンの話を遮るようにプルルルと音がなった。

 幾許かこの場に似つかわしくない電子音がどこからともなく聞こえてきた。

 勇者と呼ばれた男はスーツの懐から箱のような物──携帯電話を取り出した。それもガラパゴス携帯、スマホ時代の現代において中高生らにバカにされかねない、むしろ何それ、と言われかねない代物となってしまった通称ガラケーと呼ばれているものだ。ちなみに折りたたみ式だ。


 スーツの男にとっては未だにスマホというものに慣れないのだ。というか、何故あんな超未来的なものを現代人は自由自在に扱えるのか不思議でたまらなかった。


 だが、最初なんて誰だってそうだ。人間は慣れてしまう生き物なのだ。使ううちに慣れるものなのだ。それに他に合わせることくらいは男にも出来ただろう。

 しかし、男はそれをしなかった。何故なら男には合わせてられない理由があった。


「失礼、部長から電話だ」


 スーツの男は携帯電話を開き、耳に当てると、話し出す。


「あ、ああ。え?」


 誰に向かってなのか、何処と無く笑っては、頭をさげを繰り返す男を訝しく観察するドラゴン。


「そうですか!かしこまりました!今すぐ向かいます!」


そう言って、ピッと音をたて、折りたたみスーツの懐へ仕舞う。


「すまんな、ドラゴン。用事ができてしまったようだ。決闘はまた後日に頼む。あっ、でも悪さするなよ。こっちの面倒が増えるのは勘弁してもらいたいからな」


 その理由、それは会社に務めることが何よりも大事だということ。つまり、他に現など抜かしてはいられないと思うほどの社蓄熱がそのスーツの男にはあった。


 〜


 早朝6時に起床をし、6時半までには身支度を整え、朝食を軽く済ませる。ニュースやその日の情報を確認し、全ての支度を終え、朝7時には家を出る。


 それから、7時15分出発の電車にのり、7時半に目的の駅に到着。そこから5分歩いた先が俺の職場。

 それなりの大きさのビルだ。

 ビルに入る前に、もう一度自分の身なりを整える。


「よし」


 気合を入れ、いざ中へと入る。


「おはようございます。松本先輩」


 その声は後ろからした。

 振り向くと、そこにいたのは若いスーツの女性。

 俺の二つ後に入った後輩、伊藤姫子。


「おはよう。今日は、寝坊はしてないのだな」


「その言い方だと、私がいつも寝坊してるみたいじゃないですか」


「事実そうだろ?」


「失礼な!」


「よっ、松本」


「ああ、えんどう豆か」


 そこに立つのは見た目は冴えなさそうな男ではあるが、なかなか仕事はできる男、えんどう豆。

 俺と同期だ。


「おい、だから俺はえんどう豆じゃねえ!遠藤豆彦だ」


「何か違うのか?変わらないだろ。なあ?伊藤」


「そうですね、えんどう”豆”先輩ですから」


「お前、先輩を何だと思ってやがる」


「豆?」


「この……な、なんだと?もう一回言ってみろ伊藤プ・リ・ン・セ・ス」


 遠藤はそう言ってニヤリと口の端を上げた。


 そう、『伊藤姫子』の読みは『いとうぷりんせす』と言うのだ。

 遠藤豆彦、伊藤姫子、この二人ほど、相性のいい人間を俺は知らない。


「先輩、私はいま聞き捨てならないことを聞きましたよ!」


 このやり取りを毎日のように聞く俺は、いつものようにこう言って仕事に就く。


「ほら、仕事が始まるぞ”豆プリ”」


「「豆プリ言うな!!」」


 どこぞ、女児向けアニメみたいなコンビ名を口にして今日もまた、忙しい一日が始まる。



 俺の人生の7割は仕事で出来ているといっても過言ではない。

 この会社に入社して5年目、社畜人生を俺は謳歌していた。

 

「松本くん!素晴らしいよ!」


「ありがとうございます、部長」


「いやあ、たまげたねえ。うちの部署から素晴らしい功績を出してくれるとは、この僕、感激で目から鱗、いや、目から納豆だよ」


 何故に納豆なのかはあえて聞かない。

 ちょっと傍で部長がツッコんでと言わんばかりの物欲しそうな目でこっちを見ているが無視だ。


  それよりも今日は俺が社内で功績を上げたのだ、社畜人生において、これほど


「部長、納豆を目から出すの構いませんが、汚さないでくださいよ?そして、流石だな松本。俺もお前の素晴らしき会社愛に感動しているよ」


 すこしチャラそうな、イケメン。背も高く、女性からも持てて、それでもって文武両道なのだから勝ち組にも程がある。この人は俺の一つ上の先輩の後藤春樹先輩だ。

 傍目、部長もツッコんでもらえて満更でもなさそうだ。

 ただ、いい歳したおっさんが頬を朱に染めるのはやめていただきたい。


「ありがとうございます、後藤先輩。そして、応援してくださった皆様。今後もより一層、仕事人生に精を出していきたいと思います」

 

