愛の反対は

すみかわ

ただのおともだち

 アイスティの中で溶けかかった氷がからんと音をたてて、心ばかりの涼しさを演出する。例年の夏では信じられない、とキャスターが言っていた冗談みたいな暑さの昼下がりから逃げ出して、私は友人の倉木とカフェに逃げ込んでいた。クーラーの効いた店内は屋外に比べたらまだましだけれど、暑さの残滓が動きの端々にまとわりつく。

「この前ね、合コンに誘われて。また人とお付き合いすることになったの」

 倉木はよくモテる。容姿が華やか、というわけではないが、人を安心させる笑顔をしていて、性格が穏やかだ。おっとりした口調で話の続きをせがまれると気分が良くなって、話している方があれこれしゃべりすぎてしまう雰囲気を持っている。

 だから、私は倉木と話すとき、話しすぎないように気を付けている。うっかりこの見目だけは優し気な女の内側に踏み込んだ日には、どんな修羅場が待ち受けているのかわからない。

「そう。おめでとう? ……というか、前の文系眼鏡くんとは別れたのね」

 一応、といった感じで、私が飲んでいたアイスティのグラスを軽く持ち上げつつ尋ねた。彼女の‘恋人’が変わることなんて、今更大して珍しくもない。具体的には、続いて半年、短くて三日。そしてその度、新しい‘恋人’を、どこかで見つけてくるのだ。しかも、器用なことに、周辺の人間関係の外側から。今回みたいに合コンだったり、ナンパだったり。道案内したら告白された、なんていうこともあったように思う。そして彼女は逐一私に教えてくれる。私は毎回、それを聞き流す。幸か不幸か、私はそういった話にさほど興味が湧かない性分なのだ。だから、彼女のおともだちを続けていられるのだろうと思う。彼女の‘親友’なぞやるような女にはなりたくない。こんな彼女の‘親友’なんて、‘恋人’と同じようにいつか終わる関係性でしかないに違いないのだ。そんなものになって、倉木の観察を続けられなくなるほうが私にとっては残念なことであるのは間違いない。

「ありがとう、かな? 榊くんのこと? うん。なんか、思ってたのと違うって」

 そんなこと言われて振られちゃった、酷い話だよねー、と軽く言いながら、倉木がミルクティのグラスを合わせた。かちり。また、涼しげな音が空々しく響く。倉木の明るく染めた髪の色は、ミルクティに似ている。

「でも、別にいいんでしょ? 別れちゃっても」

 どこか乾いた口内を湿すように飲んだアイスティは水っぽい。美味しくない。ガムシロップを二つと、ミルクをどぽどぽと注いだ。……入れすぎたかもしれない。無意識に眉根が寄った。

「うん、別にいい。ってか、恋人とかお付き合いとか、別に」

 倉木は笑みを含んだ声で言う。彼女の白い指が飲み物と共に運ばれてきたまま置き去りになっていたビスコッティの封を切った。乾いた音が響く。

「そもそも、好きでもないんでしょ?」

 ビスコッティを齧りながら、彼女は至極どうでもよさそうに視線を窓の外のアスファルトに投げた。つられて見ると、蜃気楼が出ている。夕方になるまでここから出たくなくなった。

「かもね。この人いい人だなー、くらいのことしか、思えない」

「それで付き合うからダメになるんじゃないの」

「だって、断るほうが面倒でしょ。試しに付き合って―、とか、嫌じゃないならいいじゃん、とか言われるんだよ」

 やってみたこともあるけど振り切るのって結構時間かかるし、とため息をこぼす彼女に、なんとも言えない気持ちになる。いやそれはどうかと思う、と言うのは簡単だが、実際に結構な割合で告白される彼女ほどの経験値は、私にはない。そこまで彼女の内側に踏み込む気も、今のところはない。そういうことは‘親友’の領分であると思う。

「でも、だからって恋人になったほうが、メールとか増えるんじゃない?」

 苦し紛れに、やたら甘ったるくなってしまったアイスティ……今はミルクティもどきの代物を一気に半分ほど飲み干す。

「そこはほら、前にもらったメールとかあるから」

 見た文面は無意識にでもストックしてるもんだよ、案外、と悪戯っぽく笑う。私は少し胸やけを覚えた。流石にあの甘さはきつかったか。私もビスコッティを一つ、かじってみた。うん、まだこの方がいい。口が乾くけど。

「倉木のその恋愛観……というか、対人観、ドライだよね」

 そんなに振る舞いは包容力に溢れているのに、と内心付け足す。人当たりの柔らかい彼女が、仮にも‘恋人’に接するときに持つ感情が、どうでもいい、とか、面倒くさい、といった無関心の塊だなんて、信じる人はどれだけ多いのだろう。少なくとも倉木を振った彼らは信じるかな。それとも信じたくないか。他人事のように思考をめぐらす。

「ふふ、私もそう思う」

 でも、みんなどうでもいいの。楽し気に、声まで漏らして倉木は笑う。その姿は可愛い、と、同性の私ですら思うのになぁ。

「なんだろ、奇麗な薔薇に棘こそなかったけど、こっちも見てくれない、みたいな?」

 ビスコッティを食べ切った私は、そろそろとミルクティもどきを飲む。……うん、ゆっくり飲めばまぁいける。

「薔薇は言い過ぎだと思うけど、ま、そんな感じになっちゃってるね」

 みんなかわいそう、と倉木はまた、視線をアスファルトに落とす。どこか空疎な笑みに、思わずおともだちの身で言うには出すぎなことを言いそうになった。

 ……なるほど、こういうところに男は落ちるのだろう。

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