 周りからは拍手喝采の嵐とまではいかなくても、強風くらいの拍手を浴びせられたのだった。



 すっかり日も落ちた会社からの帰路、残業帰りだが俺の調子は絶好調だった。仕事をやり切った後のこの感情は何とも形容しがたい幸福感だ。

 まあ、これが、社畜と言われる所以あるのだが、それでもいい。寧ろそう言われることにすら俺は優越感すら感じる。お前らじゃ、この領域にはたどり着けないだろってな。


 暗がりの帰路の中ふと目の前に影が見えた。

 目の前に立つのはどこの馬の骨ともしれない、コスプレ女だった。

 それも、こちらをガン見。正直、怖い。

 ちょっとだけ傍目越しに確認したが、かなりの美女だった。しかし、こういうのには裏がある。関わらないでおこう。


「ゎ……ェ……よしッ」


 なにかぶつぶつ呟いている。 


 俺はヤバイものを見たかもしれない、と思い、無視を貫いて歩を進める。秘技、「見なかったフリ」だ。


「私は女神、エレシア。突然ですが、貴方は勇者に選ばれました。そして、その力を使って世界を救ってください」


 すると突然、声がかかる。

 俺はそれに反応して体がビクリと他見バレはしないほどに跳ね上がった。

 女神と語った人物は意味のわからないことをつらつらと語り始める。


 喉元をゴクリ。


 なんだ?新手のセールスか?


「いえ、そういうの結構なんで」


 あまり、厄介ごとに絡まれるのは良いことではない。

 颯爽とその場を立ち去るように、話を流して、歩を進める。


「え?ゆ、勇者ですよ?最強になれるチャンスですよ?!」


 なんと言われても、俺は関わらないと決め、歩を幾分か早める。

 しかし、暫く無視していたが、余りにしつこく付いてくるので、いい加減うんざりして自称女神にこう告げる。


「おい、アンタ。これ以上ついて来るようなら警察に通報するぞ」


「え!?そ、それは困ります。で、でも、世界を救って頂けないのはもっと困るんですよ」


「さっきから、意味わからん事言っているが、俺は仕事が忙しいんだ。他の事に現を抜かしている場合じゃないんだ。他をあたってくれ」


「貴方じゃないとダメなんです!貴方には秘められた力があるんですよ」


「あいにく俺にはその秘められた力というのは生まれてこの方実感した覚えがない。アンタの勘違いだろ」


「そ、そんなことないですよ!私、女神ですよ!?」


 こいつ、完全に頭の中あっちの人間だな。

 兎に角、こういうのには関わらないのが吉。少し話してしまったことに後悔がよぎるが仕方ない、相手が諦めるよな事を一括して早々に帰らせてもらおう。


「知るか!女神なら女神らしい事でもして見ろ。そうしたら信じて勇者にでもなんにでもなってやるよ。でも、インチキとかはなしだからな。騙されたらたまったもんじゃないしな」


 そこまで言って、ニヤリと口を歪める。


 俺の性格も大概だなと、嘲笑気味に少し呆れるものだ。

 だが、ここまで言ったら流石に相手も引くだろう。


 だがしかし、自称女神は何か、納得したように頷く。


「なるほど、最初からその手を使えば良かったんですね。いいでしょう、その言葉忘れないでくださいね?ふふ、後悔させてやりますよ」


 手品か何かするつもりだろうが、俺はその手には引っかからない。

 昔からその手の小細工に関しての感は鋭い方だ。だが、今回はそんなものを見極める気分でもない。

 相手が調子に乗って、なにか仕掛けてくる前に帰ろう。


 そうして、歩を進める。進める。進め

 ん?何やら地面の感触がおかしい。先程までの舗装されていた道路とは違う。地面をよく確認してみると、そこは凸凹の砂利に覆われていた。

 いや、それだけじゃない。

 顔を上げると、あたり一面がおかしい。


「な、なんだこれ……」


 これには余りにもあれで、非現実的で、なんと表現したらいいのか、これは小細工とかの問題ではなく。


「いらっしゃいませ!私たちの世界へ!」


 そこに広がるのは幻想的な風景だった。

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